おにぎりなんか社会貢献が嫌いなんやけど、なぜやろ?



ふむ、それは以下の理由があるからやと思うで。
「社会貢献」と聞いて、なぜかよくわからないけども、アレルギーを拒否反応をしてしまう人は一定数いたりします。中にはものすごくひねくれた方がいますが、別に人間性に問題がなくとも、社会貢献という言葉に得も言われぬ不快感を持つ人はいるので、結構不思議です。
そんな感じですので、社会貢献が嫌いなのはなぜなのか、気になりますよね?結論から言うと、社会貢献が嫌いな理由は、以下の通りです。
社会貢献が嫌いでもおかしくない理由





そ人はそもそも利己的だから、しょうがない側面があるんよ。
人は種の性質としてそもそも利己的なので、社会貢献に乗り気でないのは当たり前です。ただあまりに利己的だと社会は崩壊するため、人間は社会とある程度折り合いをつけながら今日まで歩んできました。とはいえ、社会貢献は自分の身を削ってまでやる必要なく、あくまでも自分の余裕の範囲内でできれば十分です。
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社会貢献が嫌いでもおかしくない5つの理由





社会貢献が嫌いなのは、やっぱおかしいんかな?



いや、別におかしないで!
まずは、社会貢献が嫌いでもおかしくない理由について、見ていきたいと思います。社会貢献が嫌いでもおかしくない理由は、以下の通りです。
社会貢献が嫌いでもおかしくない理由
- 理由①:人はそもそも利己的
- 理由②:現代社会は道徳プレッシャーが過剰
- 理由③:社会貢献はリターンが見えにくい
- 理由④:自己犠牲を強要されているよう感じる
- 理由⑤:社会貢献を嫌う人ほど自分の価値観が明確



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:人はそもそも利己的


社会貢献が嫌いでもおかしくない理由の1つは、「人はそもそも利己的」です。
進化生物学では、利他的行動がなぜ起きるかは、近親選択や相互利他といった限定的条件で説明されます。
参考:A Quantitative Test of Hamilton’s Rule for the Evolution of Altruism
近親選択とは利他的な遺伝子を持つ個体が近親者を助けることで結果的に自身の遺伝子を広める進化戦略のこと



人は、そもそも利己的、、なるほど、確かにそれはそうかも。
つまり、人間は無条件に見知らぬ他者のために自分を犠牲にするよう進化しているわけではないので、社会貢献、つまり「世の中の見ず知らずの人達に対して利他的な行動をすること」に対して、いい気分がしないのも当たり前という事ができますね。
当人からしたら、「なんで縁もゆかりもないどうでもいい連中のためになんて労力を払わねばならんのだ。そんな赤の他人なんざどうなろうが知った事じゃねえ!」等と感じてもおかしくないでしょう。
理由②:現代社会は道徳プレッシャーが過剰


社会貢献が嫌いでもおかしくない理由の2つは、「現代社会は道徳プレッシャーが過剰」です。
近年になってSNSやメディアは善を可視化したので、「誰それが~で~といった行動をした」という風評はあっという間に共有されるようになりました。これにより、「誰が善行したか」という事実は、多くの人に認知されるようになっています。



たしかに、噂があっという間に拡散するわな。
これにより、実際の動機とは別に「見せるための貢献」、つまり偽善的な貢献活動が増え、活動者本人の善意が本物であるかを厳しく吟味される風潮ができてきています。そのため、以前取り上げた「やらぬ善よりやる偽善」みたいな議題が持ち上がってくるわけです。
実際、こうした当事者にプレッシャーや反発が生まれやすくなっていることに関しては、最近の社会科学のレビューでも指摘されていたりします。
参考:Towards an understanding of performative allyship: Definition, antecedents and consequences
理由③:社会貢献はリターンが見えにくい


社会貢献が嫌いでもおかしくない理由の3つは、「社会貢献はリターンが見えにくい」です。
脳や行動の側面で、人間は即時・具体的な報酬に強く反応します。その点、社会貢献と一口に言っても、色々なものがありますが、その多くが自分に直接何かしらのリターンが返ってくるといったものではありません。



