おにぎり勝ち組とか負け組とか下らない気が、するよねえ。



うむ、めっちゃくだらないね。
世の中には、勝ち組とか負け組といった言葉がありますが、正直、何をもって勝ちか負けかよくわかりませんから、ナンセンスというほかないと感じる人も多いと思います。とはいえ、勝ち組負け組という分類がなぜくだらないかを説明しろと言われると、ちょっと言葉に詰まる方も多いと多いでしょう。
そんな感じですから、勝ち組or負け組という分類が下らない理由について、気になりますよね?結論から言うと、勝ち組or負け組という分類が下らない理由は以下の通りです。
勝ち組or負け組という分類が下らない理由





行動改善に一切役立たないから、本当無益なんよね。
勝ち組or負け組という分類は勝ち組と負け組のどちらにも有害ですし、こうした分類は行動改善において何ら役に立たないので本当に無益の極みです。それに勝ちか負けかなど人生全体で考えれば、ある時一瞬での判断であり、こだわる意味がありません。そんな事より、自分軸を確立して生きる方がよほど重要です。
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勝ち組or負け組という分類が下らない3つの理由





勝ち組か負け組って下らん分類よな。



うむ、実際こんな分類下らんのよ。
まずは、勝ち組or負け組という分類が下らない理由について、見ていきたいと思います。勝ち組or負け組という分類が下らない理由は、以下の通りです。
勝ち組or負け組という分類が下らない理由
- 理由①:人生の成功は単一指標では測れない
- 理由②:人生は可変プロセスである
- 理由③:行動改善のためには役立たない



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:人生の成功は単一指標では測れない


勝ち組or負け組という分類が下らない理由の1つ目は、「人生の成功は単一指標では測れない」です。
一般に、価値の指標としては「年収」や「学歴」といったものが設定されがちですが、こうした基準はあくまでも指標の一例にすぎません。というか、勝ちか負けかなど所詮何かの指標に基づいて、恣意的に行われる評価にすぎないため、大した価値があるものではないですね。



ふむ、たしかに勝ち負け判断は指標ありきやからなあ。
さらにいえば、現代の幸福・健康研究では幸福感・健康・社会的つながり・自己効力感・意味感といった多次元の指標が重要とされますから、年収や学歴に過度に固執したところであまり意味がないでしょう。
参考:Social determinants of health: a veil that hides socioeconomic position and its relation with health
理由②:人生は可変プロセスである


勝ち組or負け組という分類が下らない理由の2つ目は、「人生は可変プロセスである」です。
人生山あり谷あり、、ではないですが、正直人生は色々なことがあるので、人生のある限られた一時期の評価の善し悪しだけで人を勝ち負けで分類するのは不毛でしかありません。それに発達・キャリア研究でも、「一時点の成績で人生が決まるわけではない」と言われていますね。



ふむ、せやな、一時期の評価で分類するのは不毛よね。
実際、若年期に不利でも後年に挽回する人、逆に若年期に成功した人が中年期差し掛かって燃え尽きてしまうなど様々なパターンが観察されます。
したがって、ある時期の状態の判定(勝ちor負け)で人の人生の評価を固定化するのは、極端に視野の狭まった見方というほかないですね。
理由③:行動改善のためには役立たない


勝ち組or負け組という分類が下らない理由の3つ目は、「行動改善のためには役立たない」です。
率直に言って、勝ち組か負け組かという分類は、行動改善を促すかという視点から考えるとまったくもって無益ですね。勝ち負けという分類は、役に立たない無駄な分類でしかありません。



