にゃるもん反ルッキズムって、なんか気持ち悪いんよな、なぜやろ?



反ルッキズムが気持ち悪いのは、以下の理由からかもしれんのお。
最近、加速するルッキズムに対するカウンターとして、反ルッキズムを唱える勢力の勢いも日増しに強くなっています。これ自体はいい事ですが、反ルッキズム勢力に対して、「なんか気持ち悪い」と感じる人たちも増えているようです。これは色々な人と接したり、ネットを見ていると私も思うことですね。
そんな現状ですが、反ルッキズムを気持ち悪いと感じる人達は、なぜ反ルッキズムを気持ち悪いと感じているのか、気になりますよね?結論から言うと、反ルッキズムを気持ち悪いと感じる人たちは、以下の溶暗理由から気持ち悪いと感じていると考えられます。
反ルッキズムが気持ち悪いを感じる理由





美的努力や審美観を否定される気がするのが、一番の原因やろね。
美しくいるための美的努力は綺麗でいたいという方にとっては、非常に意義深いものです。反ルッキズムはそうした私達の努力自体を否定するよう感じられるため、気持ち悪いと思えても無理はないでしょう。ただルッキズムがよくないのは事実なので、本記事で紹介する方法で視野を広げてみるのがおすすめです。
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反ルッキズムが気持ち悪いと感じる4つの理由





反ルッキズムが気持ち悪いと感じるのは、なぜなんやろ?



ふむ、以下の4つが理由やと思うなあ。
まずは、反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由について、見ていきたいと思います。反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由については、以下の通りです。
反ルッキズムが気持ち悪い理由
- 理由①:美的努力や審美観が否定される気がするから
- 理由②:審美的選好は当然だと感じるから
- 理由③:価値観の逆差別・過剰修正に見えるから
- 理由④:自己同一性が崩れかねないから



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:美的努力や審美観が否定される気がするから


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由の1つ目は、「美的努力や審美観が否定される気がするから」というものです。
身だしなみに気を付けている方は納得いくと思いますが、人は「外見に投資すること=自己管理や努力の表れ」と見なす傾向があり、これを否定されると自己評価や努力の正当性が脅かされる感覚が生まれます。



せやなあ、確かに努力を否定されるんは、なんか違うね。
実際、社会心理学では「努力や遂行への正当化」は自尊維持の重要要素とされていますし、そもそもそんな事を研究でいわれずとも、「自分が努力している事を否定される」なんて不愉快ですよね。「私の努力は無駄だっていうのかよ!」てなるのが自然でしょうから。
それに、反ルッキズム側は決して「美しいと感じること自体悪だ!」などとは言いませんが、彼らの主張を表面的にとらえると「なんか自分が美しいと感じる感性自体を否定しにかかってないか?」と反発心が生まれてくるものでもあります。
理由②:審美的選好は当然だと感じるから


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由の2つ目は、「審美的選好は当然だと感じるから」というものです。
不安や怒りといったネガティブ感情の場合と同様に、そもそも「人が何を感じ考えるか」については制御できません。さらにいえば、「美しいものに心惹かれる」のは本能的にも妥当ですから、ある意味ルッキズムとは当然のことであって、そこに文句をつけるのはおかしいようにもみえてしまうものです。



まあねえ、仕方ない部分はある気がするね。
実際、顔や体の特徴(対称性、平均性、皮膚の質など)は進化的に健康や適応度の指標として働いたため、外見による好みは本能に深く根付いています。審美的選好が第一印象や対人選択に強く影響することは多くのレビューで示されていますよね。
こうした直観からすると、「何を普通のことにそんなに向きになって反論してんの?気持ち悪いなあ」みたいになるというわけですね。
理由③:価値観の逆差別・過剰修正に見えるから


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由の3つ目は、「価値観の逆差別・過剰修正に見えるから」というものです。
反ルッキズムを「美しい側=悪」「美しくない側=善」といった単純化された対立構図で語るケースや、過度な是正的言説が出ると、反発や「逆差別」への懸念が生まれがちですね。



それはそうだ、なんか無駄に対立あおっている感じするもんね。
ただ、反ルッキズムを訴えている側は別に「美しい側=悪」等といいたいのではなく、「美しいとされる人を優遇し美しくない人達を差別するような社会のあり方はよくない」といいたいだけです。
なので、そこにはきちんと留意しておきたいですよね。
理由④:自己同一性が崩れかねないから


