おにぎり無知の知ってウザいなあ、、。



まあ、責任回避にも使える言葉だからね。
無知の知といえば、哲学者ソクラテスの思想をあらわすことで有名な言葉ですが、この言葉に対していい印象を持っていない人は実は結構いたりします。実際、「何が無知の知だよ、、、ウザいったらないわ!」などと、露骨に怒っている人もいます。
そんなわけですが、無知の知がなぜウザいと思われてしまうのか、気になりますよね?結論から言うと、無知の知がウザいと思われてしまう理由としては、以下のようなものがあげられますね。
無知の知がウザいといわれる理由





責任の押しつけになりうるのが、やはり一番の理由よな。
無知の知がウザいと思われる理由には、上記のように色々なものがあります。ただこの中で最もウザいのはなんといっても、議論の責任の押しつけになりうるというものでしょう。子供の「なんでなんで?」みたいなものを永遠にやられたら、「お前!いい加減にしろ!自分でも考えろ!」と腹が立ちますからね。
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無知の知がウザいといわれる理由





無知の知がウザいといわれるのは、なぜなん?



それは、以下の4つの理由があるからやね。
まずは、無知の知がウザいといわれる理由について、見ていきたいと思います。無知の知がウザいといわれる理由は、以下の通りです。
無知の知がウザいといわれる理由
- 理由①:謙虚の偽装に多用される
- 理由②:思考停止や結論回避に見える
- 理由③:上から目線に聞こえる
- 理由④:議論の責任を押し付けになりうる



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:謙虚の偽装に多用される


無知の知がウザいといわれる理由の1つ目は、「謙虚の偽装に多用される」です。
無知の知は本来、知識の限界を認める態度ですが、実際の会話では「私は謙虚ですよ」という自己演出として活用されることがままあります。



たしかに、あるあるやなあ、、。
無知の知という思想自体は高尚なものですが、それが「自己アピールのための道具」として活用されてしまえば、一気にしらけるというか「なんだよ、くだらないなあ」とあきれるような気持ちになるものです。
特に、内容の精査よりも「謙虚であること」そのものが前面に出ると、相手は「実質的な中身がないのに、姿勢だけ整えている」と感じやすくなります。悪質な印象操作って感じが、プンプンしますね、本当に。
理由②:思考停止や結論回避に見える


無知の知がウザいといわれる理由の2つ目は、「思考停止や結論回避に見える」です。
状況次第なところもありますが、無知の知があきらかに「結論を出さないため」に用いられると、相手からしたら「怠惰な思考停止」や「意図的に結論を出すことを避けようとしている」といった印象にしか見えません。



んー、これはわかるなあ。
無知の知自体は非常に知的な態度であるにもかかわらず、結果的に「及び腰の事なかれ主義」とか「思考自体を放棄している」というネガティブな印象をもたらしているんですよね。これは、かなり残念と言わざるをえません。
ちなみに、無知の知は心理学で言う知的謙虚さに包摂される概念といえますが、そもそも知的謙虚さとは結論を出さないことではなく、むしろ「今わかっていること」と「まだ不確かなこと」を切り分け、暫定的な結論を置くための態度です。
なので、そもそも会話において、「無知の知だから断定できない」などとだけ言うのは、まちがいといえるでしょう。後述するように、一応の仮説を提案するくらいはしてもいいと思いますよね。
さらに言うと、現代の会話は短くテンポが速く、しかも即答圧が強い傾向にあり曖昧さを丁寧に扱う余地が小さいので、無知の知のような態度とは相性が悪いとも言えそうですね。
理由③:上から目線に聞こえる


無知の知がウザいといわれる理由の1つ目は、「上から目線に聞こえる」です。
無知の知は相手へのつたえ方次第で「あなたは分かっていないが、私は分かっている」という非常にマウント臭のする態度になりえます。



ふむ、嫌な感じやねえ、、、ほんま。
無知の知は古典的なソクラテスの系譜においては、相手の思い込みを崩して問いを深める姿勢が中心の態度ですが、現代の会話ではその問い指導や説教に見えやすいとでしょうから、そうなると一気に嫌われますね。
というか、ことさら「無知の知だからねー」みたいに日常会話に抽象的な哲学語を持ち出すという事言自体が、割と「私賢いよ?」というアピールに見えやすいので、リスキーですよね。もっとも、話相手の知識量とか自己肯定感の肯定などにもよりますけども。
理由④:議論の責任を押し付けになりうる