たしかに、勝ち側は傲慢になるだろし負け側はやる気失せるしね。
具体的に言うと、「負け組」というラベルは因果や要因をありまいにして、「どのスキルを伸ばすか」とか「どの環境を変えるか」といった判断につながりません。それに、結構な確率で本人のやる気がなくなります。
勝ち組というラベルに関しても、傲慢や油断を醸成する土壌として機能するリスクがあり、これも行動改善の点からはマイナスに作用しえます。勝ち負けという分類は、実務的には何の価値もありません。
「補足」勝ち組、負け組という語の起源
勝ち組、負け組という言葉の起源は、第二次世界大戦後のブラジルの日系移民社会に求められるとされる。
当時ブラジルには多くの日本人移民が暮らしていたが、終戦後に日本が敗戦したという知らせが入ると、日本の敗戦を信じられない人々と、敗戦の事実を素直に受け入れた人々の間で対立が発生したという。
その対立の際、敗戦を受け入れず「日本は勝った」と信じ続けた人々は自らを「勝ち組」と呼び、敗戦を受け入れた人々を「負け組」と呼ばれたとされる。
参考:勝ち組と負け組
ただ、この時点では限定的な集団対立の文脈で使われてきた語彙でしかなく、今のようにこの語彙が広く使用されることはなかった。
ただ、その後、1990年代後半〜2000年代の雇用・経済状況(就職氷河期)やネット文化の中で、急速に使用されるようになっていった。
勝ち組or負け組という分類が下らない異常に有害な4つの理由





勝ち組or負け組という分類って、有害やない?



うむ、間違いなく有害やね。
つぎは、勝ち組or負け組という分類が下らない異常に有害な理由について、見たいきたいと思います。勝ち組or負け組という分類が下らない異常に有害な理由は、以下の通り。
勝ち組or負け組という分類が下らない異常に有害な理由
- 理由①:学習性無力感を強化する
- 理由②:勝ち組になっても恐怖は消えない
- 理由③:人を属性で見る癖が強化される
- 理由④:2分思考により精神が不安定になる



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:学習性無力感を強化する


勝ち組or負け組という分類が下らない以上に有害な理由の1つ目は、「学習性無力感を強化する」です。
世間でよく言われる負け組の条件に自分が当てはまっているor頑張った結果失敗して当てはまっている事を痛感した場合、「どうせ私なんて」、「もう決まっている」という信念(学習性無力感)が生じて、努力自体をやめてしまうことがありえます。



あー、なんかわかるきがするわ、、。
実際には、人は努力することである程度の限度は有れど、いつでも変わっていく余地があるにもかかわらずこんな風に自分の可能性を捨ててしまってはもう目も当てられません。
前述のように、「勝ちか負けかなどある時一瞬の評価」でしかないので、その後勝ち組になる事だって可能です。いずれにせよ、自分に勝ち組負け組のレッテルを貼ることは、実益がないばかりか有害ですらあります。
理由②:勝ち組になっても恐怖は消えない


勝ち組or負け組という分類が下らない以上に有害な理由の2つ目は、「勝ち組になっても恐怖は消えない」です。
負け組のレッテルを自分に貼ることが有害なのは誰の目にも明らかでしょうが、実は勝ち組のレッテルを自分に貼ることも同じくらい有害だったりします。



ん?そうなん?
たとえば、自分に勝ち組レッテルを貼ることによって、以下の様な弊害が発生しえますね。
勝ち組レッテルを自分に貼ることで発生する弊害の例
- 常に順位を維持するプレッシャー
- 転落時の強烈な自己価値喪失感(コントラスト効果による)
- 慢性ストレスや燃え尽き
- 傲慢さや視野狭窄の加速
参考:Status Syndrome. Michael Marmot. London: Bloomsbury Publishing, 2004, pp. 288, £12.99 (PB) ISBN: 0747570493
理由③:人を属性で見る癖が強化される


勝ち組or負け組という分類が下らない以上に有害な理由の3つ目は、「人を属性で見る癖が強化される」です。
勝ち組か負け組かという分類を意識し始めると、他人をその評価軸で分類して考える癖がついてしまいます。これがただの分類にすぎなければ、何も問題はないでしょうが、実際には「~は負け組だから~」等と人を属性で決めつける思考パターンが形成されてしまうでしょう。



