おにぎり自分を苦しめた人が幸せそうだと、本当不快やな。



うむ、そんな時はまず言語化が大事やで。
過去に自分を苦しめた人が幸せそうにしている場面を見て、非常に不愉快になった、、という方はままいるのではないでしょうか。実際、この手の相談はたまに聞きますし、あなたも一度くらい似た経験をされた事があるかもしれません、本当に、やりきれない気持ちになり、「どうしたものか」という感じでしょう。
そんな感じですから、薄情な人になるのは育ちが原因なのか、気になりますよね?結論から言うと、薄情な人になるのは育ちが一般的な原因といえます。そして、薄情な人になる育ち由来の原因としては以下のものが考えられますね。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法





まずは、感情を認める事から始めよう!
自分を苦しめた人が幸せそうにしていたら、もう腹が立って仕方ないでしょう。そんな時は、まずはその気持ちを言語化し認める事から始めた方がいいです。言語化を行うだけでも、かなり感情は収まっていくものですからね。冷静になれないと、比較が加速したり復讐心に取りつかれ人生を無駄にしてしまいます。
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自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法





自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時は、どうすれば、、。



そんな時は、以下の対処法をこころみるとええで!
まずは、自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法について、詳しく見ていきたいと思います。自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法は、以下の通りです。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法
- 対処法①:感情を抑えず認める
- 対処法②:比較の罠にかからない
- 対処法③:相手の人生から意識を切り離す
- 対処法④:復讐的思考を正しく活用する



それぞれ、詳しく見ていこう!
対処法①:感情を抑えず認める


自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法の1つ目は、「感情を抑えず認める」です。
自分を苦しめた人が幸せそうにしていたら、それは後述するようにムカつくのは当たり前というものでしょう。そういった心境になったら、まずは、その感情の存在を認めることが大事になります。



実際、感情に名前をつけると、情動反応が弱まるといわれていますね。一方、感情の抑圧は非常にストレスですしから、「いま何が起きているか」を言語化する方が、冷静さを取り戻すためには有益です。
さらにいえば、感情の抑圧は、再評価と比べて心理的コストや対人面の不利益と結びつきやすいことが示されていますから、なおさら抑圧なんてしない方がいいですね。
なお、感情の言語化を実践するにあたっては、「悔しい」「不公平だ」「腹が立つ」などと、感情を一語で名指しするだけでも十分効果があります。
細かく分析する必要は必ずしもなくて、「感情があることを認める」ということそれ自体に意味があるんですね。ちなみに、書くことが合う人は、短く数行でも出来事と感情を書き出すと、感情処理が進みやすいことがあります。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時はまずは感情を抑えず認めよう
対処法②:比較の罠にかからない


自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法の2つ目は、「比較の罠にかからない」です。
人は誰しも無意識に自分と他人を比較してしまうものですが、この本能が「自分を苦しめた人が幸せそうにしているとムカつく」という気持ちをどんどん加速させていきます。



ふむ、、、本能なのか、、なんか納得。
実際、社会的比較研究のメタ分析では、人は上方比較(自分より優れている、より幸せそうな人と自分を比べるなど)を選びやすいといわれていますしね。
んで、ここで大事なのは、「相手の幸せ」を見ているつもりでも、実際には「切り取られた一場面」を見ているだけだと気づくことだったりします。
人は、見えている情報から相手全体を過大に推測しやすい傾向にありますが、実態が本当にそうなっているのか、、、というと大分怪しい、、いえ、ほとんど外れていることもざらです。比較が始まったら、「これは事実の比較ではなくて、断片を材料にした想像かもしれない」と一度立ち止まるのが賢明ですね。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時は比較の罠にかからないようにしよう
対処法③:相手の人生から意識を切り離す


自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法の3つ目は、「相手の人生から意識を切り離す」です。
当たり前の事ではありますが、相手は相手の人生を生きているだけですし、あなたはあなたの人生を生きているだけにすぎません。もっと言うと、以前の記事で述べたように、個々人は「それぞれがそれぞれの世界を勝手に生きているだけ」です。



