おにぎり人を傷つける人には、バチがあたるん?



必ずしも、そうはならんのよね。
「人を傷つける人にはバチが当たるものだ」という考えは因果応報論によるものですが、世の中には人を散々傷つけて、もっと言えば、死に追いやってすらのうのうと生きている人など普通にいます。そんな状況ですんで、因果応報論には存在していてもらわないと気が、済まないという方も多いはずです。
そんな感じですから、人を傷つける人にはバチがあたるのかついて、気になりますよね?結論から言うと、人を傷つける人に必ずしもバチがあたりません。その理由としては、以下のようなものがあります。
人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由





世界は必ずしも公正ではないって事が、大きいね。
人を傷つけていてものうのうと快適に過ごしている人は世の中に沢山おり、こうした人には「必ず後でバチが当たる」と思いたくなるものです。ただこの世界は必ずしも公正ではないので、因果応報を信じて無理やり留飲を下げようとするよりも、自分の人生に集中するのが大事ですね。
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人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由





人を傷つける人に必ずしもバチは、当たらないもんなん?



せやな。かならずしも、当たらんね。
まずは、人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由について、見ていきたいと思います。人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由は、以下の通りです。
人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由
- 理由①:世界は必ずしも公正ではない
- 理由②:短期的には得をする加害行動が存在する
- 理由③:報いは間接的にしか起きないことが多い



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:世界は必ずしも公正ではない


人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由の1つ目は、「世界は必ずしも公正ではない」です。
人はそもそも「悪いことをした人は罰を受けるはずだ」と考えやすい傾向がありますが、これは公正世界信念という心理傾向と深く関係しています。
公正世界信念とは「世界は公平であり、努力や善行は報われ、悪行は罰せられる」と信じる心理傾向のこと



ふむ、公正世界観念かあ。
ちなみに、この公正世界信念は不確実な世界を理解しやすくし、心理的な安定感を与える一方で、現実そのものが常に公正であることまでは保証しないとされています。
ようは、人間は本能的には「この世界は公平である」と感じやすいが、現実はそうではないよねという冷静に考えれば当たり前の話というわけです。なので、この世界には歴史上、散々人を大量虐殺しておいて、割と普通の死に方をしたような人間とか割といるんですよね。
この代表例が以前の記事でも取り上げた、ナチスの死の天使ことヨーゼフメンゲレでしょう。彼はあの悪名高いアウシュビッツ収容所であまたの人体実験を行いましたが、戦後は亡命し最後は海水浴中に溺死しています。
参考
彼が行った非道な行いからしたら、まるで報いを受けているとは言えませんよね。まさに彼の存在は「この世界には神も仏もない」という事の証明といえます。
理由②:短期的には得をする加害行動が存在する


人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由の2つ目は、「短期的には得をする加害行動が存在する」です。加害的な人が短期的に得をすることは、残念ながら珍しくありません。
たとえば、ダークトライアドと仕事行動を扱ったメタ分析では、こうした邪悪な特性が対人摩擦や反生産的行動と結びつきやすいものの、状況によっては一時的に成果を出して見えるといわれれますからね。とはいえ、長期的な質の高い仕事ぶりとは安定的に結びつかないのは重要な点です。
参考:A meta-analysis of the Dark Triad and work behavior: a social exchange perspective
要するに、短期的にみると、「人を傷つけるような攻撃的な当たり」や「押しの強さ」が有利に働く場面があるという事ですね。まあ、「やたらと推しが強いパワハラ野郎が謎に出世している」みたいな事態がそれですな。



んー、胸糞すぎる!!
こうした高い地位についたクソ人間が普段の理不尽な行動がたたって、失脚する可能性もゼロではありません。しかし、一と高い地位を得てしまうと、その地位などによって守られるようになって、失脚しにくくなるor仮に失脚してもそこまで痛手にならない、、なんてこともないとは言えません。
そのため、人を傷つける人にバチが当たる可能性があるのは間違いないものの、当然バチが当たらない可能性は以前残っているといえるでしょう。
理由③:報いは間接的にしか起きないことが多い


人を傷つける人に必ずしもバチがあたらない理由の3つ目は、「報いは間接的にしか起きないことが多い」です。現実のバチは、雷のように落ちるのではなく、じわじわ効くことが多い傾向にあります。
ちなみに、社会心理学では他者を傷つける行為は評判の低下、信頼の喪失、情報共有の減少、協力関係からの排除などといった形で後から効いてくるとされますね。
参考:Direct punishment and indirect reputation-based tactics to intervene against offences



