
『生かされている』って表現が、嫌いなのはなぜやろ?



以下の3つの理由が、あるんやと思うで。
昔から、『人は生かされている存在だ』といわれることがありますが、この言い方に対して不快感を持つ人も結構いたりします。シンプルに綺麗事じみていたり、年寄りの説教じみている、、というのもありそうですが、色んな人の意見を聞いてみるとどうもそれだけではなさそうです。
そんな感じですから『生かされている』という表現が嫌いな人がなぜこの表現が嫌いなのか、気になってしまいますよね?結論から言うと、『生かされている』なんて嫌いな人が、この表現を嫌う理由としては主に以下の様なものが考えられます。
『生かされている』が嫌いな人がこの表現を嫌う理由





人生が奪われているよう感じて嫌いな人は、特に多いと思うで。
『生かされている』という表現が嫌いな人の多くは、「なんで自分の人生なのにこんなに自己決定権を奪われたような考え方をしなくてはならないんだ!」と腹を立てているよう感じます。個人的には納得です。もっとも、「生かされるとかふざけんじゃねえ!」と思うなら、自分が人生の意味を主体的に見出さねばいけません。
自分が主体的に人生に意味を見出すためには、まず大前提として安定した精神状態でいる必要があります。精神不安定では向かうべきところがわからず迷ってしまうので、日々のメンタルケアを徹底したいものです。とはいえ、自力で効果的なメンタルケア対策をきちんと行うのは、なかなか大変ですよね?
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『生かされている』が嫌いな人はなぜ嫌いなのか?





『生かされている』が嫌いな人は、なぜ嫌いなん?



嫌いな理由は、おもに以下の3つやね。
まずは、『生かされている』という表現が嫌いな人はなぜ嫌いなのかについて、見ていきたいと思います。『生かされている』が嫌いな人が、『生かされている』という表現が嫌いな理由については、以下の通りです。
『生かされている』が嫌いな人がこの表現を嫌う理由
- 嫌いな理由①:自分の人生が奪われているようで嫌い
- 嫌いな理由②:うさん臭い綺麗事のようで嫌い
- 嫌いな理由③:そもそも生を肯定できないから嫌い



それぞれ、詳しく見ていこう!
嫌いな理由①:自分の人生が奪われているようで嫌い


つぎに、『生かされている』という表現が嫌いな人がいる理由として、「自分の人生が奪われているようで嫌い」というものがあげられるでしょう。
「生かされている」という表現からは、外部(親、社会、宗教など)からの強制感を連想させるため、自由を奪われた感覚を覚える人が少なくありません。言ってみれば、こうした方には、「私の人生を決めるのは私だ!しゃしゃってくんな!何様だ!」みたいな感じの反発心があるといえるかもしれませんね。



そうねえ、人によってはそう感じるかもしれないね。
実際、人は人生に対するコントロール感を失うと、非常にストレスを感じるものです。そういう意味では、『生かされている』という人生の主導権を奪われるような表現に頭にくるのも仕方がない事なのだと思います。
特に、心身ともにエネルギーが充実している若年層やもともとエネルギー値の高い体力お化けであれば、この感覚はなおさらでしょう。反対に、心身ともに衰えてきている人は、人生に真っ向から対峙していくだけの気力はないので、『生かされている』といった考え方をとりやすいと思います。
嫌いな理由②:うさん臭い綺麗事のようで嫌い


つぎに、『生かされている』という表現が嫌いな人がいる理由として、「うさん臭い綺麗事のようで嫌い」というものがあげられます。
『生かされている』という表現は、いわゆるスピリチュアルを含む宗教や自己啓発の文脈で使われがちで、どうにも年配者の説教やいかにも道徳をかさに着た鼻持ちならなさが気になるものでもあります。一言でいうと、『生かされている』という表現は、「綺麗事じみて聞こえる言葉の最たるもの」なんですよね。