無知の知がウザいといわれる理由の4つ目は、「議論の責任の押し付けになりうる」です。
実際問題、「無知の知だから私は断定しない。で、あなたはどう思う?」という形が続くと、議論の主導権を相手に渡す一方で、自分は安全地帯にいるように見えます。



わかりすぎる、、、ウザいよなあ、、、この構図。
こういう姿勢はものすごく相手からしたら負担になるので、不公平感が生まれやすいです。はっきりいって、今回取り上げてた「無知の知はウザい」といわれる最大の原因が、この責任の押しつけですね。
片方は相手の結論を聞くだけで、相手ばかり頭を使って認知資源を大量消費させられる、、、わけですから、そりゃあもう「ふざけるな!お前も何か考えろ!」という感じになるでしょう。
ちなみに、知的謙虚さは対立を減らし、より建設的な反応と結びつくと報告されていますが、それは責任の放棄ではなく共同で精度を上げるときに機能すいるという事を忘れてはいけません。無知の知を責任を相手へ丸投げするような形で運用していたら、逆に関係悪化は必至です。
参考:Intellectual humility is reliably associated with constructive responses to conflict
「補足」無知の知の本来の意味や起源について
無知の知の源流は、ソクラテス的な「自分が知らないことを知っている」という姿勢にあり、その姿勢も起源はデルフォイの神託の物語から読み取れる。
古代ギリシャにおいて、ソクラテスの友人であるカイレポンがデルフォイ神殿にて「ソクラテス以上に賢いものはいない」という神託を受けたという。
当時、ソクラテスは自身の事を特別賢い等と思っていなかったため、彼の心中に強い違和感が生まれた。
そこで、彼はこの矛盾を解消するために、当時賢いとされていた人々を訪ねて、対話を行った。その対象は主に政治家や詩人、職人であったという。
彼はそうこうして対話を重ねるうちに、 「多くの人は実際には理解していないことを、理解していると思い込んでいる」という事実に気が付くに至る。
一方でソクラテスは、「自分は知らないことを知っている」という状態にあることに気づき、これによって「無知の知」を自覚するに至った。
彼の対話法はソクラテス式問答法(産婆術とも)といわれ、前提を明らかにし矛盾を露呈させ
思考を深めるというプロセスを備えている。
無知の知よりもウザイ言葉6選





無知の知よりもウザイ言葉ってあるんか?



あるねえ、、特に以下の6つわねえ、、、。
つぎは、無知の知よりもしばしばウザイといわれがちな言葉について、見ていきたいと思います。無知の知よりもウザイ言葉としては、以下のようなものが考えられますね。
無知の知よりもウザイ言葉6選
- それってあなたの感想ですよね
- エビデンスは?
- 本質的には〜
- 構造的に見ると〜
- 前提を疑おう
- 多様性を尊重しよう



それぞれ、詳しく見ていこう!
それってあなたの感想ですよね


無知の知よりもウザイ言葉の1つ目は、「それってあなたの感想ですよね」です。
2ちゃんねる創設者として有名なひろゆき氏の代名詞的な言葉である「それってあなたの感想ですよね?」は、今回取り上げた言葉の中でおそらく世の中の多くの人からぶっちぎりでウザい言葉だと認識されていると思います。



んー、同感だわ。これはウザい!
これは相手の主張内容を検討する前に、話し手の立場そのものを弱める言い方です。そして、なにより対話の目的が真偽の検討でなく話者の無効化に移るため、相手には防御・怒り・反発が起きやすくなすくなるんですよね。
俗な言い方をすれば、「最凶の煽り文句」って感じですよね。人をイラつかせるという意味では、これほど威力の高い言葉はそうそうないんじゃないでしょうか?
エビデンスは?