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる理由の4つ目は、「自己同一性が崩れかねないから」というものです。
詳しくは後述しますが、反ルッキズムに対して「気持ち悪い」と感じる人の中には、「見た目で自尊心を保ってきた」とか「見た目で評価されることで得られた社会的地位がある」という人がいます。そうした人たちからしたら、反ルッキズムは自己概念への脅威となるので、反発心を覚えるのも当然でしょう。



そんな人たち、ものすごく少数でしょ、、、。
実際、社会心理学・神経科学の観点でも、社会的地位やアイデンティティの脅威は強い防衛反応(拒否・嘲笑・嫌悪)を引き起こすことが示されていますね。
参考:Understanding Social Hierarchies: The Neural and Psychological Foundations of Status Perception
早い話が、反ルッキズム勢力は自分の既得権益を脅かす敵だから、「気持ち悪い」と反感を持っているってことですね。ま、大多数の普通の容姿の人たちからしたら、「しらんがな」て感じではありますよね。
反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の6つの特徴





反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人には、特徴があるんか?



せやなあ、以下みたいな特徴があるかな。
つぎは、反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴について、見ていきたいと思います。反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴は、以下の通りです。
反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の6つの特徴
- 特徴①:自己価値を主に外見で構築している
- 特徴②:序列やヒエラルキー意識が強い
- 特徴③:美的秩序を強く信じている
- 特徴④:弱者側の道徳的主張に不信感がある
- 特徴⑤:進化論的・現実主義的に考える
- 特徴⑥:ポリコレ的言論にうんざりしている



それぞれ、詳しく見ていこう!
特徴①:自己価値を主に外見で構築している


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、まず「自己価値を主に外見で構築している」というものがあげられます。
先ほども少しふれたことですが、自分の魅力や成功といったものを「見た目」や「審美的センス」、「審美センスに基づく雰囲気の形成」などといった要素に大きく依存してきたタイプの人は、反ルッキズムをアイデンティティーへの攻撃ととらえて気持ち悪いと感じやすいですね。



自分の強みを否定してきているわけだし、当然の反応かもね。
まあ、こうした人からしたら、「見た目で評価するな」という主張は、自己の功績や存在価値を否定する言葉に感じやすいわけですから、反感を覚えやすくても仕方がないといえます。
とはいえ、こうした人でも「自分のさらに上位互換」みたいな人を見て、「もっと頑張らないと!」等とメンタルを病んでいるケースも多いので、ルッキズムは結局容姿強者も含めて誰も人を幸せにしないんですよね、、、。
自己価値を主に外見で構築している人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
特徴②:序列やヒエラルキー意識が強い


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、「序列やヒエラルキー意識が強い」というものもあげられます。
反ルッキズムに対して気持ち悪いと感じている人の中には、「社会は競争の上で成立している」とか「上に立つのは当然努力した人」という世界観を持っている事から、ルッキズムを肯定している人もいますね。



そんあん、あんまりすぎるだろ、、、。
こうした人たちからすると、「反ルッキズム」は「弱者救済イデオロギー」に見え、「気持ち悪い」、「偽善くさい」と感じやすいといった話になります。なお、こうした人は基本的には、前述のように、外見の強さで得をしてきたor整形などで抜本的な外見改造を施してきた層です。
つまり、「ブサイクがひどい扱われ方をするのは当然だろ?そんなに嫌ならキレイになれよ?w雑魚が!」みたいなわけです。容姿版の弱肉強食肯定派って感じですよね。ぶっちゃけ、この手の人は、もう手に負えませんね、ええ。
序列やヒエラルキー意識が強い人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
特徴③:美的秩序を強く信じている


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、「美的秩序を強く信じている」というものもあげられます。
本人が美的に優位にあるかどうかはともかく、「美は秩序であり、醜は乱れ」という感覚を文化的・感情的に内面化している人は、反ルッキズムに「気持ち悪い」と感じやすいでしょう。



たまに、こんな偏屈な人いそう。
こうした人は、「美しいものに囲まれる社会=健全」という審美的世界観を持つため、「美醜を問うな」「誰もが平等」といった見方は自分の精神世界の調和を壊すようで不快感に感じる事もしばしば。極端な話、「醜いものはこの世界に存在しているだけで不快」といった、ある種のイグハラを感じているという見方もできます。
正直、この手の考えに傾倒している人は、友人知人の中にも数人確認できますが、、、「なんだかなあ、、」という感じはありますよね。
美的秩序を強く信じている人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
特徴④:弱者側の道徳的主張に不信感がある