思想が強いwww
なので、本来なら自分を苦しめた過去を持つ人が何をしていようが、そんなものは今の自分とは関係ないので、自分は自分の人生を生きることに集中すればいいだけではあります。一々、復讐がどうこうなんて考える必要すらないですね。お互い勝手に別の世界を生きているだけなので。
相手に反応し続けるほど、あなたの注意資源が相手に奪われてしまうので、非常に無駄です。そこで、自分の感情と一旦距離を置くのがいいでしょう。具体的に言うと、脱フュージョンを行うのが最適です。その実践は、以下のように行うといいと思います。
まず頭の中の“自動思考”をそのまま取り出す。例:「あいつだけ幸せそうでムカつく」、「自分だけ損してる」、「許せない」
※ポイントは修正しないことが大事
次に「私は今、〜と思っている」とつける。例:「私は今、「あいつだけ幸せそうでムカつくと思っている」」、「私は今、「自分だけ損していると思っている」」。
これだけで、思考と自分の距離が少しひらく。
可能なら実際に声に出していく。その際に、ゆっくり1語ずつ感情を込めず機械的に行うと効果的である。
例:「私 は 今 「 あいつ だけ 幸せそう で ムカつく と 思っている 」」
これを行うと、思考のリアリティが弱まる。
次に、たとえば以下のように短くまとめる。
- 「これは比較思考だ」
- 「これは怒りのストーリーだ」
- 「これは被害者ストーリーだ」
※内容の正しさを議論しないことが重要
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時は相手の人生から意識を切り離そう
対処法④:復讐的思考を正しく活用する


自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時の対処法の4つ目は、「復讐的思考を正しく活用する」です。
怒り自体は不快な感情ですが、怒りには、何かを動かしたいという接近動機が含まれます。そのため、嫉妬と同じで、使い方次第では怒りも有益な結果をも足らると考えられるんですよね。



怒りにもポジティブな面はあるんやね。
事実、研究では、怒りは回避より接近に近い感情であり、課題への取り組みや目標達成を後押しすることがあるとされていますね。とはいえ、怒りは注意や認知の幅を狭め、復讐の快感を強める方向にも働くので、怒りを適切に処理せず放置すると反すうが助長される可能性があります。
参考:Anger is an approach-related affect: evidence and implications
そのため、復讐的なエネルギーは相手を追いかける方向につかうのではなく、改めて自分が人生において大事にしたいものを見つけるための動機として活用するのがいいと個人的には思います。自分の大事にしたいものを見つけたい方は、以下の記事を参考にしてみてくださいね。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時は復讐的思考を正しく活用しよう
自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由





ちょっと、不快なのは心が狭いんかなと思わんでもない、、。



いや、そんなん不快で当たり前やで!
つぎは、自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由について、見ていきたいと思います。自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由は、以下の通り。
自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由
- 理由①:人には公平性本能がある
- 理由②:未処理の感情が残っている
- 理由③:人には比較したがる本能がある



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:人には公平性本能がある


自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由の1つ目は、「人には公平性本能がある」です。
人の本能は、そもそも公平さを重視するように設計されています。公平性の規範は、協力や対人関係を成り立たせる基盤であって、不公平な提案に対しては自分に損があっても拒否するということが古典的な実験でも示されていたりしますね。



ふむ、公平性を求めるのは本能なのか。
そのため、「あの人は自分を苦しめたのに、なぜ平然としているのか」と怒りではらわたが煮え返るような心情を覚えるのは、自然としかいいようがないといえます。
理由②:未処理の感情が残っている


自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由の2つ目は、「未処理の感情が残っている」です。
他人に苦しめられたりすれば、そんなに簡単にはその際の感情を処理しきれず長期間にわたってみ処理の感情が心の中に残っているものです。こうした未処理の感情は、過去の加害者の近況をトリガーとして再燃するのも当然といえます。



