おにぎり何者にもなれてないねん、、、



それでいいと思うねん。ワイは何者にもなるなっていいたい。
世の中には、老若男女問わず「何者かになりたい」という気持ちをもって、悶々としている人たちがたくさんいます。実際、そうした悩みを持っている方の相談を受けたことも、一度や二度ではありません。ただ、私としてはあえて「何者にもなるな」といいたかったりします。何者かである必要は、マジでないです。
そんな感じですから、何者かにならないといけないのか、気になりますよね?結論から言うと、私は「何者にもなるな」と言いたいです。私が「何者にもなるな」と言いたい理由は、以下の通りです。
「何者にもなるな」と私が言いたい理由





特に、自己像の固定化は致命的なんよ。
「何者かになりたい」といっている人たちは文字通り何者かになりたいんではなく、他人から称賛されるまたは、自分のなりたい理想の自己像に執着しているにすぎません。目指すことはいい事ですが、執着は害です。むしろ何者でもない事を楽しむくらいでいた方が、結果理想に近づけるかもしれません。
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「何者にもなるな」と私が言いたい理由





君はなんで「何者にもなるな」っていうん?



ワイが「何者にもなるな」というのは、以下の理由があるからや。
冒頭でふれたように、私は「何者にもなる必要はない。いや、むしろに何者にもなるな」と思っているのですが、意味不明な方も多いと思います。
そこで、まずは、「何者にもなるな」と私が言いたい理由について述べていこうかと思う次第。「何者にもなるな」と私が言いたい理由は、以下の通りです。
「何者にもなるな」と私が言いたい理由
- 理由①:自己概念の固定化は揺らぎを増幅させる
- 理由②:ラベル依存は条件付き自己価値を生む
- 理由③:単一アイデンティティはレジリエンスを下げる
- 理由④:自己が固定化されると更新不能になる
- 理由⑤: 感情と自己が結びつきすぎる



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:自己概念の固定化は揺らぎを増幅させる


「何者にもなるな」と私が言いたい理由の1つ目は、「自己概念の固定化は揺らぎを増幅させる」です。
自己概念が固定化、つまり「自分は~である」という認識が強固になりすぎると、自己が安定するどころかむしろ不安定になってしまいます。



そういうもんなん?
これは、自己概念明確化における揺らぎ(Self-Concept Clarity Instability)に関する最近の研究での知見によるもので、自己概念の固定化は成功時は自己肯定が高まる一方で、失敗時は急激な自己否定に傾きやすく、結果的に自己概念の振れ幅が大きくなりやすいという指摘に基づいています。
参考:Self-concept clarity: Measurement, personality correlates, and cultural boundaries.
自己概念が「はっきりしていて一貫し、時間的に安定している」ことは心理的健康と非常に密接なかかわりがあるので、こうした揺らぎは精神にとって非常に有害です。そのため、特定の自己像に固執しないためにも、「何者にもなるな」と私は言っているんですね。
「補足」自己概念明確性における不安定性(Self-Concept Clarity Instability)について
自己概念明確性における不安定性(Self-Concept Clarity )とは、Jennifer D. Campbell らが体系化した概念である。
まず、自己概念明確性を構成する要素について、触れると以下の通り。
自己概念明確性を構成する要素
- 自己信念が明確である
- 内的に一貫している
- 時間的に安定している
そして、自己概念明確性が高い人には以下のようなポジティブな特徴があるとされる。
- 自己評価が安定
- 抑うつ・神経症傾向が低い
- 意思決定が速い
- 外的評価に振り回されにくい
近年は自己概念明確性の日内・日間変動に注目が集まっており、研究では自己概念明確性が日々揺れやすい人には、以下の傾向があると示唆されている。
自己概念明確性が日々揺れやすい人の特徴
- 抑うつ症状が高い
- ネガティブ感情に引きずられやすい
- 反すう傾向が強い
特に重要なのは自己概念明確の高低よりその変動幅が抑うつを予測する指標になりうるという点である。つまり「今日は自信満々、明日は自己否定」のように振れ幅が大きい人は単に自己概念明確性が低い人よりも、抑うつリスクが高い可能性があるという事である。
ちなみに、別の研究によって、同様の構造が自尊心についても指摘されている。ようは、自尊心の高低よりもその不安定さの方が心理的脆弱性につながるという指摘である。
なお、研究によって他にも自己概念明確性が揺らぎやすい人の特徴としては、以下のようなものが指摘されている。
- 自己定義が外的評価依存
- 感情状態に自己評価が引きずられる
- 役割と価値が未分化
理由②:ラベル依存は条件付き自己価値を生む