差別や偏見の温床って感じやなあ、、、。
しかし、先ほどふれたように、勝ちか負け化等ある評価軸における一時点の評定にすぎませんから、永遠に続くものではありません。こうした尺度からしか人を評価できないとなると、「ある人が勝ち組の間は尊敬するが何かの拍子でこけたらすぐ手のひら返しして侮蔑する」みたいになったりもします。
「ああ、あの人は本物じゃなかったんだな、見損なった」などと。実際、成功するかどうかには運も絡んでくるので(あと詐欺まがいの手法で成功していることだってある)、属性でばかり人を見るようになると本当に表面的にしか人を見れなくなってしまうんです。そうした人を見る目のなさは、リスク回避の観点から最悪といえます。
理由④:2分思考により精神が不安定になる


勝ち組or負け組という分類が下らない以上に有害な理由の4つ目は、「2分思考により精神が不安定になる」です。
黒か白かでしか考えない「焦点化された二分思考」は認知療法で有害な認知の歪みの一種として扱われ、抑うつ・不安と関係するとされています。現実は、黒か白かで割り切れないグレーの領域に属するものがほとんどですから、簡単に黒か白かで割り切ろうとする視野の狭さは、適応性の低さを加速させるのです。



確かに、黒か白かでなんて割り切れない事ばっかりよね。
事実、柔軟な認知が減ると適応的行動の幅が狭まります。あまりに思考が自由過ぎるのも問題ではありますが、多様な視点から物事を検討できる柔軟性こそが安定した精神状態の飢餓です。
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する5つの思考法





勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する5つの思考法



つぎは、勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法について、見たいきたいと思います。勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法は、以下の通りです。
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法
- 思考法①:自分軸を確立する
- 思考法②:多様な視点から人生を見る
- 思考法③:比較対象を他人から昨日の自分へ移す
- 思考法④:状態と人を切り離す
- 思考法⑤:評価ではなく機能で考える



それぞれ、詳しく見ていこう!
思考法①:自分軸を確立する


勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法の1つ目は、「自分軸を確立する」です。
勝ち負けなど長い人生の一瞬の評価にすぎないので、そんな評価に拘泥していては人生に充実感を感じて生きていくことなどできません。もしいわゆる勝ち組になっても数年後に落ちぶれれば、なまじ勝ち組だった経験があるだけに悲壮感が倍増し、「自分の人生にはもう勝ちがない、終わった」等となるかもしれません。



確かに、ギャップがすごいからねえ。
実際、自分の人生の評価をいわゆる世間でいわれる「勝ち組か負け組か」みたいな偏見まみれの外部指標にゆだねてはいけないんです。そうではなく、「あくまでも自分の内的な基準に照らして自分の人生評価する仕組み」を心の中に構築すべきといえます。
そこで重要になるのが自分軸の確立、つまり「自分が大事にしたいものを明確にすること」です。自分軸が明確になれば、外的評価に惑わされず自分の人生を謳歌することが可能になります。自分軸を確立したい方は、以下の記事を参考ん強いてみるといいと思いますよ。
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却するには自分軸を確立しよう
思考法②:多様な視点から人生を見る


勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法の2つ目は、「多様な視点から人生を見る」です。
複数の評価軸があると「1つの失敗=全体の敗北」という誤った一般化が阻止され、改善可能なターゲットを明確にできます。これは社会比較理論の応用ともいえるでしょう。
参考:Social Comparison: A Review of Theory,Research, and Applications



ふむ、確かにどこから評価するかで評価結果は変わってくるね。
なお、評価軸の探索とそれを使って自分を評価し改善していく方法としては、以下の様なものがありますね。以下を参考に、自分の評価軸を沢山確保してみるといいと思います。
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却するには多様な視点から人生を見よう
思考法③:比較対象を他人から昨日の自分へ移す


勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法の3つ目は、「比較対象を他人から昨日の自分へ移す」です。
よく自己啓発系の人が言う事ですが、比較するのであれば比較対象は「他人よりも昨日の自分」に設定した方が健全ですね。