ふむ、まさにトラウマがよみがえるってやつやな。
ちなみに、負の出来事を距離を取り再構成できるほど、感情反応や侵入思考が下がり反すうも弱まることが示されていいますが、これは裏を返せばまだ距離化できていない出来事ほど、相手の幸福そうな姿に強く反応しやすいと解釈できます。
参考:From a distance: Implications of spontaneous self-distancing for adaptive self-reflection
理由③:人には比較したがる本能がある


自分を苦しめた人が幸せそうで不快なのは当然な理由の3つ目は、「人には比較したがる本能がある」です。
先ほど述べてしまった気もしますが、人間にはそもそも「他者と無意識に比較してしまう」という本能が備わっています。



ふむ、比較は人間の本能なんやな。
そのため、自分を苦しめた人が幸せそうにしているさまを見て、自分の現状や過去の状態などど相手のそのさまを比較して不快感を覚えても、当たり前といえるでしょう。
とくに、自分の現状置かれてる状態が過去に自分を苦しめた人に比べて、劣っていると感じられるのであれば、なおさらだと思います。
自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由





本当、気にしてもしょうがないよなあ、、。



うむ、それなんよね。
つぎは、自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由について、見ていきたいと思います。自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由は、以下の通りです。
自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由
- 理由①:他人の幸せはコントロール不能
- 理由②:「見えている幸せ」はほぼ錯覚
- 理由③:相手を気にするほど自分の人生が削られる
- 理由④:因果応報を期待すると苦しくなる



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:他人の幸せはコントロール不能


自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由の1つ目は、「他人の幸せはコントロール不能」です。
他人が幸せになるか不幸になるかといった事は、基本的には、自分にはコントロールできないものといえます。なにせ、幸せというものは、主観的なものでしかないですから。



まあ、せやね。コントロールは原則無理よね。
相手に何かしたらの報復をすることができるかもしれませんが、その報復によって相手の幸せが消え失せてしまうかは、、、なんともですよね。すくなくとも、よほどの事でもしない限り、相手の人生を不幸にすることなんてできません。
そのため、現実的に考えたら、自分を苦しめた人が幸せそうであっても、そんな事は気にする必要がないのです。むしろ、このように、コントロール不能なものを追い続けるほど、ストレスだけが増えてしまいます。
理由②:「見えている幸せ」はほぼ錯覚


自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由の2つ目は、「「見えている幸せ」はほぼ錯覚」です。
これも先ほど少しふれましたが、自分を苦しめた人が幸せそうに見えても、その認識が本当に実態と一致しているかはわからないものです。実際、インフルエンサーに顕著ですが、SNS上では幸せそうに振る舞っていても、その生活の実態が真逆である事もままあります。



ふむ、たしかに実態と一致しているとは限らんよな。
前述の通り、人間は一部から全体を過剰に想像していしまうものでもありますから、相手の実態なんてしっかりと調査でもしてみなければ、わからないでしょう。まあ、探偵を雇うのも手かもしれませんが、、、とはいえ、それでも本当の所はわからないかもしれませんね。
これは、人の心の問題ですから。いずれにせよ、自分を苦しめた人が幸せそうにしている事を過剰に気にしても、どしょうもないですね。気にする必要はないです。
理由③:相手を気にするほど自分の人生が削られる


自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由の3つ目は、「相手を気にするほど自分の人生が削られる」です。
怒りは注意を狭め頭の中を自分を苦しめた相手中心に固定しがちで、放置すると「確認したい」「見返したい」「検索したい」などといった行動に流れやすいといえます。



ふむふむ。
ですが、相手の事を想像するという事は、「いつまでも自分に加害してきた人のために自分の人生の貴重な時間を費やす」というのと同じことです。これは非常にもったいない事といえますよね。さすがに、嫌いなやつのために、自分の大事な人生をつかうのはさすがに不服というものでしょう。
自分を苦しめた人が幸せであっても、そんな事はどうでもいい。そんな奴ののために時間を、使ってやる必要はないんです。
理由④:因果応報を期待すると苦しくなる