無知の知よりもウザイ言葉の2つ目は、「エビデンスは?」です。
エビデンスを求めること自体は健全ですが、会話の温度や文脈を無視すると、詰問やマウントに聞こえますよね。



てか、エ、ビ、デ、ン、スってカタカナなのもなんかウザい。
特に日常会話において、相手がまだ仮説段階にいるときに根拠だけを強く迫る、、なんてことをしてしまうと、関係性のコストが上がる、つまり「コイツとは気軽に話せねえな」といった気分になること必至です。
あとやっぱり、「エビデンス」ってカタカナなのもちょっと鼻につきますよね、、、。とはいえ、「根拠は?」といわれてもまあ同じくらいにはウザいんですけども。
本質的には〜


無知の知よりもウザイ言葉の3つ目は、「本質的には〜」です。
ウザいといえば、「本質的には〜」という言葉も外せないかなと思います。こういった一気に抽象度を上げる言い回しは便利ですしかっこもつきますが、具体的な論点を飛ばして「分かっている感」を出そうとしているようにも受け取れますよね。



んー、たしかにそれはある。
抽象化そのものは悪ではないのですが、、相手からは「で、何の話?」と感じられやすいのが難点です。それに、「本質」とかことさら言っているのを見ると、やはりかしこぶっているように見えてなんか鼻持ちならない気分になるのもあるでしょう。
あと俗に言う、本質厨のようなきな臭い感じがしますよね。あんまり多用すると、「うっわ、かかわりたくないわ」と思わせてくれる地雷ワードですな(笑)。
構造的に見ると〜


無知の知よりもウザイ言葉の4つ目は、「構造的に見ると〜」です。
ちょっと悩みましたが、「構造的に見ると〜」も無知の知よりも使い方によっては、ウザいと思います。多分、ビジネス系や自己啓発系の発信者は多用している気がしますが、「構造的に見ると〜」といいう言葉は多用すると「いかにも私は全体を俯瞰してみてます!」というやはり知的マウント臭がするんですよね。



んー、せやなあ、そうかもしれん。
この「構造的に見ると」という言葉自体は、学者にしてもビジネスマンにしてもそれなりに使うものではありますから、あまり目くじらを立てるもんでもない気はしますけど、、やっぱり多用しすぎている人を見ると「なんだかなー」という気分になってしまいます。
あと、「構造構造言うけど、現場の事はきちんと見たかい?背景ばっか見て個別の事象は無視してないかい??」みたいな気にもなるというね。、、まさか、私だけ?、、だったらサーセン。
前提を疑おう


無知の知よりもウザイ言葉の5つ目は、「前提を疑おう」です。
「前提を疑う」という姿勢自体はひじょいうに知的に正しい態度だと思います、、、が、それをあらゆる会話でこれを出すと、議論の開始地点がどんどん後ろにずれていきます。



ちゃぶ台返しを乱発する感じか。たえられん。関わりとうない!
正直、何でもかんでも「そうですね、、ただ前提を疑う事も大事で、、、」みたいな茶々を始終入れられていたら、話題が何度もちゃぶ台がえしされるんで、全く先に進まないんですよね。正味、「いいかげんにしろ!」といいたくもなります。
ま、知的には正しくても、実務や相談の場では「いつまでも話が進まない人」と見なされて総スカンコースですよねー。
多様性を尊重しよう


無知の知よりもウザイ言葉の6つ目は、「多様性を尊重しよう」です。
昨今とみに叫ばれる多様性ですが、確かにこの概念自体は大事と思います。し、か、し、しかしですよ?結論を出したくないときの逃げ道として活用されると、話が終わってしまうんですよね。これはめっちゃ、ウザいですね。



なんでも多様性で片づけようとする人おると、イライラすんね。
たとえば、「~という場合もあると思うけど、その場合はどうなんだろう?」と建設的な解決方法の提案を求めているのに対して、「ま、それも多様性ですから」等と会話をぶったぎっれたら、議論が宙ぶらりんになってどこにも着地できません。
正直、きまった結論が出ないのは承知の上で、何らかの提案や仮説を出すことが大事な場面もありますよね。そんな場面で、「多様性が~」みたいに相対化路線をとられると、「いや、ちょっと待て!」てなりますな。
無知の知をウザいと思われないように運用する方法





無知の知をウザいと、思われないように運用したいねん。



ふむ、そんなら、以下の方法を試してみるとええで。
つぎは、無知の知をウザいと思われないように運用する方法について、見ていきたいと思います。
無知の知をウザいと思われないように運用する方法
- 方法①:結論と保留をセットにする
- 方法②:「分からない」を具体的に分解する
- 方法③:相手に議論の責任を押し付けない
- 方法④:弱い断定も代わりに使うようにする