まあ、多用している連中がそもそもうさん臭いんだよなあ、、。
そして、何よりこうしたさも徳の高そうな言動をする宗教家や道徳者の仮面をかぶった連中の現実社会での行いが、実にダブスタ全開な所が、この言葉のうさん臭さを強化している最大の要因でしょう。
口では『私たちは生かされている存在。感謝が大事』等と清廉な言葉を吐く癖に、集金のために情弱狩りにせっせと精を出している、、なんて醜態を目撃することは一度や二度ではないはず。こんな連中が多用する言葉なら、うさん臭さがプンプンでしょう。情弱狩り専門家の定番ワードみたいな気持ちになりますよね。
嫌いな理由③:そもそも生を肯定できないから嫌い


最後に、『生かされている』という表現が嫌いな人がいる理由として、「そもそも生を肯定できないから嫌い」というものがあげられるでしょう。
反出生主義や存在の無意味感を抱く人は、「生そのもの」を肯定的に捉えられず、『生かされていること』への嫌悪が強まります。なにせ、彼らからすれば「生かされてしまっているが故に自分が今苦しみや虚無感にさいなまれている」のですから。もう完全に「生を与えられることにより加害された被害者」でしかありません。



んー、まあねえ、、、。
そんな彼らからしたら、生み出し生かした主体、例えば神足る存在がいるとすれば、恨みこそすれ感謝をすることなど永劫叶わないでしょう。正直、「私に生を与えた奴、絶対に殺してやるぞ!しかもただでは殺さねえ!拷問にかけてじわじわとなぶり殺す!」と憎悪を燃やす人がいてもおかしくはないとすら思ってしまいます。
もっとも、こうした「生かされてしまった私は、人生の被害者だ!」といった被害者意識を持つと、人生が完全い自分の制御化を離れるので、健全・生産的な姿勢とはいいがたいです。できれば、虚無の中に光を見出せる柔軟な精神性を身に着けていきたいものであります。
『生かされている』が嫌いになりやすい人の4つの特徴





『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴は?



代表的なのは、以下の4つやね。
つぎは、『生かされている』という表現を嫌いになりやすい人の特徴について、見ていきたいと思います。『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴は以下の通りです。
『生かされている』が嫌いになりやすい人の4つの特徴
- 特徴①:人生の主導権を自分が握りたい
- 特徴②:過去にひどいトラウマ経験等がある
- 特徴③:社会的に孤立している
- 特徴④:論理的思考が優勢



それぞれ、詳しく見ていこう!
特徴①:人生の主導権を自分が握りたい


『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴の1つ目は、「人生の主導権を自分が握りたい」というものです。
前述のように、主体性を重視する人は、『生かされている』という受動的な感覚に強い反発を感じます。彼らからしたら、「自分の意思で選択し自分の納得いくように人生を生きたいの」ですから、外部から勝手に操作されるなんて話になったら怒り心頭でしょう。



まあ、それはそうだ。
事実、以下のメタ分析による研究では、内的統御の所在が高い人は自己効力感が強く、外部からのコントロールを嫌う傾向があると報告されています。
ちなみに逆に、内的統御の所在が高い人に関しては受動性を受け入れやすいが、ストレスが増加する傾向にあるそうです。
「補足」内的統御の所在について
「統御の所在(Locus of Control)」とは、個人が出来事の結果に対して自分の行動や努力で影響を及ぼせるかどうかをどう認識しているかを示す心理学における概念である。
統御の所在には内的統御の所在と外的統御の所在に分けられ、それぞれ簡潔にまとめると以下の様になっている。
統御の所在の分類
項目 | 内的統御の所在 | 外的統御の所在 |
---|---|---|
思考傾向 | 成功や失敗は自分の努力・能力・行動によると考える | 成功や失敗は運や他人、環境によると考える |
例 | 試験に合格したのは自分の勉強量のおかげなど | 試験に落ちたのは問題が難しかったからなど |
特徴 | 主体的で自信があり挑戦意欲が高い傾向 | 状況次第でストレスを回避できることもあるが、主体性や自己効力感が低くなりやすい |
統御の所在は行動の動機づけ、ストレス対処、学習態度、健康行動などの予測因子としてよく使われている。
特徴②:過去にひどいトラウマ経験等がある