まあ、せやね、まわりまわって、、って感じやな。
そのため、人はいわゆる社会貢献に対して、直接的なリターンを感じにくいため乗り気ではないのも無理はないのです。
実際、寄付や抽象的な善行は影響の可視化が難しく、「温かい気持ち」のような非物質的報酬に依存する傾向があるために、動機付けが弱くなることが研究で示されていますね。
参考:Impure Altruism and Donations to Public Goods: A Theory of Warm-Glow
Giving
理由④:自己犠牲を強要されているよう感じる


社会貢献が嫌いでもおかしくない理由の4つは、「自己犠牲を強要されているよう感じる」です。
誰しも自発的に自分の労力を支払うのであれば、問題ありませんが、他者や社会から「やるべきだ」と義務付けられると、心理的に反発(リアクタンス)が生まれてしまうものです。



たしかに、わかるわあ、義務化されるとやる気失せるわ。
そのため、「社会人たるもの社会貢献すべき」とか「社会貢献をすべきだ」といった世論が強まったり、そうしたことを言う人が身近にいると、「うるせえ、誰がするか、社会貢献なんざクソくらえ!」となってもおかしくはないでしょう。
ちなみに、実際に無理な利他行動が続くと同情疲労やバーンアウトが発生し、個人の機能が低下するともされていますから、義務感に基づく社会貢献なんて本人にとっていい事が何もありません。
理由⑤:社会貢献を嫌う人ほど自分の価値観が明確


社会貢献が嫌いでもおかしくない理由の5つは、「社会貢献を嫌う人ほど自分の価値観が明確」です。
いいか悪いかは別として、主体性が強く自己決定を重視する人は「義務的な貢献」を拒否することが多く、その代わり自分の価値に見合った形で行動します。そのため、この手の人は「社会に貢献すること自体が嫌」というよりも、他人から押し付けられた貢献は拒否するといった感じです。



ふむ、なるほど、他人に決められるのがしゃくなんやね。
これは単なるわがままというよりも、自身の価値観に基づく合理的な選択であり、集団圧力に流されない強さとも言えるでしょう。
参考:Towards an understanding of performative allyship: Definition, antecedents and consequences
社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき4つの理由





社会貢献って、どうしてもせんとダメ?



まずは、自分のことを気遣うべきやぞ!
つぎは、社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由について、見ていきたいと思います。社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由については、以下の通り。
社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由
- 理由①:自分が安定しないと他者を助けられない
- 理由②:自己犠牲的だと長続きしない
- 理由③:自分優先の方が結局は周囲にも好影響
- 理由④:自分優先=わがままというのは古い



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:自分が安定しないと他者を助けられない


社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由の1つ目は、「自分が安定しないと他者を助けられない」です。心理資源(注意、共感、時間、体力)は、有限なので、どこにどれだけ投入するかはある程度慎重に選択すべきといえます。
もし自分の限界を超えて、他人のために心理資源を費やすようなことになれば、相手に対して「なんでこんなことしてやらねばならんのか」とか「やってやるからには相応の返礼がないと許せない」等といったような歪んだ考えが頭をもたげる事になりかねません。



わかりすぎる、、、そうよな、そんな気持ちになるよね。
他人のケアは、自分の十分なケアがあって初めてできるものです。事実、医療・介護の現場研究は、支援者の自己ケア不足がケア品質低下につながることが示されていますね。
参考:。PLOS+1
そのため、実践的かつ現実的な立場から言うのであれば、社会貢献や利他的行動はあくまでも「自分の余力の範囲内で行うにとどめる」という事が大原則になります。そうでないと、せっかくの利他的行動が押しつけがましくなって、結局支援側にも被支援側にも害になってしまう、、なんて悲しい事が起こります。
理由②:自己犠牲的だと長続きしない


社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由の2つ目は、「自己犠牲的だと長続きしない」です。
前述の通り、無理な利他は同情疲労やバーンアウトを招き、結果的に継続的な貢献能力を失わせます。



たしかに、自己犠牲的で続く気はしないわ。
実際、医療・社会福祉分野のシステマティックレビューによる研究では、バーンアウトの頻度の高さと自己ケア介入の必要性を明確にしていますね。
参考:Systematic review of burnout among healthcare providers in sub-Saharan Africa
ちなみに、自己ケアに当たっては、マインドフルネスが有効だったりします。ですので、日頃から利他的に振る舞って疲弊しがちな方には、マインドフルネス、特に手軽さと効果との兼ね合いからマインドフルネス瞑想がおすすめです。マインドフルネス瞑想について、気になる方は以下の記事を見てみて下さいね。
理由③:自分優先の方が結局は周囲にも好影響