ふむ、これはわかるねえ。
そのため、人を傷つける人に対してバチが当たることがあるとしても、被害側からしたら「何も起こっていないのではないか、、」と思ってしまうこともあるわけです。罰が当たっていても、そのバチが当たっている事態が可視化されないとしたら、因果応報なんてないと感じても無理はないというわけですな。
これは因果応報が存在しない事の理由として扱うには、なんか違う気もしますが、自分が認識できない事実はその本人にとっては「ないものと同じ」ですから、一応、因果応報がない理由の中に含めてもいいと思います。
人を傷つける人に当たる現実的なバチ4選





人を傷つける人に当たる現実的なバチには、どんなもんがあるん?



せやな、現実的には以下の4つかな。
つぎは、人を傷つける人に当たる現実的なバチについて、見ていきたいと思います。人を傷つける人に当たる現実的なバチは、以下の通り。
人を傷つける人に当たる現実的なバチ4選
- 信頼の毀損による長期的な排除
- 評判の低下
- 社会的報復を受ける
- 認知の歪みや孤立感の強化



それぞれ、詳しく見ていこう!
信頼の毀損による長期的な排除


人を傷つける人に当たる現実的なバチの1つ目は、「信頼の毀損による長期的な排除」です。
前述のように、人間社会では信頼がもっとも重要な資源のひとつであり、加害的な行動を繰り返す人は、直接言われなくても「この人は危ない」、「任せにくい」という評価を受けやすくなってしまいます。



ふむ、それはそうよな。信用できんよな。
具体的に言うと、職場であれば周囲が「関わると損だ」と学習すると、情報が集まらない、援助が得られない、重要な場に呼ばれないといった形でじわじわ不利になっていきますね。こうした信用の失墜といった形で、人を傷つける人にバチがあたることはあります。
参考:Workplace bullying and turnover intentions among workers: a systematic review and meta-analysis
評判の低下


人を傷つける人に当たる現実的なバチの2つ目は、「評判の低下」です。
先ほどの内容と重複するところもありますが、人を傷つける人はえてして「あいつは他人を積極的に害するような奴だ」等といった悪名がたつこともしばしば。



そらそうよな、悪いことしてたら話題にもされるわ。
評判は現代社会においてはある種通貨のようなものですから、悪名が立つのは結構なダメージです。実際、他人の不正や反社会的行動に対して、人は直接罰するだけでなく、評判に影響する形で間接的に制裁を加えられるといわれていますね。
参考:Direct punishment and indirect reputation-based tactics to intervene against offences
ただ前述のように、評判の低下は「今すぐ」ではなく、時間差で起こりやすいので人を傷つける人に対して罰が実際にあたるまではそれなりに時間がかかります。
実際、昔の言動が、数年後に別の文脈で見直されて発火するのは珍しくありませんしね。
社会的報復を受ける


人を傷つける人に当たる現実的なバチの3つ目は、「社会的報復を受ける」です。
当然のことですが、傷つけられた側が泣き寝入りをしているだけとは限りません。中には、多少コストがかかっても自分を傷つけてきた相手に一矢報いようと反撃をすることがあります。



ふむ、確かに、やり返さないとって人おるよな。
実際、他者がルールを破ったり不公平を働いたりすると、人はコストを払ってでも罰することが示されており、これは利他的罰と呼ばれていますね。人間には、他者の加害を見逃さないという社会的本能があるわけです。
暴力に訴えた報復もあるかもしれませんが、やはりメジャーなものは訴訟によるものでしょう。訴訟による報復のうち、特に「暴行や障害」など刑事にまつわるものは致命的ですよね。一旦、こうした暴力系の罪で訴追されて有罪になってしまうと、社会復帰はかなり困難になりますから。
このような形で、人を傷つける人に罰が当たることもあるでしょう。
認知の歪みや孤立感の強化


人を傷つける人に当たる現実的なバチの4つ目は、「認知の歪みや孤立感の強化」です。
人を傷つけるような加害的行動を続ける人は、周囲から距離を取られることで、結果として孤立しやすくなります。その結果、前述のように評価や信頼が低下したり周囲から距離をとられたりして、孤独感をつよめていくことになるでしょう。



事実、排除は悲しみや怒りを生み、人の本能に基本的に備わっているとされる所属欲求を脅かすとされています。孤立が強まると、他者への不信や被害的解釈が増えて、さらに人間関係が悪化する悪循環に入りやすいですね。
参考:Ostracism
ちなみに、怒りの反すうや復讐的思考は、攻撃性と結びつきやすいことが報告されているので、加害者自身の内面にも「また誰かを傷つける」「また孤立する」という循環が生じやすいといえます。これは外から見えにくい、かなり現実的なバチといえるでしょう。本当に、自滅的でおわっています。
人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリット





人を傷つける人には、バチがあたると考える事のメリットって何?