それぞれ、詳しく見ていこう!
方法①:結論と保留をセットにする


無知の知をウザいと思われないように運用する方法の1つ目は、「結論と保留をセットにする」です。
無知の知を運用する際に、いちばん重要なのは、「暫定の結論と不確実性を同時に言う」ことでしょう。ようは、「自分は現状~と考えています。妥当性は~くらいでしょうか」等というって感じですね。



自分の意見は言いつつ、無理な断定はしないって感じかな。
ちなみに、ある実験では、意思決定の不確実性を自身の能力不足として表現するよりも、「外部の情報制約」として表現するほうが、平均的には能力評価が下がりにくいなんて言われていますね。
つまり、「私がダメだから分からない」ではなく、「今ある情報ではそこが見えにくい」と言うほうが、相手には受け入れられやすいってことです。無知の知を運用する際は、気を付けてみるといいと思います。
結論と保留をセットにすると無知の知がウザいと思わわれるリスクが下がる
方法②:「分からない」を具体的に分解する


無知の知をウザいと思われないように運用する方法の2つ目は、「「分からない」を具体的に分解する」です。
無知の知を「わからないから結論を保留にする」という目的のために運用すると、前述の通り相手の心象を害します。



ふむ、せやな。
そこで、無知の知を使う場合は、きちんと「分からない」を具体的に分解して「~はわかっているが、~についてはわからない」などときちんと細分化していくといいでしょう。これなら、議論を回避しているような印象には映りにくいですよね。
実際、心理学のレビューでも、知的謙虚さは単に自信のなさではなく、どこに知識の穴があるかを見極めるメタ認知だとされていますから、こうした運用はその本義に照らして至極全うといえるのではないでしょうか。
「分からない」を具体的に分解すれば無知の知がウザいと思わわれるリスクが下がる
方法③:相手に議論の責任を押し付けない


無知の知をウザいと思われないように運用する方法の3つ目は、「相手に議論の責任を押し付けない」です。
無知の知がウザいと思われる最大の原因は前述の通り、「相手に議論の責任を押し付けること」でした。というのも、無知の知を相手に議論の責任を押し付けるために運用すれば、認知負荷が相手にばかり偏り強い不公平感が生まれるから。



本当、相手にばかり考えさせるのって最悪やな。
こんな態度で会話をされたら、「コイツ、絶対真面目に会話する気ないだろ?」と思われても仕方がありません。会話は共同作業ですから、片方にばかり負担が寄るのはどうにもこうにも、、、納得がいかないですし、実に不誠実な台とといわざるを得ません。
そのため断定傷とも、「私はこう考える。ここまでは自信がある。ただ、この一点については未確定なので、あなたの見立ても聞きたい」等と話す方が賢明でしょう。先に自分の仮説を出して相手にはその補助線として意見を求めると、対等性や公平性が保たれると思います。
相手に議論の責任を押し付けなければ無知の知がウザいと思わわれるリスクが下がる
方法④:弱い断定も代わりに使うようにする


無知の知をウザいと思われないように運用する方法の4つ目は、「弱い断定も代わりに使うようにする」です。
無知の知を全開にすると、「私は知らない。知らないことについては何も言えない」みたいな完全な保留状態になってしまうわけですが、これでは前述のように相手からしたら「責任の押しつけ」や「議論の放棄」という心象になるでしょう。



ふむ、そうやね。
そのため、断定できないのであれば、せめて「たぶん」「現時点では」「おそらく」「一番整合的なのは」という弱い断定を使って、会話を進める工夫をするのも大事ですね。とはいえ、おそらくあなたも察しているように、こうした表現も多用すると、「おい!なんか煮え切らないな!」となるので、結構難しいんですよね。
なお、余談ですが、よく専門家程色々と例外事項を知っていたり未知のリスクがある可能性を考慮し断定できない傾向にありますが、その態度が専門外の人達からすると「なんだよ、わかってねえのかよ!専門家の癖に!」みたいになりがちです。提案しておいてなんですが、弱い断定の使い方も、、結構難しいですよねえ、、。
弱い断定も代わりに使うようにすれば無知の知がウザいと思わわれるリスクが下がる
無知の知がウザいと感じる時にありがちな疑問





まだ、気になることがあるんよ。



ふむ、そんじゃ、最後に疑問に答えていこうかの。
最後に、無知の知がウザいと感じる時にありがちな疑問について、答えていきたいと思います。
疑問①:無知の知は結局分からないと言う言い訳では?