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、「弱者側の道徳的主張に不信感がある」というものもあげられます。
ルッキズム批判は人権思想などから考えて当然のものであり、人間の幸福のためにも大きく資するものです。しかし、SNSや社会運動において、被害者性や弱者性を盾にする言説に対して拒否反応を持っている人たちは、反ルッキズムに対して気持ち悪いと感じる事もしばしばです。



最近のいわゆるポリコレ論者みていると、少し思う所あるよね。
つまり、この手の人たちは「「自分を被害者ポジションに置いて道徳的優位を取る人たち」に見えるので、嫌悪感を感じるわけです。「なんだよ、弱者ビジネスかよ。おもんな」みたいな感じでしょう。
まあ、いわゆるポリコレ論者の中には、「おいおい、随分と過激だな、、、」という逆差別に転化しそうな持論を展開する人もいるので、わからんではないところもありますが、、、。
弱者側の道徳的主張に不信感がある人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
特徴⑤:進化論的・現実主義的に考える


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、「進化論的・現実主義的に考える」というものもあげられます。
前述のように、ルッキズムは本能に深く根差したものであり、ある意味では「もうどうしようもないもの」ということもできますね。そのため、進化論的・現実主義的な立場から考える人からしたら、「ルッキズムなんてあるのが当たり前ではないか」と感じるため、反ルッキズムに対してちょっと気持ち悪いと感じる事もあるでしょう。



んー、まあ、、そうなのかなあ、、。
ようは、「人間なんてそんなもんだろ。一々わめきすぎなんだよ。しょうがないじゃん、うるせえな」みたいな感じです。こうした人は、感情よりも合理や現実を重視するタイプですから、反ルッキズム的な「理想主義」「感情的平等論」を非現実的・幼稚と感じやすいといえます。
とはいえ、ルッキズムで心を病んでいる人もいるのですから、当然放置などできません。「現実は~なんだからしょうがねえじゃん」で全て済ませていたら、社会は何も進歩しませんね。なので、冷笑的なのはあんまりよくないなと思ったりします。
進化論的・現実主義的に考える人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
特徴⑥:ポリコレ的言論にうんざりしている


反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい人の特徴として、「ポリコレ的言論にうんざりしている」というものもあげられます。
フェミニズム、環境運動、ジェンダー平等など、いわゆる「正義を語る運動」全般に疲労を感じている層は、「反ルッキズム、、もういいって、気持ち悪い」と嫌悪感を示しやすいでしょう。



ま、ポリコレ活動家ってあたおかも多いからなあ。
反ルッキズム自体は妥当な主張ですが、この手の主張を展開する活動家の中には、誰とは言いませんが「お前が言うか?」とか「いくら何でも感情論過ぎるし非現実的すぎる!馬鹿じゃねえの?」といった感じの荒唐無稽な持論を展開したり、他者の権利を平然と無視するアタオカがかなりいるのも事実です。
こうした人が悪目立ちすると、「そもそもポリコレなんざいらねえよ!ひっこめゴミ野郎!」みたいな強烈な反感が生まれるのは必至です。反ルッキズム自体は妥当な考えとしても、それを提示する人たちのイメージが悪すぎると「気持ち悪いな」と思われるリスクはどうしても高くなりますよね。
自己価値を主に外見で構築している人は反ルッキズムを気持ち悪いと感じやすい
反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策7ステップ





反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時は、どうしたらいいん?



せやな、以下の7ステップをやってみるといいと思うぞい。
つぎは、反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策について、ふれていきたいと思います。反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策は、以下の7ステップです。
反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策7ステップ



それぞれ、詳しく見ていこう!
ステップ①:自己観察


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のファーストステップは、「自己観察」です。
まずは、「気持ち悪い」という感情を否定せずに観察していきます。このようにすることは、感情のメタ認知を高めることにつながり、バイアス低減と感情調整の双方に有効です。
参考:Separate neural representations for physical pain and social rejection



ふむ、否定せずに認めるかあ。
「気持ち悪い」という感情を否定せずに観察する手順は、以下の通りです。
「気持ち悪い」という感情を否定せずに観察する実践手順
「反ルッキズム」という言葉を見聞きして生じた感情を正直に書き出していく。
例:「なんか偽善的」「生理的にムリ」など。
怒り、不安、混乱、軽蔑などと感情をラべル化していく。
「この感情は自分のどんな価値観・信念から生じているか?」を問いかけていく。
否定も正当化もせず、「気持ち悪さの正体を掘る姿勢」を持つのがポイント
ステップ②:バイアスの認知


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のセカンドステップは、「バイアスの認知」です。
つぎは、無意識にもっている「見た目=価値」というバイアスに気づいていきます。実際、外見バイアスの自覚は、差別的行動を有意に減らすとされていますね。
参考:Imagining stereotypes away: The moderation of implicit stereotypes through mental imagery.