自分を苦しめた人が幸せそうでも気にする必要ない理由の4つ目は、「因果応報を期待すると苦しくなる」です。
自分を苦しめた人が幸せそうだと、「因果応報があるから必ずあいつは報いを受けるはずだ」等と思い込むことで無理やり留飲を下げようとすることもあるでしょう。しかし、なんだかんだ、こうしたことを思っても、相手の動向が気になってその後もたびたび確認するようになると思います。



まあ、せやなあ、、気にはなるよね。
しかし、「悪い事をすれば必ずその報いを受ける」といった因果応報論は、現実にはありません。
参考:人を傷つける人はバチがあたる
にもかかわらず、自分を苦しめた人が幸せそうにしているのを見て、「そのうち報いを受けるから何とか我慢しよう」みたいに考えても、何にもなりません。因果応報論を信じれば信じるほど、報いが来ない現実に何度も傷つくことになります。
そのため、前述のように感情と自分を切り分けて、怒りを自分の人生の方向性を再考するための動機として利用する方がよほど賢明といえるでしょう。自分を苦しめた人が幸せそうでも、それを期する必要はないんですな。
自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきこと





自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時、確認すべきことある?



以下の3つは確認しておいた方が、ええね。
つぎは、自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきことについて、見ていきたいと思います。自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきことは、以下の通りです。
自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきこと
- 気にしていて本当に幸せなのか
- 因果応報があるはずと思っていないか
- 今の自分はどうしたいのか



それぞれ、詳しく見ていこう!
気にしていて本当に幸せなのか


自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきことの1つ目は、「気にしていて本当に幸せなのか」です。
自分を苦しめた人が幸せそうだと実に不愉快でしょうが、まずは、「いま自分がしているのは、相手の観察なのか、それとも自分の消耗なのか」と確認した方がいいでしょう。



ふむ、結局、消耗したらどうしようもないよね。
自分を苦しめた人が幸せそうなことがいくら不快であっても、それを考えて消耗しきって不幸になってしまったら、何にもなりません。
まずは、「本当にこんなことを強いて自分は幸せなのか?」とか「幸せになれるのか?」と考えてみるのが、大事でしょう。
因果応報があるはずと思っていないか


自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきことの2つ目は、「因果応報があるはずと思っていないか」です。
先ほどふれたように、因果応報は存在しません。そのため、無理やり留飲をさげるために、因果応報論を信じて「いつかあいつには天罰が下る」みたいに思っていても、その願いが報われる事はありません。ま、偶然何かしらの不幸が起こる可能性は全否定できませんけども。



ふむ、せやなあ、、。
とはいえ、そういった期待を持っていると、なんだかんだ過去の加害者の動向を追ってしまうでしょうから、長期的に見るとストレスがたまるばかりです。そのため、自分を苦しめた人が幸せそうなのを見た時は、因果応報論に基づく期待をきちんと外した方がいいでしょう。
結局、感情と距離を置いたうえで自分軸を確立して、自分の人生に集中するのが一番って事になりますね。
今の自分はどうしたいのか


自分を苦しめた人が幸せそうで不快な時に確認すべきことの3つ目は、「今の自分はどうしたいのか」です。
先ほどの内容と重複する部分もありますが、「今の自分は何をどうしたいと思っているのか」をきちんと言語化して腹落ちすることが重要ですね。



たしかに、怒りにのまれて方向性を見失ったらあかんわな。
結局、最終的に大事なのは、「自分が幸せに生きれるかどうか」という一点だけです。くりかえしになりますが、自分の人生の満足度を高め幸せになるためには、自分の大事にしたいものをきちんと見定めて、それにそって生きることが大事といえます。
そのため、自分を苦しめた人が幸せそうな時は、前述のようにまず言語化して気持ちを落ち着けるなどしてから、「自分はいったい何を人生にのぞんでいるのか」を改めてみなおすのが最善です。
自分を苦しめた人が幸せそうな時にありがちな疑問





