人が人である理由とは?人が人である理由を考える3つの視点!

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にゃるもん

人が人である理由って、なんなん?

ぐれん

自分が人であるとの自己認識やな。

人が人である理由については、一度くらいは気になったことがある人も多いかと思います。まじめに答えようとすると、かなり難解な問いです。実際、この問いに明確な根拠をもって断言できるほどの結論は現状存在しません。まあ、そんな事でできたら世紀の大発見でしょう。

ただ、そんな感じではあれど、あえて人が人である理由について、結論を出すとしたならどういった結論が可能なのか気にはなりますよね?私なりの結論としては、人が人である理由は「自分が人であると思えること」に尽きると思います。

人が人である理由
ぐれん

最近のAiの発展は、ますますこの問いを難解にしているね。

「人が人である理由は何か?」という問いは、「答えのない問い」の代表例ですが、この問いに答えを出そうとする作業自体は、メンタルの安定のために非常に効果的です。そのため、ストレス解消法を探している方は、週に一回程度を目安に試してみてもいいでしょう。

さらに言えば、ストレス解消法には相性もあるので、できる限り自分に合ったものを沢山ストックしておくのが大事です。沢山対処法があれば、それもまたストレスの緩和に役立ちます。とはいえ、自力でそうしたストレス解消法を見つけてストックするとなると、なかなか大変ですよね?

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目次

人が人である理由とは何か?

にゃるもん

人が人である理由って、結局何なん?

ぐれん

究極的には、「自分は人であると思える事」やね

まず、結論から行ってしまうと、人が人である理由は「自分は人であるという自己認識」に求める事ができます。おそらく、異論はたくさんあると思います。しかし、最近急速に進むAI含むテクノロジーの発展を加味すると、どうしても個人的にはこの結論にたどり着くんですよね。

私は、人が人であるためには現状、以下の2つの要素が不可欠であると思っています。

  • クオリア
  • 連続した自己意識

まずは上記について、それぞれ述べていきたいと思います。

クオリア

クオリア(感覚質)とは、意識的な経験に伴う「主観的な感覚」や「感じ」のことであり、簡単にまとめると「あるものを体験するときに感じる、その人だけの内面的な感覚」の事です。

例えば、以下のようなものがクオリアの例です。

  • 赤いリンゴを見たときの「赤さ」の感覚
  • コーヒーの香りを嗅いだときの「その香りの感じ」
  • 痛みを感じたときの「痛い」という主観的体験

そして、このクオリアには以下の4つの特徴があります。

クオリアの特徴

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特徴簡単な説明
主観性特定の個人にしか体験できないということ
内在性意識の中で直接感じられるもので、外部から観察できないということ
不可言性言葉で完全に説明することができないこと。例:「甘さ」を知らない人に、砂糖の味を言葉だけで伝えるのはほぼ不可能
必然性意識的な経験には必ずクオリアがともなうということ

人間の意識やアイデンティティーはこうした特徴を持つクオリアの積み重ねによって、成立していきます。

ちなみに、クオリアに関連して、哲学的ゾンビという概念があり、これも「人が人である理由」を考える上では、重要な示唆を与えてくれるものです。

にゃるもん

ん?哲学的ゾンビ??なんか奇妙な言葉、、。

哲学ゾンビは、心の哲学で使われる思考実験の概念であり、物理的・行動的には完全に人間と同じだが、意識やクオリアを全く持たない存在を意味しています。そのため哲学的ゾンビには、以下のような特徴があるとされていますね。

哲学ゾンビの特徴

  • 見た目、行動、話し方、反応が普通の人間と全く同じ
  • 脳の構造や機能も人間と同一
  • 内面的な意識や主観的な「感じ」(クオリア)が完全に欠けている

上記から、人と哲学的ゾンビを明確に分かつものは、クオリアの欠如という事になります。例えば、哲学ゾンビが「熱い!」と叫んでも、実際に熱さの感覚(クオリア)を体験していません。彼はただ、熱いものに触れたときにそう反応するようプログラムされたロボットのような存在なのです。