へえ、自覚するだけでも効果はあるんか。
自分の認知に気付くための手順は、以下の通りです。
無意識にもっているバイアスに気付くための手順
最近「見た目で人を判断した/された」エピソードを3つ挙げる。
そのとき自分がどんな“即時評価”をしたかをメモする(例:「清潔そう→信頼できる」)。
その評価が「根拠のある観察」か「外見印象の投影」かを分けてみる。
自分にもバイアスがあることを、「恥ではなく自然と認識する」のがコツ
ステップ③:内省と構造化


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のサードステップは、「内省と構造化」です。
次は、内省と構造化、つまり自分の認知プロセスを言語化して整理していきます。メタ認知的内省は感情調整と認知の柔軟性向上を促進しますからね。
参考:Memory for abstract control states does not decay with increasing retrieval delays



言語化とせいりねえ、ふむ。
自分の認知プロセスを言語化と整理は、以下の手順で行っていきます。
「なぜ自分は外見で判断しやすいのか?」を紙に書きだす。
上記で書きだした理由の背景にある信念を書き出す。例:「外見は努力の結果」「清潔感がある人は性格も良い」など。
その信念が自分の人生経験由来なのか、社会文化由来なのかを区別していく。
他の価値観(例:「誠実さ」「知性」「思いやり」)とのバランスを考えてみる。
構造化の目的は「美を否定する」ことではなく、「美と価値の過剰な結合をほぐす」ことである
ステップ④:反ステレオタイプワーク


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のフォースステップは、「反ステレオタイプワーク」です。
次は、反ステレオタイプワークによって脳に「見た目≠内面」という別の連想回路を作っていきます。ちなみに、*反ステレオタイプワークによって、バイアスの自動活性を抑制できることがわかっていますね。
参考:Long-term reduction in implicit race bias: A prejudice habit-breaking intervention



反ステレオタイプワーク、、なんかめんどくさそうやな、、。
なお、反ステレオタイプワークの実践手順は、以下の通りです。
反ステレオタイプワークの実践手順
「見た目と印象が一致しなかった人」を3人思い出す。例:「怖そうに見えたけどすごく優しい人」など。
そのギャップに「なぜそう感じたか?」と振り返る。
1日1回、「見た目で判断しそうな瞬間」を意識的にキャッチして、「この人にはどんな予想外の良さがあるだろう?」と自問する。
習慣化して、外見→即判断の反応時間を1呼吸遅らせることを目標にする。この1呼吸の間が、無意識にバイアスが発生するのを抑制する効果を生む。
ステップ⑤:言語と行動の再設計


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のフィフスステップは、「言語と行動の再設計」です。
つぎは、自分の言葉・態度を「外見より本質重視」に合わせてきます。ようは、自分がなりたい方向に自分の行動を合わせていくと、実際に心の有り様も変わっていくといった感じですね。



なるほど、やってみる価値はありそうね
なお、言語と行動の再設計は、具体的に以下の様に行っていきます。
日常で「見た目を褒める」「外見で話題を作る」場面を減らしていく。
「内面」「行動」「考え方」に焦点を当てた褒め方を練習する。例:「その考え方いいね」「その対応、思いやりがあるね」など。
無意識に容姿についてコメントしてしまう習慣を客観視していく。
対話で個々の違いを認めつつ対等に扱う姿勢を社会にうながす表現(例:みんな違って、みんないい等)を含む言葉を意図的に使う。ただ、使いすぎると反感を買うこともあるので、場面と頻度に注意。
ステップ⑥:環境・制度的工夫 の実施


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策のスィックスステップは、「環境・制度的工夫 の実施」です。
つぎは、外見評価を前提としない場を自分の周囲に増やしていきます。人の思想は、知らず知らずのうちに環境に影響を受けるものですからね。実際、社会的規範の変化は個人の偏見を減らす強力な要因とされます。