まだ、気になることがあるんよねえ、、。



ふむ、最後に疑問に答えていこうかの。
最後に、自分を苦しめた人が幸せそうな時にありがちな疑問について、答えていこうかと思います。
疑問①:相手の不幸を願ってしまう、、


自分を苦しめた人の不幸を願ってしまうこと自体は、ダメではありませんよね。しかし、そのままだと自分が消耗していくので、そこが一番問題ですね。
ここで重要な事は、「思うことそれ自体」ではありません。「思ってしまう事にどれだけの時間を割くか」という事です。
疑問②:許さないと前に進めない?


たしかに、一部「許すことが最大の復讐だ」などどいったきれいごとを言う人もおり、許す必要があるのではないかと考える人もいるでしょう。
しかし、実際には許す必要は全くありません。許すことなどよりも、多くの場合において必要なのは、相手に対して関心を失うことですね。
疑問③:因果応報って本当にない?


正直言って、因果応報はないというのが現実的な見方です。もっとも、自分を苦しめた人が当人の行動の報いを受けて自滅、、、という事もまれにはあるでしょうが、しかしそれは偶然でしかありません。
なにより、因果応報を期待すると、往々にして裏切られるので初めから期待しない方が精神的には安定しますし楽ですね。
疑問④:相手が楽しそうな投稿を見ると一気に鬱、、


自分を苦しめた人が幸せそうにしている投稿を見たら、それは誰でも不愉快極まるでしょう。それは非常に自然な反応ですよね。
もうそんな時は、ミュートやブロックをするなどしてみないようにするとか、しばらくSNSをやめてデジタルデトックスを試みる、、、といった対策が結局は一番でしょう。
疑問⑤:自分だけが損している気がしてつらい


たしかに、自分だけがひどい目にあって、相手はのうのうと生きている、、と思うのは無理もない事です。ただ、人生は長期戦ですから、結果的に帳尻があってしまう可能性も捨てきれません。
それにことさら幸せそうにしている人には、実は大きな悩みがある、、、なんてことも珍しくありませんし、、とりあえず、実態なんてよくわからないものです。なので、今の状態だけで判断しないようにしたいものです。、、まあ、、、そうはいっても難しいのは否定しませんけどね。
疑問⑥:この世は優しい人ほど損する世界?


率直に言って、優しいから損をするのではなく、「境界性を引けるかどうか(例:必要に応じて拒否できる)」が問題の核心ですね。
それに、優しいかどうかなんて結局は他人の評価にすぎません。あまりこう言ういい方はあれですが、「自分は保護されるべき可愛そうな者だ」というストーリーを構築するために、自分を「優しい側」に寄せるのはあまり建設的な思考ではないでしょう。
疑問⑦:時間が経てば自然にどうでもよくなる?


たしかに、時間がたてば程度問題ではありますが、傷つけられたことによる心痛はいえてはいくでしょう。
しかし、必ずしもどうでもよくなるかといわれると、、、断言はできませんよね。とくに、何度も思い出してしまうような場合は、心の傷の治癒が長引きますね。
自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時はまず何に反応しているのか言語化 しよう!嫌なやつのために自分の時間を使うのは無駄!


自分を苦しめた人が幸せそうでムカつく時は、自分がまず何に反応しているのかを言語化 して感情を収めることから始めましょう。そうしないと、比較が加速したり復讐心にとらわれて、自分を苦しめた人の事ばかり考えて、さらに泥沼化していきかねません、
自分を苦しめた人が幸せそうになんてしていたら、「この野郎、殺してやろうか!」くらいに思っても仕方ないでしょうが、いつまでもそんな嫌なやつの事を考えているのは、さすがに人生の無駄遣いです。嫌なやつのために、どうしてあなたの貴重な時間を使ってやらねばいけないのか?て感じですね。



不快なのはわかるけど、冷静になりたいもんやね。
ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、価値観タイプ診断や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。
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