「何者にもなるな」と私が言いたい理由の2つ目は、「ラベル依存は条件付き自己価値を生む」です。
「自分は◯◯である」という自己定義は、言ってみれば「~でいられる限り、自分には価値がある」というのと同じ事だったりします。



こうした条件付きの自己承認は、外的評価依存を強め防衛的になり批判に過剰反応して自己揺らぎを起こす、、、といった結果を将来しやすいといえるでしょう。
条件付き自己承認は、自己概念の固定化への強い動機であり、固定しようとすればするほど不安になって揺らぎが発生します。そのため、私は「何者にもなるな」と言いたいわけですね。特定の自己像に固執することがなければ、条件付き自己承認は起こりにくいですから。
良く自己啓発系で言われる、「ありのままでいい」も似たような意味合いで使われる言葉といっていいかもしれませんね。ちょっと違うといえば、違うけど。
理由③:単一アイデンティティはレジリエンスを下げる


「何者にもなるな」と私が言いたい理由の3つ目は、「単一アイデンティティはレジリエンスを下げる」です。
Patricia W. Linville の自己複雑性理論では、自己側面が多い人ほどストレス耐性が高いとされます。その点から考えると、「何者か」になろうとする行為は、自己側面を絞り込み単一物語化し他の可能性を閉じる方向に働くのでストレス耐性を低下させるリスク要因です。



なるほど、、、いわれてみればそうかもしれんね。
実際、逆に自己側面を絞り込み単一化すると、ある領域での喪失が全体の脆弱化につながり、レジリエンス(精神の回復力)が下がるという自己複雑性理論の観点からの示唆がありますね。
そのため、私はくどいですが、「何者にもなるな」と言いたいですね。特定の自己像を目指して執着心を燃やすよりも、もっと多様な自己の側面(仕事・家族・趣味・価値観など)を保持して、欲しいと思ってしまいます。
理由④:自己が固定化されると更新不能になる


「何者にもなるな」と私が言いたい理由の4つ目は、「自己が固定化されると更新不能になる」です。
自己概念は本来、文脈依存で発達的に変化し社会的相互作用で更新されていくものといえます。



ふむ、確かに人は変わっていくものよね。
しかし「何者か」になった瞬間、こうした変化や更新は「自分への裏切り」のようなものとなってしまいます。なにせ、何者かであることに固執すると、そこからの方向転換は失敗や変節、価値観の変化は一貫性の欠如、、という思考になってしまうことがままありますから。
心理は柔軟であることが大事で、特定の理想状態を維持する事を目指すのは本末転倒です。「何者にもなるな」と本当、言いたいですねえ(しつこい)。
理由⑤: 感情と自己が結びつきすぎる


「何者にもなるな」と私が言いたい理由の5つ目は、「感情と自己が結びつきすぎる」です。
ここまでの内容と幾分重複するかもしれませんが、感情状態に自己評価が連動する傾向が強まると、日々の気分変動が露骨に「私は価値があるorない」という認識を左右するようになってしまいます。



なるほど、、かなり厄介な状態やな。
実際、最近の縦断研究や日内変動を扱う研究では、自己概念明確性の変動が主観的幸福やネガティブ感情と動的に関連することを示していますね。
ちなみに、完全に私が勝手に思っただけの事で何のエビデンスもない事なんですが、個人的双極性障害をお持ちの方が「何者かになろうとする」とか、そうした方に対して「何者かになれ」というのはかなりリスキーだよなって思うんですよね。
こうした方ほど、感情に左右されない価値というものをきちんと見出して、それに沿って生きていってほしいよなあ、、と思ったりします。なので、双極性の気の有る人に関しては、「絶対何者にもなるな!」とかいいたくなりますねえ。
「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターン5選





何物にもなるなと言われても、困る人おるやろ、、。



せやな、多分以下の5つの思考パターンの人はそうやろな。
私は「何者もになるな」というスタンスなわけですが、正直、「そういわれてもなあー」という方はたっくさんいると思います
おそらく、以下の5パターンの思考をする方は、「何者にもなるな」といわれても困惑するかもしれませんね。
「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターン5選
- ラベルが自己価値と結びつきすぎている
- あいまいさ耐性が低い
- 単一物語思考
- 外的承認に依存している
- 成熟を自己概念の固定と誤解している



それぞれ、詳しく見ていこう!
ラベルが自己価値と結びつきすぎている


「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターンの1つ目は、「ラベルが自己価値と結びつきすぎている」です。
もはやここまでの内容を見ている方からしたら今更でしょうが、ラベル(「自分は~だ」という認識。例:「成果を出せないなら存在価値がない」など)が自己価値と結びついている人ほど、「何者にもなるな」といわれば反発すると思います。