ふむ、メリットは以下の3つやな。
つぎは、人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリットについて、見ていきたいと思います。人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリットは、以下の通り。
人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリット
- メリット①:世界の予測可能性を高め不安を下げる
- メリット②:被害体験に意味づけができる
- メリット③:直接的報復を抑制できる



それぞれ、詳しく見ていこう!
メリット①:世界の予測可能性を高め不安を下げる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリットの1つ目は、「世界の予測可能性を高め不安を下げる」です。
「人を傷つける人にはバチが当たる」と考えると、人は「この世界には公平性が担保されている」と信じられるので、安心感を得ることができます。ちなみに、こうした公平な世界を信じる信念の事を公平世界信念といいますね。



ふむ、確かに安心はできるね。
というのも、公平性が担保されているという意味で「理解できる世界」に住んでいる感覚がもてるので、不確実性へのストレスを下がるからです。
前述の通り、人にはそもそも公平性を求める本能があるため、「人を傷つけた人にはバチが当たる」と考える最も大きなメリットはこの「世界の予測可能性を高め不安を下げる」というものといえるでしょう。
メリット②:被害体験に意味づけができる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリットの2つ目は、「被害体験に意味づけができる」です。
理不尽な対応を受けて傷ついたとき、それをただ単に「他人に傷つけられて精神的損害を受けた」と解釈してしまうと、どうにもやりきれない気持ちになりますよね。なんというか、「一方的になんで自分がこんな損害を負わされなければいけないのだ」といった気持にもなるでしょう。



そんな時に、「あんな理不尽な行いで人を傷つける人にはいつか報いがある」と考えれば、被害のただ中にある無力感が少し和らぐことがあります。これは、出来事を意味づけ直す認知的再評価に近い働きといえるでしょう。
メリット③:直接的報復を抑制できる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のメリットの3つ目は、「直接的報復を抑制できる」です。
「自分が今すぐやり返さなくてもいい」と感じられることは、衝動的な攻撃を抑える効果があります。



確かに、自分が直接手を下さなくても罰せられるわけやもんな。
もし、誰も因果応報など信じなかったら、「自分の無念は自分で晴らす!」という事で割とカオスな社会状況になりそうな気もしますよね。まあ、だから警察や司法といった公権力の存在が大事なわけですが、、。
とりあえず、自分が損をしても理不尽な行動をするものに罰を与えようとする行為(利他的罰)や評判経由での制裁が社会秩序を支えるため、バチ信仰は社会秩序の形成に一役買っているとは言えましょう。
人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリット





人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットとは?



ふむ、デメリットについては、以下の5つが考えられるね。
つぎは、人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットについて、詳しく見ていきたいと思います。人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットは、以下の通りです。
人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリット
- デメリット①:現実認識の歪みが加速する
- デメリット②:被害者へ自己責任バイアスをもちやすくなる
- デメリット③:加害に対する危機感が薄れる
- デメリット④:ストレスが長期的に維持されやすくなる



それぞれ、詳しく見ていこう!
デメリット①:現実認識の歪みが加速する


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットの1つ目は、「現実認識の歪みが加速する」です。
前述のように、「人を傷つける人にはバチが当たる」と因果応報論を信じることにはそれなりにメリットがありますが、この信念が強すぎると、「悪いことをした人は必ず失敗するはずだ」という単純化が起こります。



まあ、それはそうやろな。
ただ実際の現実は、そんなに単純ではありません。先ほどのメンゲレの例のように、まるでまともにその悪行に釣り合った報いなど受けずに、のうのうと生きている連中もたくさんいます。そのため、あまりに因果応報論に傾倒するという事は、「現実へ適応できなくなる」という事を意味するんですよね。
デメリット②:被害者へ自己責任バイアスをもちやすくなる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットの2つ目は、「被害者へ自己責任バイアスをもちやすくなる」です。
公正世界信念の副作用として有名なのが、「お前がそんな被害にあったのはお前の日頃の行いに問題があったからだ」という被害者非難でしょう。



