「わたしの友人に凄くグルメで味の違いに敏感だって言っている人がいる。たまに大衆的な感じの定食屋に一緒に行くと、いつも文句打ばかり言っている。味の違いが分かるのはいいけど、不幸そうだなあ。」
ふむ、確かに不幸そうだ。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「果たして「味の違いが分かる」事は幸せに繋がる事なんだろうか?」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
味の違いが分かることは幸せなのかについて気になる人
節約をしようと考えている人
よく「わたしは味の違いがよく分かるんだ!」等と豪語する人っていますよね。
そういった人は往々にして「やっぱり大衆店の料理は食べれたもんじゃないなあ~」と言ったりしています。
でも、こういった自称「味の違いがよく分かる人」って本当に味の違いが分かるのでしょうか?
そして一番大事なことですけども、「味の違いが分かると幸せ」なんでしょうか?
断言はできませんが、「味の違いが分かる」なんて別に幸せに生きるためには必要ないでしょうし、浪費にもつながるので個人的には「味の違いになんて少し疎いくらいでいい」とすら思いますね。
そう、「味の違いが分かる」なんて料理人とかでもない限り必要ないでしょう。
では、ゆるりとおおくりします。
本当にみんな味なんてわかっているのか?
「わたしは味の違いが分かる!」等と豪語する人は、わたしたちの身の回りに結構いますよね。
しかし、そう豪語する人たちは本当に「食べ物や飲み物の味の違い」を分かっているのでしょうか?
、、、どうも、これってうさん臭くないですかね?
実は、心理学の研究の中には興味深いものがあります。
まず一つ。
「対象」
ビール愛飲者60名
「実験概要」
・8週間にわたり3種類のビールを飲んでもらい、それぞれ点数をつけてもらった。 毎日、ビールを1本ずつ飲んでもらい「とても飲めたものではない」なら0点、「とても素晴らしい」と感じるなら4点をつけてもらった。
※ビールの中身はすべて同じであり、・ラベルに書かれた価格だけが違う。
「結果」
価格が高いビールほど高い得点を得た
ふむ、「高いものは美味しいはずだ」という思い込みが作用しているんですねえ。
わたし達の多くは価格に惑わされてモノの本当の味なんて分かっていないのかもしれません。
わたしは別のブログにて紅茶のレビューについて書いていますが、正直言ってしまうとわたしは自分でいうのもなんですが「紅茶それぞれの細かい味の違いなんてよく分かんねえ」と思っています。
それに変に詳細に分かるようになりたいとも実は思っていません。
味が詳細に分かるようになってくると、「こんなまずい紅茶のめたものではない!」みたいになってしまいそうですからね。
では、2つ目。
「対象」
125名の大学生
「実験概要」
・「この飲み物を飲むと、頭が冴えてくる」といって、エナジードリンクを飲ませた。
・片方のグループのドリンクには「1.89ドル」の価格ラベルが貼られ、もう片方のグループの飲み物には「0.89ドル」のラベルが貼られた。
※中身は一緒である
・飲んだ後どちらのグループにもワードパズルを解いてもらう
「結果」
高い価格のエナジードリンクを飲んだグループでの方がより多くのパズルを解いた(高い価格の平均は9.7、安い価格は6.75)
まさか、「高価なエナジードリンクを飲んだから頭がさえる!」という思い込みによって、本当に頭がさえてしまっているんですから驚きですよねえ、、、。
まあ、いずれにしても「人間の思い込みっていろんな意味で凄いな」ってことですわな。
そして、「高いものを食べればおいしいのだ」みたいな考え方はやめにするようにしましょう。
もし、そこそこ高価なものを食べて「おいしい!」と思っても、それは単なる思い込みかもしれません。
「美味しい」に振り回されると浪費につながる気がする
個人的な意見ではありますが、「味の違いなんてよく分かるのは一流の料理人を目指している人だけでいい」と思っています。
変に舌が肥えて
「こんなまずいものを食べれるか!!」
とか
「これが食べ物?おいおい、冗談はよせよ。ゴミの間違いだろ?ゴミを皿の上に置くとは感心しないな。ゴミなんだからダストボックスに入れないとだめだろう?」
なんて言い始めたら悲劇です。
こういった事の何が悲劇かと言ったら、「美味しいと感じられるモノの範囲が極端に狭まるから」に他なりません。
美味しくないものを食べていても不幸せだし苦痛です。
紅茶を例に出すなら、ダイソーのアールグレイの味等に対して
「こんなもの嬉々として飲んでいる人の気が知れない!これを美味しいなんて言っているとしたら完全にイカレテいるわ!やっぱりアールグレイはロンネフェルトのゴールデンダージリンアールグレイに限るわ!」
等と言っていたらどうでしょう?
あくまでコストという面で考えたら、ダイソーのアールグレイは一杯につきおよそ10円くらいですが、ロンネフェルトのゴールデンアールグレイとなると一杯当たり3gほどの茶葉を要するため一杯当たりのコストは72円以上になります。
この場合、ダイソーのアールグレイで十分に美味しいと思える人であれば、一杯10円で幸せになれますね。
対して、ロンネフェルトのアールグレイの味でないと受け付けない人は、72円以上かけないと幸せになれないという事が起こります。
確かに、ロンネフェルトのゴールデンアールグレイは非常に美味しいです。
それは間違いないですね。
しかし、あまりに味の違いが分かって「美味しいものしか受け付けない」みたいになると、それこそ「あげた生活水準は中々低くできない」というのと同じ現象が起こると思いますね。
まあ、お金がそれなりにあるのならいいのかもしれませんが、あまり「美味しい」という感情に振り回されるのは人生においてよろしくないかなって気がしております。
もちろん、節約にもよくないしね。
あまり食にお金を使うのは個人的に賢いと思えないんですよな、、。
これは資産が増えても同じことだと思いますね。
それに「幸せを感じるハードル」を自分で上げてしまうのですから、どうしたものかって思いますなあ。
まあ、月並みな意見ですけども、理想は「毎日何か食べれるだけで感謝や幸せを感じられる事」ですね。
、、、、むつかしいでしょうけどねえ、、、。
おわりに
この記事は「果たして「味の違いが分かる」事は幸せに繋がる事なんだろうか?」と題しておおくりしました。
「味の違いなんてわかる!」等と豪語する人が本当に分かっているかは非常に怪しいです。
実際は、「ただ単に価格に惑わされているだけ」かもしれません。
それに「味の違いなんてそんなに分かるようになる必要はない」と思います。
というのも、あまり味の違いが分かるようになると、おそらく「おいしい」と感じられる食べ物の範囲が極端に狭まりますからね。
理想は「毎日何か食べれるだけで感謝や幸せを感じられる事」ですよねえ、、、、。
ちと、わたしもこれは、、、むつかしいなって思っている次第。
まあ、過度に味の違いなんて分かるようになんてならんでいいですわな。
ではね!
参考記事等
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