てか、命令形なのがあかんと思うで。
こうした人たちからしたら、「何者にもなるな」=「無価値でいろ」と誤解するわけですからね。
あいまいさ耐性が低い


「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターンの2つ目は、「あいまいさ耐性が低い」です。
そもそも人間は本能的に「不確実性の高い状態を嫌う」ので、自らに「自分は~である」等とラベルを貼って確実性を高めて安心感を得ようとする傾向にあります。



まあ、誰も不安定なんて好きじゃないわな。
ただ、この傾向が強すぎる人に関しては、上述のように特定の自己像に固執するあまり、かえってメンタルが不安定になったりするわけですね。
こうした人は、日々マインドフルネス瞑想をするなどして感情と自己を分離する訓練を積み重ねていった方がいいと思います。
単一物語思考


「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターンの3つ目は、「単一物語思考」です。
単一物語(シングルストーリー)とはある人や場所について、たった一つの側面や物語(ステレオタイプ)だけを繰り返し聞くことで、それが「唯一の真実」だと思い込んでしまうことをいいます。



なんか、洗脳とかのにおいを感じる話やな、、。
たとえば「私は~な人間だ」とか「ずっとこうであるべきだ」といった思考は、まさに自己を物語一本で統合しようとするものといえ、ストレスに非常に脆弱です。
実際、前の自己複雑性理論の観点から見れば、自己の側面が1つしかないのですかr、当たり前ですよね。こうした単一物語に縛られている人ほど、「何者にもなるな」といわれても困惑、、いえ、怒るでしょう。こうした方には、ぜひ後述する役割分散ワークを行ってほしいですね。
外的承認に依存している


「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターンの4つ目は、「外的承認に依存している」です。
「他人に説明できる肩書きが自分にないと認められない」とか「他人に対して顕示できる成果が自分にないと認められない」といった、思考をする人は外的評価に自己概念を依存させすぎています。



もはや、承認欲求モンスターやんけ。
こうした人からしたら、他人からみて「賞賛すべき何者か」でないと自分の事を認められないので、「何者にもなるな」と言われれば、「お前は無価値なままでいろ」といわれたように感じて、怒り心頭でしょう。
特に現代は、SNSのせいで自己と他者との比較がはかどる事で、外的承認への欲求が強まっていますから、かなり事態は深刻ですな。ちなみに、これは自分の本能にまんまとつられている生き方といえますね。
成熟を自己概念の固定と誤解している


「何者にもなるな」と言われても困惑する人にありがちな思考パターンの5つ目は、「成熟を自己概念の固定と誤解している」です。
本当にたまに、「自己概念が成熟したら変わらなくなるものだ」と考えている人がいますが、こうした人も「何者にもなるな」といわれると怒りますよね、きっと。なにせ、彼らからしたら、「何者にもならない」という事は「いつまでも未熟なハンパものでいろ」ってことになりますから。



まあ、実際は変化出来るものこそ強いよね。
ちなみに、発達心理学的には健全な自己は更新され続けるものなので、固定は成熟ではなく停止、ないし衰退と同義とすらいえるでしょう。しばしば「ありのままでいい」とかいう人達がいますけども、私はそうした人達にいつも思うんですよね。「それさ、ただ君が変化するのが嫌な怠け者だからだろ?」と。
以前の記事でふれたように、「ありのまま」ってそもそも経験や身を置く環境などによって、変化するものなので全く不変ではありません。なので、「ありのままで生きるんだ」とか言って対人関係で、我を出してもめ事を起こしてばかりいる人には「へー」と冷ややかな目線を送っていますよね、おっと余談だった。
何者でもない事を楽しむ方法





何者でもない事を、楽しむ方法とかないんか?



ふむ、以下の3つの方法をとるといいと思うで。
つぎは、何者でもない事を楽しむ方法について、見ていきたいと思います。何者でもない事を楽しむ方法は、以下の通りです。
何者でもない事を楽しむ方法
- 方法①:ラベルを外す練習をする
- 方法②:多面性を意図的に増やす
- 方法③:曖昧さを可能性として再解釈する



それぞれ、詳しく見ていこう!
方法①:ラベルを外す練習をする


何者でもない事を楽しむ方法の1つ目は、「ラベルを外す練習をする」です。
多くの人は無意識に、何某かの「自分は~である」という認識をもっているものです。こうした認識は別に強度が強くないのであれば、そこまで問題ないのですが、その時々の感情や置かれている状況によって強化されることは誰にでもあります。