『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴の2つ目は、「過去にひどいトラウマ経験等がある」というものです。
過去にひどい逆境(虐待、喪失、病気など)を経験してトラウマを形成してしまった人の中には、一定数、「生かされている」という表現に対して拒否反応を示す人がいます。



まあ、生きてなければ、こうした経験しなくて済んだもんね。
こうした人の全てが全て、「生まれてこない事こそがもっともいい事である」という反出生主義的な立場をとるわけではありませんが、やはり「自分は生かされている事による被害者だ」といった気持は持ちやすくなると思います。
こうした態度を「他責乙」とか「傲慢だ」と批判することは簡単ですが、実際に経験していない外野が批判するのはちょっとね、、といった気持になることもしばしばです。もっとも、立ち直れた人の言葉とて、個人差を無視しているのであまり参考になるとはいいがたいですが。
特徴③:社会的に孤立している


『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴の3つ目は、「社会的に孤立している」というものです。
社会的に孤立している方は、社会とつながっている感覚自体が希薄であるため、自分が「他人や社会によって生かされている」といった感覚にはなりにくいでしょう。そのため、『生かされている』という表現に嫌悪感や違和感のようなものを感じる事は十分ありうるはずです。



そうねえ、つながっている感覚がないと厳しいかもね。
なお、社会や他人とつながっている感覚が希薄だと、生きている意味自体も見いだせなくなりがちですし、非常に病みやすくもなるので大変危険ですね。
事実、以下のメタ分析による研究では、社会的孤立がうつ病や自殺リスクを高め、人生の目的感を低下させるとの報告があります。主体性に起因する『生かされている』への反発心ならいざ知らず、社会的孤立に起因する反発心は問題ですね、、。
参考:Loneliness and social isolation as risk factors for mortality: a meta-analytic review
特徴④:論理的思考が優勢


『生かされている』が嫌いになりやすい人の特徴の4つ目は、「論理的思考が優勢」というものです。
論理的思考が強い人は、「生かされている」という曖昧で感情的な言葉を批判的にとらえ、根拠のない「綺麗事」として嫌う傾向にあります。



そりゃそうだ。これは納得しかない。
『生かされている』という表現は、前述のようにいわゆるスピリチュアルや宗教、自己啓発系の人間が用いるのが一般的ですが、えてして彼らの主張には客観的に検証可能な基盤がありません。『生かされている』という表現などその最たるもので、かなり漠然でいったものがちな雰囲気を感じますよね。
神のような超越者の存在を仮定して、このようにさも偉そうなことを言っているのでしょうが、、正直噴飯ものもいいところでしょう。実際、以下の研究によれば、分析的思考が宗教的・スピリチュアルな信念の受容を低下させることが報告されていたりしますね。
参考: Commentary: Cognitive reflection vs. calculation in decision making.
『生かされている』と思えないならそれでいい3つの理由





やっぱ、『生かされている』とか思えないよなあ。



ふむ、別に思えないなら思えないでええんやで。
一般に、『生かされている』と思える人の方が謙虚な人格者であるとみられる向きがありますが、正直、そんな発想になれたら苦労はありません。「嫌なものは嫌」ですよね。ただ、心配はいりません。別に、『生かされている』と思えないならそれで全く構いません。
『生かされている』と思えないならそれでいい理由は、以下の通りです。
『生かされている』と思えないならそれでいい3つの理由
- 理由①:自分にとって必要がなければ問題ない
- 理由②:人生の意味は自分で見出せる
- 理由③:人にはその人にあった考え方がある



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:自分にとって必要がなければ問題ない


『生かされている』と思えないならそれでいい理由として、まずは「自分にとって必要がなければ問題ない」というものがあげられるでしょう。
『生かされている』と思えなくても、そう思えない事で何か実生活で不利益を被っていると感じてるわけでないなら、別にことさら『生かされている』と思えるようにならなくて問題ありません。



確かに、困ってないならどうでもいいわな。
正直、考え方は必要性を感じた時に、臨機応変に変えていけばいいだけです。それに、嫌いな考え方なんて、自分で色々と経験して必要性に迫られでもしない限り、変えようなんて話にはなりませんよね。
『生かされている』と思えなくても自分にとって必要がなければ問題ない
理由②:人生の意味は自分で見出せる