最近、よく議論される「AIは意識を持っているのか?また持ちうるのか?」といった内容を考える上では、非常に大事な話といえますね。

連続した自己意識

自己の連続性とは、個人が時間を通じて「自分は一貫した存在である」と感じ、過去・現在・未来の自己を一つの「物語」として統合する能力や感覚のことです。

そのため、もし自己が連続していないとすると、体は確かに生きているのに記憶が引き継がれないので、本人からすると毎日「今日生まれて人生を始める」に近いような感覚をもつことになるでしょう。

にゃるもん

はあ、、なんかややこしいね。

つまり、昨日の自分と今日の自分、明日の自分はそれぞれ独立した他人という事になってしまいます。いや、下手したら一秒やそれ未満先の自分とその前の自分は同じではないという事すらできるでしょう。これでは主観的経験を、積み重ねて独自のアイデンティティーを形成していくことができません。

また、自己の連続性がないと、人が継続的に自己の存在を定義しようとするプロセスも実行不可能です。人は主観的経験を通じ自分独自の物語を紡ぎ、そのプロセスにおいて常に自己の再定義を試みます。この「自分は何ものか」を問うプロセスあってこそ、自我を確実なものとする事ができると思うんですね。

結論:人が人である理由は「自分は人であるという自己認識」

私は、先ほどふれたように、人が人である理由は結局は「自分は人であるという自己認識」に求めるしかないと思います。そのうえで、私は人間をあえて定義するなら、「クオリアに基づき紡いだ自分という物語を認識する時間的連続体としての自己」になろうかと思いますね。

というのも、人間は、クオリアを通じて世界を体験し、自己の連続性により過去・現在・未来を一貫した「自分」として統合し独自に物語を紡良く存在だからです。倫理性や社会性を人間らしさに据える向きもあると思いますが、サイコパス等反社会性人格障害者の存在を考えると少し不十分な感があります。

にゃるもん

サイコパスって、かなり動物的だしなあ。

そして、最近のAI等テクノロジーの発展によって、人の身体機能や遺伝情報の拡張・改変の可能性が現実味を帯びてきています。このような現状では、生物学的な特異性をもとに、異種族と人類を分類する試みはあまり意味を持たなくなってくるでしょう。ひょっとしたら、人は将来エネルギー生命体になるかもしれませんし、、。

そうなると、結局は、「私は人である」という自己意識だけが当人を人たらしめる唯一の要素となる気がします。当然、その自己意識は前述の自己の連続性とクオリアに支えられていると考えられます。

人が人である理由を考える3つの視点

にゃるもん

人が人である理由を、他の視点から考えてみる事はできんか?

ぐれん

哲学、社会・文化、科学それぞれの視点から見てみるかな。

さきほどは、「人が人である理由」についての私なりの結論をお伝えしました。ただ当り前ですが、人が人である理由は、見方によってかなり結論が違ってきます。なので、人が人である理由は、人の数だけ答えがあるとすらいえるかもしれません。

そこで、ここでは哲学と文化、科学それぞれの視点から見た場合、人が人である理由をどう考えられるのかについて、少し考えていきたいと思います。自分なりの理由を見出す際の参考にしてみてください。

哲学的視点

人が人である理由を哲学的に考える際は、「意識」と「自由意志」が中心的なテーマになります。例えば、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、自己意識が人間の本質を定義する事を示唆する表現ですね。

また人は自らの存在を認識し、思考を通じて世界や自己を理解する能力を持ちますが、これが他の動物と一線を画す特徴といえるでしょう。サルトル等実存主義者が言う所の「人は自由意志をもち、自己の意味を自ら作り上げていく」という話ですね。

にゃるもん

自由意志と意識かあ、、。

ちなみに、現代では、ハイデガーの「存在への問い」が示すように、人が世界との関係性の中で存在を問い続けることも、人間性の核心とされています。

哲学的視点では、人間を単なる生物学的存在を超えた意味を求める存在としてとらえるのが、基本的な方向性といえるでしょう。

社会・文化的視点

社会・文化的視点からは、人が人である理由は、集団の中で形成されるアイデンティティや文化等に求められます。社会・文化的な視点では、人を「家族、コミュニティ、国家といった枠組みの中で自己を定義する社会的な動物」との前提に立って、理由を考えていくのが基本路線です。