ああ、、行き過ぎた自己責任論やん、完全に。
あまりに「人を傷つける人にはバチが当たる」みたいな因果応報論に傾倒していると、「加害されるには加害されるだけの相応の理由があるから被害にあうのは自己責任」みたいな発想になりがちです。
実際、因果応報論に系とする事で「何か悪いことをしたからこうなったのでは」と考えやすくなって、加害と被害の構造を取り違えやすくなることは研究でもは繰り返し示されています。
デメリット③:加害に対する危機感が薄れる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットの3つ目は、「加害に対する危機感が薄れる」です。
「人を傷つける人にはバチが当たるものだ」などと因果応報論に傾倒していると、「自分が受けた損害はいつか相手に返っていきつじつまが合う」と感じる事で、加害に対する防衛意識が格段に低下するリスクがあります。



ふむ、なるほど。
具体的に言うと、「そのうちバチが当たる」と思うと、「境界線を引く」、「証拠を残す」、「距離を置く」といった現実的な対処が遅れることがあるわけです。たとえば、職場いじめや社会的排除は待っていて自然に解決するとは限りませんから、きちんと対策する必要があります。
参考:Workplace bullying and turnover intentions among workers: a systematic review and meta-analysis
デメリット④:ストレスが長期的に維持されやすくなる


人を傷つける人にはバチがあたると考える事のデメリットの4つ目は、「ストレスが長期的に維持されやすくなる」です。
前述の通り、「人を傷つける人にはバチがあたる」といった因果応報論は、現実では必ずしも正しく機能しません。そのため、いくら待てど暮らせど、まったく自分や他者を傷つけた人間が報いを受けない、、、といった事はしばしばある事です。



そうねえ、悲しいけどしょうがないよね。
報いを待つ発想は、裏返すと「まだ来ていない」という確認作業を続けることでもあります。その結果、怒りの反すうや復讐イメージが長引きやすくなるといえるでしょう。
怒りの反すうは攻撃性やストレスと結びつき、メンタル面の負荷を増やすので、因果応報論を信じると無用なストレスを長期的に抱えることになりかねません。
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事





人を傷つける人には、バチがあたってほしいと思ってまうわ。



思うこと自体はしゃーないが、それより大事なことがあるねん。
つぎは、人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事について、詳しく見ていきたいと思います。人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事は、以下の通りです。
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事
- 結果より構造を見る
- 加害者が罰せられるのを待つのではなく環境を変える
- 公正感より長期的損益で考える
- 自分軸を確立し自分の人生に集中する



それぞれ、詳しく見ていこう!
結果より構造を見る


人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事の1つ目は、「結果より構造を見る」です。
「人を傷つける人にはバチがあたる」等といった因果応報論に傾倒すると、前述のように現実への適応という面で不適応を起こしがちです。これでは、加害傾向の強い悪人への警戒心が薄れて、搾取されてしまうリスクが高まるでしょう。



せやなあ、警戒心が薄れるのは問題やな。
大事なのは「誰が悪いか」だけではなくて、「なぜその加害が起きたのか」という視点です。人の行動は性格だけでなく、組織文化、権力差、報酬設計、周囲の沈黙によって大きく左右されますからね。
参考:A meta-analysis of the Dark Triad and work behavior: a social exchange perspective
そのため、因果応報論に傾倒することよりも結果の背景にある構造をしっかりと見据えて行くのが、大事といえるでしょう。
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論よりも結果より構造を見るのが大事
加害者が罰せられるのを待つのではなく環境を変える


人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事の2つ目は、「加害者が罰せられるのを待つのではなく環境を変える」です。
行動科学の観点では、事後の罰より事前の予防のほうが効率的といえます。実際に攻撃を受けて被ってしまった損害をリカバリーするのはしんどいので、損害なんてそもそもなければないほどいいですからね。



ふむ、確かに、損害なんてなければないほどいいわな。
そのため、因果応報を黙って待っているよりも、先手先手を打って加害リスクが高そうだと思うような人から距離を取る、記録を残す、相談先を確保する、接触頻度を下げる等といった環境調整を行うことが欠かせません。
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論よりも環境を変えるのが大事
公正感より長期的損益で考える


人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事の3つ目は、「公正感より長期的損益で考える」です。
気持ちの上では「相手が報いを受けること」が大事ではありますが、実務では自分の消耗を最小化する方が重要となりますよね。



相手の罰を待つより、自分の時間・注意・信用を守るために現状何ができるかを考えて動いた方が、長期的にははるかに高コスパです。
参考:Psychological Flexibility as a Fundamental Aspect of Health
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論よりも長期的損益で考えるのが大事
自分軸を確立し自分の人生に集中する