あ、確かあれやろ、認知的フュージョンってやつやな?
そのため、何者でもない状態を楽しみ続けていきたいのであれば、こうしたラベルから適切に距離をおけるように対策しておくことが欠かせません。例えば、肩書や成果に固執している人なら、1日だけ意識して「肩書きを名乗らない日」を作るとか、成果と自分の価値を意識的に分離して認識するようにするとかそんな感じでしょうか。
あとは、日頃からマインドフルネス瞑想やセルフコンパッションを実践して、メタ認知と受容を鍛えつつ、思考との融合を解く脱フュージョンを必要に応じて実践する習慣をつけるといいですね。詳しくは以下の記事を見てみてくださいませ。
参考
不安は自分で作り出している?今すぐ解放される3つの簡単な方法!(マインドフルネス瞑想)
不完全で完全?自分を愛せるシンプルな3つの方法!(セルフコンパッション)
友達が美人で劣等感?強い劣等感を吹き飛ばす今すぐ試せる緊急措置3選!(脱フュージョン)
何者でもない事を楽しみたいならラベルを外す練習をしよう
方法②:多面性を意図的に増やす


何者でもない事を楽しむ方法の2つ目は、「多面性を意図的に増やす」です。
前述のように、単一の自己像に過度に固執するようになると、精神状態がかなり不安定になっていくので、意識して日頃から自分の中に様々な自己像を作り多面性を確保するようにしていきましょう。



いうて、どうすればいいん?
多面性を増やすためにあたっては、たとえば、月に一つ、専門外のコミュニティに参加する(アート・スポーツ・ボランティア等)とか、今まで触れたことのない分野について教室に通ってみるといった行動がおすすめです。
また、活動する領域を増やすことで自己側面を増やすのと同時に、そうした活動を簡潔に日記に記録するようにすると、単一アイデンティティへの依存が薄れやすくなるでしょう。
何者でもない事を楽しみたいなら多面性を意図的に増やそう
方法③:曖昧さを可能性として再解釈する


何者でもない事を楽しむ方法の1つ目は、「曖昧さを可能性として再解釈する」です。人間は本能的に不安定を嫌うので、「自分は~である」という認識が固まらないと不安になるのは当然といえます。ただ、自己概念の固定は、自身の可能性を否定することと同義であるともいえるでしょう。
そう、「まだ定義されていない」ということは、「これからいくらでも定義する余地がある」という事です。何者でもないという事は何者にでもなれるという事でもあるんですね。



何者でもないから何者にでもなれるって、、新次郎かよ、、。
そして、何者かになるということは本来自己が認識することによってなされる内発的な営みですから、他者からどう評されるかは問題ではありません。そのため、まずは、あいまいな状況で不安を感じる時は、「未完成の可能性」とラベル付消してみるといいでしょう。
ただ、これだけで本質的な対策はできないので、あいまいさにより生じる不安に根本から対処したいなら、自分の大事にしたいものをはっきりさせて行動するのがおすすめです。自分の大事にしたいものを見つけたい方は、以下の記事を見てみてくださいませ。
何者でもない事を楽しみたいなら曖昧さを可能性として再解釈しよう
何者にもなるなと言われた際に気になるであろう疑問





まだ、気になることがあるんよねえ。



んじゃ、最後に疑問に答えていこうかのお。
最後に、何者にもなるなと言われた際に気になるであろう疑問について、回答していきたいと思います。
疑問①:「何者にもなるな」とは目標を持つなという意味?


いえ、「何者にもなるな」とは、「目標を持つな」という意味ではありません。むしろ、目標を持つことは人生に張り合いを出すのでいい事です。
重要なのは、目標と自己を同一化しないことですね。目標は航路、自己は船体ではなく「海を泳ぐ水」になるイメージを持つといいでしょう。
疑問②:何者にもならなかったら人生がブレない?


特に、何者にもならないからといって人生がブレないという事はありません。むしろ、「何者か」とラベルを貼ればこそ、どんどん人生がぶれていく可能性があります。
問題なのは自分が大事にしたいもの、つまり価値を見定めることが重要です。価値を見出すことができれば、人生はブレません。
疑問③:何者でもない状態が怖いけど、これは普通?


何者でもない状態が怖いのは、非常に普通の事です。というのも、人は曖昧さに不安を感じますから。そのため、「何者か」になることで安心したくなるのは自然です。
疑問④:結局どういった状態が理想?


何者にもなる必要はないですが、理想的な状態をいうのであれば、「価値が明確で役割は持っているがそれと自己と同一化していない」という状態でしょう。
さらにいうなら、絶え間なく必要に応じて柔軟に自己を変化させていける精神状態であることが、大事ですね。
「何者にもなるな」と言いたいのは自己像の過度の固定が危険だから!ラベルではなく価値で自己をとらえよう!





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