『生かされている』と思えないならそれでいい理由として、「人生の意味は自分で見出せる」というものもあげられます。
人生の意味は自分の意思によって、選び取ることができます。そのため、別に『生かされている』という受動的な考え方にとらわれずとも、満足のいく人生を送ることは全然可能です。



ふむふむ。
自分の意思で主体的に選択を重ねて生きていくためには、自分軸の確立、つまり「自分が人生において大事にしたいことをはっきりさせる」ことが不可欠です。それがわかればこそ、ブレずに自分の満足のいく人生を生きていくことが可能になります。
自分軸を確立したい方は、以下の記事を参考にしてみて下さいね。
『生かされている』と思えなくても人生の意味は自分で見出せるので問題ない
理由③:人にはその人にあった考え方がある


『生かされている』と思えないならそれでいい理由として、「人にはその人にあった考え方がある」というものもあげられるでしょう。
人によって性格がさまざまであるように、その人にあった人生の生き方も非実に様々です。そのため、『生かされている』と考える事で快適に生きれる人もいれば、『自分の意思によって選び取って生きていく』と考える方が快適に生きれる人もいます。



ふむ、ワイは選び取る方かな。
実際、自分に合わない主義主張で生きようとすると、かなりしんどい人生になるはずです。例えば、自分で選び取りたい人が、『生かされている』といった姿勢を前面に出して生きていったら、前述のように自分の人生の主導権を奪われているようでどうにもモヤモヤするでしょう。
同様に、『生かされている』という態度が性に合っている人が、『人生は自分で選び取り切り開くもの』という考えを前面に出せば、途中で優柔不断になったり心細くなったりするかもしれません。いずれにせよ、自分に合った考え方で、人生を生きれればそれが一番です。
『生かされている』と思えなくても人にはその人にあった考え方があるので問題ない
『生かされている』が嫌いに感じられるときに気になりがちな疑問





まだ、気になることがあるんよね。



んじゃ、最後に疑問にこたえていこうかの。
最後に、『生かされている』が嫌いに感じられるときに、気になりがちな疑問に回答していこうと思います。
疑問①:周囲にこの気持ちを理解してもらえないときは?


一般に、『生かされている』というスタンスの方が人格者であるとされる向きがいまだにあるので、中々理解されない事はあるかもしれません。その場合、この点に関しては無理に理解を求めない方が最善です。なにせ、この思想は本人の人生と密接につながっている場合が多いですからね。
もし、理解者が欲しい場合は、エックスなどsnsでタやキーワードを頼りに自分と同じ考えを持つ人を見つけて、交流するのがいいでしょう。自分が率先してコミュニティーを作って、運営するのもいいかもしれません。
疑問②:『生かされている』と思えないのは傲慢?


『生かされている』と思えないからといって、必ずしも傲慢ではありません。逆に、『生かされている』と思っていても、傲慢になる人もいるので(例:自分は運命に守られているから勝手にうまくいく等と考え他人に無配慮になる等)、こんなものは結局、本人の心がけ次第としか言いようがありません。
むしろ、「論理的思考優位かつ生命力があること」の結果かもしれません。自己中心的なありかたは、時に軋轢の元ですから注意が必要ですが、論理性優位で主体性があること自体はとてもいい事です。
『生かされている』が嫌いな人は大体人生の主導権を他人に渡すのが不快!人生の意味は自分で見出せばOK!


『生かされている』という表現が嫌いな人は、およそ人生の主導権を他人に渡すようでこの表現を嫌いなことが非常に多い印象です。確かに、「何様だ」て感じですよね。正直、人生の意味は自分で見出せばいいだけなので、『生かされている』なんて考えなくて全然大丈夫です。
もっとも、自分で人生の意味を見出し向かうべき場所を決めるとなると、日々安定した精神状態でいるように努める必要が出てきます。精神不安定では、自分でなんて人生の行き先を決められなくなってしまいますから。そのため、『生かされている』が嫌いなら、日々のメンタルケアを徹底するようにしたいものです。



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