社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由の3つ目は、「自分優先の方が結局は周囲にも好影響」です。
あなたが安定していると、周囲に良い影響がつたわります。例えば、前述の内容と多少重複はしますが、余裕をもって利他的行動をすることで、親切を行うにしても配慮が細やかになるなどして相手もうれしいし、自分も素直に他人の役に立つことの気分の良さを感じられるようになるでしょう。



ケア提供者の状態と受益者の受ける利益には密接なつながりがあるといえます。利他的行動を行う側の精神状態が安定していない場合、そのケアの品質が著しく低下するなんてことは普通にあり得るわけですね。
理由④:自分優先=わがままというのは古い


社会貢献よりまず先に自分のことを気遣うべき理由の4つ目は、「自分優先=わがままというのは古い」です。
従来の日本では、「我慢は美徳」といった自己犠牲を美化するような風潮が蔓延していたように思いますが、こうした姿勢は精神衛生上全くよろしくありません。



そらそうやろ、自己犠牲なんていいもんなわけないわ。
実際、自己決定やセルフケアは心理的安定と社会参加のための基盤であるとする研究が増えています。自己優先は、社会を壊すものではなく、持続可能な貢献の前提といえますね。
そいため、まずは自分を優先するのが大事だといえるかと思います。
社会貢献との賢い向き合い方6選





社会貢献には、どう向き合っていったらええん?



ふむ、以下の6つの向き合い方があると思うで。
つぎは、社会貢献との賢い向き合い方について、見ていきたいと思います。社会貢献との賢い向き合い方は、以下の通りです。
社会貢献との賢い向き合い方
- 向き合い方①:社会貢献は目的でなく副産物と考える
- 向き合い方②:身近な関係にリソースを集中する
- 向き合い方③:余裕の範囲内でのみ行う
- 向き合い方④:小さく短く即効性のある貢献から始める
- 向き合い方⑤:社会貢献を義務化しない



それぞれ、詳しく見ていこう!
向き合い方①:社会貢献は目的でなく副産物と考える


社会貢献との賢い向き合い方の1つ目は、「社会貢献は目的でなく副産物と考える」です。
社会に貢献するという視点からばかりものを考えると、「自分が社会のために労力などを持ち出して提供しなくてはいけない」という気分になって、すごく損をするような気分になります。これでは、本能が「社会に貢献なんて割に合わないことしなくていい!」と言い出しかねません。



まあ、わからんではないぞ、わからんでは。
そこで、社会に貢献するという事を、あくまでも「自分の主たる目的に則って行動した際に自動的に生じる副産物」という風にとらえるのが推すすめです。この姿勢であれば、自分が損を強いられているといった気分にはなりにくい弟子うからね。
例えば、「ゴミだらけの街並みなんて汚くて見ていたくない!だからゴミ掃除を他のボランティアたちと一緒に掃除する」なんて、感じで考えれば、やっている事は慈善活動ですが自分にとっても社会にとってもプラスになっていますよね。損をしている人は、誰もいないのでとても平和です。
社会貢献は目的でなく副産物と考えるのが社会貢献との賢い向き合い方の1つ
向き合い方②:身近な関係にリソースを集中する


社会貢献との賢い向き合い方の2つ目は、「身近な関係にリソースを集中する」です。
先ほどふれたように、人はそもそも何の縁もゆかりもない赤の他人のためになんて利他的に離れないのが普通です。そのため、まずは「自分の身近な人達に対して親切にすること」から始めるのがいいと思います。



ふむ、それなら素直にできる人いっぱいいそうやな。
身近な人達といえば、親や兄弟、親友がその代表ですね。こうした身近な人達に親切にすることから始めて、心に余裕が出てきたら徐々に利他の輪を広げていけばいいでしょう。
身近な関係にリソースを集中するのが社会貢献との賢い向き合い方の1つ
向き合い方③:余裕の範囲内でのみ行う