文化は言語、宗教、芸術、慣習を通じて人間に意味や目的を与え個人の行動や価値観を形作り、物語や伝統を通じて、世代を超えて知識や価値を継承していきます。たとえば、ホッブズやルソーは、社会契約を通じて人が秩序や道徳を構築すると論じていますね。

にゃるもん

ホッブズ、、リバイアサンが有名だよね。

そして、社会学的に見れば、役割や地位(親、教師、市民など)が人を定義し、相互作用を通じて自己が形成されます。例えば、マルクスは、労働と社会関係が人間の本質だと考え、経済構造が人々の意識や行動を規定するとしていますね。

このように、社会・文化的な文脈からは、人が人である理由は、社会的相互作用と文化的文脈の中で形成されるアイデンティティと価値観という方向性から考える事になります。

科学的視点

社会・文化的視点からは、人が人である理由は、生物学的・進化的な特徴に求めるのが現状の基本路線でしょう。

人間、つまりホモ・サピエンスは、約30万年前に進化した種で脳の大きさと複雑さが特徴で、人間と動物との違いは以下のようにまとめられます。

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項目人間(ホモ・サピエンス)他の動物
脳の構造大きく発達した前頭前皮質(抽象的思考、計画性、自己意識を司る)前頭前皮質は小さいまたは未発達、複雑な思考は限定的
言語能力複雑な言語(文法、抽象概念の表現、FOXP2遺伝子の影響)基本的な鳴き声やジェスチャー、複雑な言語なし
意識・自己認識高度な自己意識(鏡テスト通過、自己の存在を認識)一部の動物(チンパンジー、イルカなど)は限定的な自己認識
道具の使用高度な道具作成・使用(文化や技術の進化を促進)単純な道具使用(例:チンパンジーの棒使用)に限られる
社会性複雑な社会構造(文化、法律、経済システムを構築)単純な群れや階級構造(本能に基づく)
共感・協力ミラーニューロンによる高度な共感、利他的行動共感は限定的、生存本能に基づく協力が主
文化・知識の継承言語や文字で知識を蓄積・次世代へ継承本能や模倣による限定的な学習、文化的蓄積なし
環境操作文明構築(都市、技術、科学の発展)環境への適応が主、積極的な改変はほぼなし

ただ、意識の完全な仕組みは未解明ですし、最近のAIや再生医療を始めた技術の開発の進展や、人格をデータとして保存しようとする試みなどから、そもそもの人間の定義とは何なのかが不明確になってきつつあります。

例えば、AIがASI(超知能)やAGI(汎用人工知能)となって一見して人格を持っているかのように振る舞うようになった場合、そこに人格、つまり意識があると認定できるのか、また、データ化された人格はオリジナルの肉体に宿っていた人格と同じなのか?AIとの統合により個の人格はどうなる?、、等いろんな疑問が出てきますよね。

にゃるもん

んー、、、もう何が何だかだね。

これは、先ほどふれた哲学的ゾンビの話ですよね。AIは一見、意識を持ちわれわれと同じように振る舞ってはいても、彼らがクオリアをもっているのかを証明できない、、ということです。

科学の進展につれて、いつか改めて人間の言う生命体の定義を決め直さなければ、ならない時が来るのかもしれません。そのときは、ホモサピエンスからホモデウスになるんですかね、、知らんけど。

人が人である理由を問う事によるメリット3選

にゃるもん

人が人である理由を問う事で、何かメリットあるかね?

ぐれん

人が人である理由を問う事には、以下のメリットがあるね。

人が人である理由に関しては、前述のように、普遍的な答えがありません。そのため、人によっては「普遍的答えなんてないのに人が人である理由なんて考えて意味あるんか?」と思うでしょう。

ただ、実は人が人である理由を考える事には以下のようなメリットがありますので、一週間に一度くらい考えてみるのがおすすめだったりします。

人が人である理由を問う事によるメリット3選

  • メリット①:倫理的判断力の向上
  • メリット②:ストレスを減らせる
  • メリット③:異なる思想に寛容になれる
ぐれん

それぞれ、詳しく見ていこう!