確かに、無知の知は「結局何もわからないこと」の言い訳と思われそうですが、研究上の知的謙虚さは「分からない」で終わる態度ではありません。むしろ、自分の信念が誤っている可能性を認めたうえで、必要ならその謝った信念を修正するという非常に柔軟な姿勢です。
無知の知と言い訳では、「そこに更新可能性があるかどうか」という点で明確に異なります。
疑問②:無知の知を使うと議論が進まなくない?


無知の知を使って進まなくなるのは、保留だけを残して具体化しないときです。逆に、どこが未確定なのかを明示すると、議論はむしろ整理されるでしょう。結局、無知の知が役に立つかどうかは、その運用次第といったところです。
実際、コミュニケーション研究でも、不確実性の伝達は一概に悪ではなく、形式や受け手によって結果が変わるとされていますしね。
参考:Communicating uncertainty about facts, numbers and science
疑問③:無知の知と単なる優柔不断の違いは?


優柔不断は「決められない」状態ですが、無知の知は「決めるために限界を理解している」状態ですから、全く違います。
つまり、前者は行動の停止を、後者は認識の精度向上を目指している点が違うんですよね。知的謙虚さは、信念を持ちながらも誤りうることを忘れない点が特徴的です。
疑問④:無知の知を使うときに一番やってはいけないのは?


無知の知を使う際に一番やってはいけないことは、「自分は分かっていない」という話を、相手に罪悪感や思考労働を押しつけるために使うことです。
実際、対立研究では、知的謙虚さは争いを和らげる方向に働くが、それは共同で考えるときだけだといわれています。相手にだけ考えさせる形をとると、認知負荷が相手に偏りすぎて、むしろ対立を増得てしまいますね。
参考:Intellectual humility is reliably associated with constructive responses to conflict
疑問⑤:無知の知はビジネスの場でも使える?


もちろん、無知の知はビジネスの現場でも使えるでしょう。特に、医療のような不確実性が大きい仕事ほど有効だと思います。
事実、医療コミュニケーション研究では、不確実性を丁寧に伝えることが信頼をすぐ壊すわけではなく、むしろ透明性が評価されうると示されていますしね。
参考:Communicating uncertainty about facts, numbers and science
疑問⑥:無知の知を使うときの理想的なバランスは?


無知の知を使うときは、断定・保留・更新可能性の3つをバランスさせることが重要です。
完全な確信でも、完全な保留でもなく、「今の考えられる最善の仮説」に軸を置きつつ「どこが弱いか」を示す、、、というのが最善かもしれません。
疑問⑦:無知の知と知的謙虚さは同じ?


先ほどから、無知の知と知的謙虚を混同するような使い高をしてしまっていますが、両者は厳密には別物ですね。
知的謙虚さは「自分の知識や信念の限界を認識するメタ認知」を中核にしつつ、他者の視点への開放性や、必要に応じた行動の修正まで含めて論じられる概念です。一方で、無知の知は知的謙虚さの中のより哲学的・認識論的な核に近い概念といった感じですね。ようは、無知の知は知的謙虚さに包摂されている概念といえるわけです。
無知の知は議論の責任を押し付けられる文脈で使われるとウザい!使うなら相手に責任を押し付けないようにしよう!


無知の知という思想自体はとても健全で誠実なものといえます。しかし、無知の知が議論の責任を押し付けられる文脈で使われるとウザいとしか言いようがないですね。というのも、これは子供の「なんでなんで?」というのをひたすら分別のある年齢になった人がやることに近似しますから。
これは、「うわ、、、うざいなあ、、。だったらお前はどう考えるんだよ?いってみろよ?」と思われても仕方がないと思います。一方ばかりが認知リソースを使わされるのは、どう考えてもフェアじゃないですよね?なので、知らないし分からないとしても、自分なりの意見は添えるようにした方がいいと思います。



人間関係は お互い様だからねえ。
ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、価値観タイプ診断や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。
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