社会貢献との賢い向き合い方の3つ目は、「余裕の範囲内でのみ行う」です。
先ほどふれたように、誰しも心理資源など本人の有するリソースには限りがあります。そのため、時間・労力・金銭のうち余剰部分だけを社会貢献に回していくようにするのが最善です。



ふむ、余剰分だけを他人のために使うんやな。
実際、他人のために頑張りすぎると、前述のように親切が押しつけがましくなったり、自分ばかりが損な役回りを押し付けられているとして、精神的にひどく疲労してしまいますからね。
余裕の範囲内でのみ行うのが社会貢献との賢い向き合い方の1つ
向き合い方④:小さく短く即効性のある貢献から始める


社会貢献との賢い向き合い方の4つ目は、「小さく短く即効性のある貢献から始める」です。
前述のように、社会貢献をしたとしても、その結果や成果を直接確認するにはかなり時間がかかり、これが社会貢献に対するモチベーションをそぎます。



そうねえ、確かにそこは問題よね。
そのため、例えば、社会貢献などと大きなことを言わず、3分でできる程度の小さな親切を行う習慣を持つなど自分がすぐに結果を確認できるような小さな利他的行動を、とるようにするのがいいと思います。
小さく短く即効性のある貢献から始めるのが社会貢献との賢い向き合い方の1つ
向き合い方⑤:社会貢献を義務化しない


社会貢献との賢い向き合い方の5つ目は、「社会貢献を義務化しない」です。
前述したように、義務にされると動機が変質し、燃え尽きや偽善的行動が増えてしまいます。そもため、自律性を維持したうえで、「社会貢献は自分がやりたい時にだけやる」というポリシーを持つといいですね。



ふむ、なるほど。やりたいときだけやるね。
実際、職場・コミュニティでの介入研究でも、自律性を尊重するプログラムの方が効果的であることが示されていますね。
自発的に利他的行動をとるようにすれば、相手にとっても自分にとってもいい影響があるので最強です。
社会貢献を義務化しないのが社会貢献との賢い向き合い方の1つ
社会貢献が嫌いな時にありがちな疑問





まだ、気になる事があるんよなあ、、。



んじゃ、最後に疑問にこたえていこうかのお。
最後に、社会貢献が嫌いな時にありがちな疑問について、答えていきたいと思います。
疑問①:社会貢献を少しもしたくない自分は冷たい人間?


進化的・心理学的観点からはむしろ自然な感情なので、社会貢献を少しもしたくないと思っていても必ずしも冷たいとは言えない気がします。
ただ、「まったく社会に貢献しない」ことが人生の価値観と矛盾しないか自分で検討することは、非常に重要ですね。意外と人生経験が増えてくると、意外と社会貢献したくなったりしてくるので、そうなったら社会貢献を意識して行動し始めるといいかもしれません。
疑問②:余裕以上の支援を求められたらどうする?


前述のように、心理資源等は限られているので、いくら求められてもできないものはできません。そのため、境界を明示して、具体的に「できる範囲」と「できない理由」を伝えるのがいいでしょう。
疑問③:自分を優先していると罪悪感が消えない、、


自分を優先していて罪悪感を感じる場合、「自分を保つことが長期的に他者に還元される」という意識を持つようにするといいですね。
実践的には、「短期的にな余裕の範囲内での貢献行動」から始めて、自分が無理なく続けられるラインを体験的に確かめていくのがおすすめです。
社会貢献が嫌いなのは本能的に当たり前!社会貢献は余裕の範囲内で少しずつ行おう!


人間はそもそも利己的ですから、社会貢献が嫌いなのは本能的に当然といえます。とはいえ、「社会貢献なんてどうだっていい、社会なんて知った事か」といったスタンスの人ばかりでは、社会自体が維持できずその構成員である自分達も回りまわって困ってしまい本末転倒と言わざる得ません。
そのため、本能的には「社会貢献?そんなもん、、」と思うとしても、ある程度は社会に対して投資や貯金をするつもりで、貢献することも大事だと思ったりします。とはいえ、人は普通に生きているだけで何かしらの形で貢献してますし、意識的に貢献するのは自分の余裕の範囲で少しだけで十分ですね。



まずは、自分を満たさない事にははじまらんよ。
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