おにぎり博愛主義は嫌われるもんなん?



せやな、嫌われることが多いと思うんよね、実際。
博愛主義というと倫理的には非常に高潔なイメージですが、現実世界ではこうした博愛主義を提唱するような人たちはおよそ嫌われる傾向にあります。倫理的に正しい立場をとっているはずなのに、彼らに対する風当たりは意外と強いのが現実といえるでしょう。
そんな感じですが、なぜ博愛主義が嫌われるのか、気になりますよね?結論から言うと、博愛主義は嫌われる理由は、以下の通りです。
博愛主義が嫌われるのも無理はない理由





そもそも、博愛主義は本能に反するから嫌われるんよ。
博愛主義は倫理的には正しい思想ですが、この思想は本能に反するものであるため、博愛主義をことさら標榜する人は嫌われるのも無理はありません。博愛主義をいい具合に人間関係に取り入れたい場合、静かに限定的に優先順位を明示しながら行っていくのが原則です。
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博愛主義が嫌われるのも無理はない4つの理由





博愛主義が嫌われるのは、なぜなん?



それは、以下の理由からなんやで。
まずは、博愛主義が嫌われるのも無理はない理由について、見ていきたいと思います。博愛主義が嫌われるのも無理はない理由は、以下の通りです。
博愛主義が嫌われるのも無理はない4つの理由
- 理由①:人間は本来身内びいきの生き物
- 理由②:道徳的マウントに見えることがある
- 理由③:リソースは有限である
- 理由④:理念を優先しているように見える



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:人間は本来身内びいきの生き物


博愛主義が嫌われるのも無理はない理由の1つ目は、「人間は本来身内びいきの生き物」です。
人間は進化の過程で、血縁や互恵関係、内集団を優先してきました。そのため、無差別な他者への同等の配慮は、生物学的直感とズレてしまうものです。



やっぱそうよね、無差別な同等の配慮はすこし変よな。
実際、後述するように脳の社会的能力には限界があり、人が安定的に維持できる対人ネットワークには上限があるので、平等に優しくしようとするといわゆる八方美人的なふるまいをとらざるをえません。
人間の本能的に「誰でも同じくらい大切にする」という態度は、親しい人たちから「自分が軽んじられている」と感じられるリスクがあるので博愛主義が嫌われるのは無理もないですね。
理由②:道徳的マウントに見えることがある


博愛主義が嫌われるのも無理はない理由の1つ目は、「道徳的マウントに見えることがある」です。
他者への公平さや慈愛を強調する言説は、第三者から見ると「自分の方が倫理的に優れている」というマントと受け取られやすく、反感を買いやすくなります。



ふむ、いわゆる善人アピールへの反感って事やな。
一見、これを聞くと「さすがに被害妄想では?」と思いたくなってしまうものですが、人は往々にして過度に利他的に振る舞っている人をみると、「自分はあの人に比べて利己的だ」という気持ちが芽生えて、罪悪感を持ちがちだったりします。
すると、この罪悪感を解消するために、利他的な人に対して「善人ぶりやがって」とか「あいつにはうさんくさい」、「何か企んでいる」といった防衛的な思考を持つことにもなりがちです。利他的な人は、人間の本能には悪い意味で訴求してしまうんですね。ま、中には本当にいい人アピールしてる偽善者も、いますけど。
理由③:リソースは有限である


博愛主義が嫌われるのも無理はない理由の1つ目は、「リソースは有限である」です。
時間・注意・感情エネルギー・お金といったリソースは、有限です。誰かを救う、支えるという行為は、自分のみならず別の誰かへの投資を減らすことを意味しますから、そう簡単にできる事ではありません。



たしかに、助けるにしても選ぶ必要があるよね。
そのため、特定の身内や仲間に限定せず広く人類全体・他者一般を平等に愛し配慮しようとする博愛主義は理念としては非常に高潔であっても、現実的ではないのでどうしてもそれを推し進めようと言い出せば、反発する人が出てきます。
まあ、配るリソースが無限にあれば、博愛主義は可能なんでしょうけども、、そんなわけはありませんからね、、。どうしても、リソースを投入する所は選ばざるを得ません。
理由④:理念を優先しているように見える


博愛主義が嫌われるのも無理はない理由の4つ目は、「理念を優先しているように見える」です。
先ほどの「利他的な人は罪悪感を刺激する」という事とも関係していますが、博愛を理念として語る人は、人間の「嫉妬、独占欲、傷つきやすさ」などといった汚い側面を軽視し現実逃避をしているように見える傾向にあります。



まあ、きれいごと言ってんなって感じはするよね。
後述するように、博愛主義は現実的ではなく過度に理想化された思想なので、それをことさらに主張する人は、「現実を直視していない痴れ者」といった感じにもとれるでしょう。
ようは、理念を優先しすぎているように見えるので、「そんな無理言うなよ、、、無理だって」などといった反感を受け取り側に想起させるといえます。
嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由





博愛主義が現実的には成立しないもんなん?