あくまでも自分の成長にフォーカスするんやね。
なお、昨日の自分との比較は、具体的には以下の様に行っていくといいでしょう。
正直、1年間昨日との比較を続けてログを蓄積していくと、相当自己効力感が高まると思います。
まあ、、言うほど簡単な方法ではありませんが、あくまでも一年間に関しては「理想値」として考えて下さい。1か月でも、1週間でも続けられれば、十分だと思います。
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却するには比較対象を他人から昨日の自分へ移そう
思考法④:状態と人を切り離す


勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法の4つ目は、「状態と人を切り離す」です。
先ほどふれたように、勝ちか負けかは人生の一時点での仮評価にすぎません。そのため、できるだけ人とそうした評価(状態)を分離して考えるようにしていくのがおすすめです。人と評価を分離して、考えることができれば、人間関係はよくなるし自分のメンタルも安定しやすくなります。



もし自分を負け組だと思ってしまっている時、どうするん?
もし、自分がいわゆる負け組に当てはまっていると感じる時は、脱フュージョンを施して思考との融合状態を緩和していくのがおすすめです。
脱フュージョンを行う際は、思考を事実ではなく心の中での出来事として扱う言い換えるワークをやってみるといいですね。「自分は負け組である」と考えてしまったときは、以下の手順で自分に語り掛けていきましょう。
参考:A Process-Based Analysis of Cognitive Defusion in Acceptance and Commitment Therapy
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却するには状態と人を切り離そう
思考法⑤:評価ではなく機能で考える


勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却する思考法の5つ目は、「評価ではなく機能で考える」です。
ある信念や行動において重要なのは、「真か偽か」ではなく「今の目標にとって役立つか」という視点といえます。そう、信念や行動は純粋に機能的主義的な視点で見る必要があるんですね。



機能主義的な視点かあ、なるほど。
そのため、自分の信念、感情、行動は「人生を前に進める機能を果たしているか?」という視点から考えていく必要があるといえます。
思考を機能主義的な視点から吟味していきたい場合、一度自分に以下の様に問いかけてみるといいですね。
- この考えは、今の自分を動かしているか?
- この考えは、価値に沿った行動を増やしているか?
- この考えを持ち続けるコストは何か?
勝ち組or負け組の下らない2分思考から脱却するには評価ではなく機能で考えよう
勝ち組とか負け組とか下らないと感じる時にありがちな疑問





まだ、気になる事があるんよなあ。



んじゃ、最後に疑問について答えていこうかの。
最後に、勝ち組とか負け組とか下らないと感じる時にありがちな疑問に対して、答えていこうと思います。
疑問①:格差は現実にあるのに勝ち負けを無視して良いの?


格差という客観的事実を無視する必要はまったくないでしょう。
重要なのは、「格差を説明し、対処するための具体的戦略(政策・スキル・環境調整)」と、「個人が自尊心を保ちながら行動できる支援(自己効力を高める介入)」を分けて考えることです。
疑問②:ラベリングをしてしまう自分は悪いの?


人間は社会的比較やラベリングといった行動を無意識に行ってしまうものです。そのため、ラベリングをすること自体は悪でも何でもありません。
ただ、それを放置して自己・他者に固定ラベルを貼り続けるのは問題です。気づき(メタ認知)と簡単な脱フュージョンを習慣化すればラベルにとらわれにくくなるでしょう。
参考:The interplay of social identity and norm psychology in the evolution of human groups
勝ち組とか負け組とか本当に下らない!勝ち組か負け組かよりも自分軸をきちんと決めて生きるのが大事!


勝ち組or負け組という極端な分類は勝ち組に属する人にも負け組に属する人にも益がないので、本当にくだらないです。特に、こうした分類は行動改善において、何のプラスもない点が本当に重要といえます。分類することによって、成長が加速するならいいですが、何もないならあえてする意味などありません。
それに人生全体で見れば、勝ち負けなどある一時期における結果でしかないので、固執する意味もないですね。人生は壮大なプロセスなので、自分軸を確立して人生をその軸に則って生きる方がよほど大事といえます。実際、自分軸にそった生き方は、人生の満足度を高めますからね。



自分軸を確立してこそ、人生が充実するねん!
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