なるほど、確かに環境を変えるのは大事だねえ。わかるわ。
環境・制度的工夫の具体的な実践手順は、以下の通りです。
環境・制度的工夫の具体的な実践手順
SNS・職場・友人関係で「見た目比較」を促すコンテンツを減らす。
自分の所属環境において、「見た目ではなく価値観・スキルで評価する仕組み」を意識的に選ぶ。
他者との会話で見た目に関する話題を避け、もしそうした話題がある場合、「見た目の話題→内面や行動の話題」に自然に切り替える。
ステップ⑦:定期的な自己点検


反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時に取るべき対策の最終ステップは、「定期的な自己点検」です。
おそらく、ここまでのステップでルッキズムへの傾倒度はかなり下がっていると思います。ただ最後にはその姿勢を強化・維持するための施策を行っていきます。実際、自己点検を継続することでバイアス再発を防ぐことが可能です。



たしかに、自己点検は大事やろなあ。
自己点検の実践手順は、以下の通り。
自己点検の実践手順
月に1回、上記のステップを振り返りノート化する
新たに気づいた「見た目による評価傾向」「改善された反応」を記録する。
自分の変化を可視化し、「抵抗→理解→中立→受容」への移行を追跡する。
反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時にありがちな疑問





まだ、気になる事があるんやけど、聞いてよい?



おけおけ!疑問どんとこいやで!
最後に、反ルッキズムが気持ち悪いと感じる時にありがちな疑問について、答えていこうと思います。
疑問①:見た目を気にしないなんて非現実的な綺麗事だよね?


確かに、人間には本能があるので、「見た目を完全に気にしない」というのは土台無理な話です。ただ、「見た目だけで人の評価や権利を左右しない社会が形成されるのは、非常に有害かつリスキーですから、ルッキズムを全肯定することはできません。
いずれにせよ、見た目だけで他人の価値を評価しないという視点をきちんと、保持し続けるのであれば、別に他人を見た目で評価する視点を内面化していても何も問題はないと思います。ようは、きちんとバランスをとることが、大事って事ですね。
疑問②:努力して綺麗になった人の価値まで否定するのか?


いえ、綺麗になった人の努力自体は尊重されるべきでしょう。それに、私もそうした方々の「綺麗でいたい」という努力には,全力で敬意と称賛を送りたい気持ちです。やはり、美は正義、、は言い過ぎかもしれませんが、個人的に思う所がありますから、、ま、こじらせてますが(笑)
とはいえ、一部の整形狂などのように「自分が美しくなったらかつての自分と同等、ないしその下位に位置するような容姿劣位者をあからさまにあしざまに見る」ような姿勢には、反吐が出るほど不愉快な感情があります。「みんな綺麗になろう!」でいいではないか、、等と思えてなりませんよね。
ただ、同時に「綺麗でいない自由が保証される・綺麗でなくても何も問題がない世界」でもあるべきでしょう。みんながみんな、同じ価値観ではありませんからね。
疑問③:美しさを評価すること自体が悪い?


いえ、美しさを評価すること自体はもうどうしようもありません。その評価は自然発生的に私たちの内心に湧き出てくるもんですから、自分の意思ではどうしようもないものです。ただし、「その評価を外界に向かって発信すること」に関しては、事情が変わってきます。
美的評価評価自体は避けられなくとも、その表現方法は選ぶことができるので、節度をもって行動を選択してくべきでしょう。
反ルッキズムが気持ち悪いのは自分の審美観や美的努力を否定される気がするから!容姿だけで人を評価しなければそれでOK!


反ルッキズムが気持ち悪いと思えるのは、自分の審美観や美的努力を否定される気がするからというのが主な理由でしょう。私も「劣化=死だ!」等とこじらせている口なので、ルッキズムというかエイジズムへの強い反感と強い共感が心の中に同居し激しく葛藤しているのが常です(笑)。ただ容姿だけで、他者の価値を判定することは絶対にしません。
そこは、絶対に徹底すべきですね。ただ「美しい事はいい事だ!」と信じる人が、「美しさなど不要!」といわれたら喧嘩になります。反ルッキズムは「美は不要!」とまでいいませんが、美を信奉する者からしたらなんか勘に障るんですよね。とはいえ、ルッキズムの有害性は周知の事実。できるだけ、多彩な視点を持ち柔軟に対応したいものです。



とにかく、思考は柔軟にいろんな視点からモノを見ていこうぞ!
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