せやなあ、厳密に言うと、成立はせんね。
はっきりいって、博愛主義は厳密に言えば、現実的には成立しないといえます。そこで、つぎは嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由について、みていきましょう。
嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由は、以下の通り。
博愛主義が現実的には成立しえない理由
- 理由①:認知能力や共感には限界がある
- 理由②:近接性バイアスの存在
- 理由③:相互性が成立しない



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:認知能力や共感には限界がある


嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由の1つ目は、「認知能力や共感には限界がある」です。
人には先述のように、人間の社会的注意・記憶には物理的な限界があり、博愛主義を借りに実践しようと思ったら現在のAI以上に優れたまさに神の頭脳が必要になってしまいます。



たしかに、物理的に不可能って気はする。
ちなみに、これを裏付けるものに生物学者のロビンダンバーによって提唱されたダンバー数という概念があり、この概念によれば人間が円滑に安定して維持できる人間関係の最大数の上限は約150人であるとされていますね。
加えて、多量の他者の苦痛に接し続けると感情が麻痺したり無力感に陥る(感情疲労)こともあって、世界のあまねく人の苦しみに寄り添うなど到底不可能な事です。博愛主義はとてもではありませんが、現実的とは言えません。
理由②:近接性バイアスの存在


嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由の2つ目は、「近接性バイアスの存在」です。
人は物理的・心理的に近い対象へより強く反応する傾向があり、大量の無名の被害者より「顔の見える一人」を優先して救済する行動が観察されます(識別可能被害者効果)。そのため、「全体を同じ熱量で愛する」という命題は心理的に成立しづらいのです。
参考:The ‘‘Identified Victim’’ Effect: An Identified Group, or Just a Single Individual?



まあ、そうよなあ、、、。
こうした現象が起こる背景には、俗に愛情ホルモンと言われるオキシトシンによる心理作用も関係しています。オキシトシンはいわゆる愛情を惹起するホルモンですが、同時に愛情を注ぐ対象以外を排除しようとする動機が高まり偏見や差別を助長するんですね。
そのため、そもそも愛情深いという事は、差別や偏見をするという事と裏返しです。愛情は偏在せざるを得ません。こうした愛情のダークサイドについて詳しく知りたい方は、以下の記事を見てみてくださいね。
そのため仮に博愛主義を徹底するとなると、もはやルールや純粋に勘定抜きの戦略として利他行動をするほかなくなるので、いわゆる「博愛主義者=サイコパス説」が濃厚になってくるってわけです。
ただ、困難ではあれども、理論的には別のルートも可能ではあります。そこについて、詳しくは以下の記事を見てみてくださいませ。
理由③:相互性が成立しない


嫌われる博愛主義が現実的には成立しえない理由の3つ目は、「相互性が成立しない」です。
持続的な協力は、互恵性(返報の期待)に支えられています。かりに、無条件の与えが広く行われると、フリーライダー問題や搾取が発生しやすく、制度的な安定性を失ってしまうので、いわゆる無償の愛といったものは現実的ではありません。



実際、進化的・制度的観点から、条件付き協力の方が長期維持に向きますからね(相互監視と罰のメカニズムが働くため)。博愛主義は、見返りを求めないで行うことが条件にあるため、現実的な視点から見るともはや不可能というほかありません。
なお、愛に無償性をもとめることが以下に無理難題であるかについて思索を深めてみたい方は、以下の記事を見てみてくださいね。
参考:無償の愛 正体
博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫








つぎは、博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫について、見ていきたいと思います。博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫は、以下の通りです。
博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫
- 工夫①:全員平等ではなく優先順位は明示する
- 工夫②:共感しすぎない
- 工夫③:価値に博愛要素を加え静かに実践する



それぞれ、詳しく見ていこう!
工夫①:全員平等ではなく優先順位は明示する


博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫の1つ目は、「全員平等ではなく優先順位は明示する」です。
先ほどふれたように、「全員に等しく愛情を注ぐ」という行為はリソースの有限性や愛情という感情の生理作用といった視点からどう考えても無理があります。