人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論より大事な事の4つ目は、「自分軸を確立し自分の人生に集中する」です。
心理的に安定している人ほど、「相手がどうなるか」ではなく「自分は何を守り、何を育てるか」にエネルギーを使うものですし、実際そうした方が賢明といえます。ようは、「自分の人生の時間も体力も限られているんだから、全部自分のために使いなさい」という事ですね。



ふむ、確かにそうれはそうやな。
そのため、自分の人生に集中するのが大事なわけですが、人生に集中するためには何をおいても「自分の大事にしたいもの」を明確にして、それに沿って生きるようにするのが重要となります。
自分の大事にしたいものを見つけたい方は以下の記事を参考に、大事にしたいものを探してみるといいでしょう。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/37585667/?utm_source=chatgpt.com
人を傷つける人にはバチがあたるという因果応報論よりも環境を変えるのが大事
人を傷つける人にはバチがあたると思いたい時にありがちな疑問





まだ気になることが、あるんよねえ、、。



んじゃ、最後に疑問について、答えていこう。
最後に、人を傷つける人にはバチがあたると思いたい時にありがちな疑問について、答えていこうと思います。
疑問①:人を傷つけた人は本当に何の罰も受けない?


人傷つける人に必ずしも罰が、当たるわけではありません。しかし、何も起きないように見えても、信頼の低下や協力の減少、離職や孤立など、時間差のコストが積み上がることは少なくありません。
つまり、遅れてよく見えない形でバチが当たるというのが多い傾向にあるわけです。
疑問②:なぜ悪い人が得をしているように見える?


前述のように短期利益だけを見ると、加害的な人が勝っているように見えることがあります。実際、目先の利益を最大化したいだけであれば、自己中で他人を食い物にした利踏み台にした方がいい場合も実際あるものです。
極端なたとえですが、短期間で沢山のお金が欲しいだけなら、情報弱者をだまして金をせしめた方が堅実に会社員をして働くよりも効率的かもしれないってかんじでしょうか。
ただ、長期的な目線でみるとそういった人達が、かならずしもその先も有利な立場でいられるとは限りません。悪人は必ず報いを受けるなんてことはないとしても、悪人が報いを受ける事もそれなりにありますからね。
疑問③:バチが当たると信じることは悪いこと?


「人を傷つける人には罰が当たるものだ」等と因果応報論を信じること自体に善悪などありません。信じ長ければ信じればいいし、信じたくなければ信じなければいいだけです。
それに、前述のように因果応報論を信じる事にはメリットもあるにはあるので、全否定するほどの事はないでしょう。ただし、現実認識を歪めたり、被害者非難につながるなら、使い方を調整したほうがよいです。
疑問④:因果応報論にはメンタルに良い面もあるのでは?


因果応報論を信じる最大のメリットといえば、自分が被った理不尽な出来事にも意味を与えられるという点でしょうか。
ただし、その効用はあくまでも「心の支え」としての話であって、現実の安全確保を代替するものではありません。そのため、現実的な視点を見失ってはどうしようもないですね。
疑問⑤:悪人に対し怒りを感じたときはどうすればいい?


悪を働くような人に対して怒りをもつこと自体は至極自然かつ健全な感情です。ただ、怒りを「報復の燃料」にはせず、事実確認と境界設定に使うことが大事といえます。
因果応報論に気度に傾倒すると、反すうや復讐イメージは長引くほどしんどくなるため、行動できる部分にエネルギーを戻すほうが有利です。
疑問⑥:結局どういう考え方が一番良い?


結局は、「正義を願うこと」と「現実的に自分を守ること」を分けて考えるのが最善だと思います。
つまり、心の中では納得を求めつつも、行動レベルでは境界線・距離・記録・相談・環境調整を優先する、という二層の考え方が実用的という事ですね。
人を傷つける人にはバチがあたるとは限らない!因果応報を信じるより自分の人生に集中するのが大事!


この世界は必ずしも公平ではないので、人を傷つける人にバチがあたるとは限りません。「人を傷つける人にはバチが当たる」という因果応報論を信じると、被害体験に意味づけができる等といったメリットがありますが、総合的に似るとデメリットの影響の方が上回ると思います。
そのため、私としては因果応報論を信じて無理やり留飲を下げようとするよりも、自分の人生において大事にしたいものを見つけ、自分の人生に集中する方がよほど重要です。大事にしたいものに沿って生きれば、自然と自己肯定感が上昇する好循環が作れるので人生に対する満足度が増えますね。



因果応報より、自分軸の確立の方が大事や。
ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、価値観タイプ診断や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。
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