理由①:倫理的判断力の向上

人が人である理由を考える事のメリットの1つ目は、「倫理的判断力が向上する」というものです。

「人が人である理由は何か?」と考える時、人は往々にして倫理や道徳といった人間性に深くかかわる内容について考える事になります。

にゃるもん

確かに、考えがちかも。

その際に、個人差はあるものの、社会の一員としての自身の在り方などを再考する事になるので、他者と共存するためにはどうあったらいいか等を改めて考えるいい機会となるでしょう。

理由②:ストレスを減らせる

人が人である理由を考える事のメリットの2つ目は、「ストレスを減らせる」というものです。

以下の研究では、「答えのない問い」(例:人生の意味や自己の存在理由)を考える行為が、ストレスをポジティブな視点で再構築し、精神的・身体的健康を向上させる可能性を示唆されています。

参考: Embracing stress is more important than reducing stress, Stanford psychologist says | Stanford Report

にゃるもん

そうなのか、、意外だなあ。

ただ、答えのない問いを考える頻度があまりにも増えすぎると、それはそれで心を病んでしまう可能性があります。そのため、答えのない問いを考える頻度については、気を配るべきでしょう。

あまり、確定的な事は言えませんが、一週間に一度くらいの頻度から始めて最大3回くらいまでの間で調整するのがいいと思います。


理由③:異なる思想に寛容になれる

人が人である理由を考える事のメリットの3つ目は、「異なる思想に寛容になれる」というものです。

というのも、人が人である理由を考えることによって、異なる文化や価値観、信念体系が存在する事を知り、それらを理解するきっかけとなるから。

にゃるもん

確かに、いろんな視点がわかると考えは柔軟になるよね。

事実、 異なる文化や思想の多様性を理解することによって、他者の信念を尊重する態度が育まれる傾向はあります。

また、いろんな視点がある事を知ることで、「自分の知らない事や視点が世の中にはこんなにもあるのか」などと感じて、謙虚な姿勢が身につくことも考えらえます。実際、無知の知を良く知る人の方が、賢いし物事を安易に断定せず謙虚ですよね。

人が人である理由を考える時によくある質問

にゃるもん

まだ、気になる事があるんよね。

ぐれん

んじゃ、最後に疑問に答えていこう!

最後に、人が人である理由を考える時によくある質問について、回答していきたいと思います。

質問①:自分らしさとは何?

自分らしさとは、一言でいうと「個人の価値に基づき、文脈に応じて変化し続ける動的なプロセス」です。そのため、自分らしさとは不変の自己概念を意味しません。

自分らしさについて、さらに詳しく知りたい方は以下の記事を見てみてくださいね。

参考:自分らしさがわからない?自分らしさの見つけ方簡単3ステップ!

質問②:人間性を失うとはどういうこと?

人間性を失うとは、一般的には自己反省や倫理的判断を失い、動物的な本能だけで生きる状態です。例えば、戦争や犯罪を通じて、人間は人間性を失うとされていますね。ただ、人間性は常に文化や社会とのつながりの中で培われていくので、人間性が完全に失われるという事はないでしょう。

人が人である理由は自分が人であると思えること!ただ定期的に人が人である理由を考えるとメリットがあるのでおすすめ!

人が人である理由に、明確な答えは誰も出せていないのが現状です。ただ、私があえてこの答えのない問いに答えを出すとするなら、それは「自分が人であると思えること」に尽きると思います。以前の私であれば、おそらく倫理性や理性、知性といったものに答えを求めたかもしれません。

しかし現在、私はAI含むテクノロジーの目覚ましい発展を目の当たりにして、もはや人間を人間たらしめるものを知性や倫理等に求めるのは無理があると思うようになりました。なお、こうした問いに答えようとすること自体にストレス解消のメリットがあるので、定期的に思索してみるのがおすすめです。

ぐれん

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