せやね、絶対無理よな。
そのため、博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れていこうと思ったら、向き合っている相手には「みんなを大切にするけど、あなたは今は優先する」などとリソースの配分を状況によって臨機応変に変え、それを相手にも明示するような戦略をとるのが賢明でしょう。
そうでないと、誰とも関係性を深めていけなくなります。これが恋人などであれば、なおさらです。もっといえば、「普通の人に接する時の丁寧さのグレード」を引き上げて、それをルーティン化してしまうのもいいと思います。
博愛主義の良さを嫌われる事なく取り入れたいなら全員平等ではなく優先順位は明示しよう
工夫②:共感しすぎない


博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫の2つ目は、「共感しすぎない」です。
大量の他者の苦しみに接すると共感疲労に陥るため、日頃から人と接する時には境界管理を徹底すいる必要があります。



確かに、共感のし過ぎはリスクやなあ。
なお、具体的な技術としては、「聴く→反映する→切り分け(自分の責任範囲の言語化)」を繰り返すというものがあるでしょう。
ただ、聞いた直後に相手の感情にのまれそうになる時もきっとあると思います。そんな時は、以下の記事で紹介している脱フュージョンを行って相手の感情と距離を置くようにするのがおすすめです。
共感から適切に距離を置くことができれば、燃え尽き(バーンアウト)を防げます。また、日頃からマインドフルネス瞑想を行って、メタ認知力を鍛えておくのも感情から距離を置く上では有用ですね。マインドフルネス瞑想について、気になる方は以下の記事を見てみてくださいませ。
博愛主義の良さを嫌われる事なく取り入れたいなら共感しすぎないようにしよう
工夫③:価値に博愛要素を加え静かに実践する


博愛主義の良さを嫌われる事なく人間関係に取り入れる工夫の3つ目は、「価値に博愛要素を加え静かに実践する」です。
博爱を直接掲げれば前述のように対外的な反発が増えますから、まず博愛的要素を取り入れるにあたってはまず「博愛を語らず静かに行動で示す」のが重要となります。もちろん、他人の行動に関して、そうした博愛的視点からさばくようなことは厳禁です。



ふむ、なるほど、背中で語れということやね。
そして、その上で、博愛的要素、たとえば「人に親切にする」とか「出来るだけ困っている人がいたら助ける」といったものを「自分の大事にしたいもの(これをACT的には価値という)」の中に取り入れていくのがおすすめです。
詳しくは別の記事で述べていますが、このように自分の価値の中に取り入れていけば、嫌みなく博愛的に行動することが可能になります。ただ、そのためにはまず価値をはっきりさせることが必要ですね。自分の価値を明確にしたい方は手間は結構かかりますが、以下の記事で紹介している方法を実践するといいでしょう。
博愛主義の良さを嫌われる事なく取り入れたいなら価値に博愛要素を加え静かに実践しよう
博愛主義は嫌われると感じる時にありがちな疑問





まだ、気になることがあるんよね。



んじゃ、最後に疑問に答えていこうかの。
最後に、博愛主義は嫌われると感じる時にありがちな疑問に対して、回答していこうと思います。
疑問①:博愛主義を実践して偽善と言われるのが怖い、、


偽善と捉えられない最も簡単な方法は、小さな具体行為(聞く・助ける・謝る)を積み重ね、言葉で自慢しないことです。
前述したように、博愛的要素を価値に取り入れて、背中で語るようにするのが一番と言えます。
疑問②:職場で博愛的な対応をすると搾取されやすいのでは?


たしかに、職場にはいろんな人がいますし利害関係が交錯していますから、博愛的行動は搾取されるリスクを増加させてしまうかもしれません。
そのため、職場では明確な境界(業務範囲)と返報期待(互恵条件)を最初に示すことで搾取リスクを下げる戦略をとるのがいいかもしれませんね。制度面(ルールや役割)を利用して、バランスを取って現実的に立ち回りたいですね。
博愛主義が嫌われるのは本能に反するから!ただ博愛主義は静かに限定的に優先順位を明示しながら使えば人間関係の潤滑油になる!


博愛主義は人間の本能に反するので、博愛主義が嫌われるのはもう仕方がないといえます。そのため、どうしても人は本心では「博愛主義なんて無理だろ」と思いやすいため、ことさら博愛主義を標榜する人に対しては偽善者とか理想に傾倒しすぎて妄言を吐く人にしか見えない事もしばしばでしょう。
とはいえ、博愛主義という思想にはいい面があるのも確かですから、この思想を人間関係の構築に取り入れていくのは賢明といえます。博愛主義は、静かに限定的に優先順位を明示しながら人間関係にとりいれていけば、この思想がきちんと潤滑油になるでしょう、



良い所は積極的に取り入れていきたいもんやね。
ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、価値観タイプ診断や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。
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