おにぎり優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現?



確かに、そういった側面はあるね。
「優しそうはほめる所がない人に対するセリフ」としばしば言われますが、人によっては納得感があるとおもいます。特に、異性関連だと外見に難がある人に対して、使う定型文として「優しそう」は普及している印象がありますね。
そんな感じですが、なぜ優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現だといわれてしまうのか、気になりますよね?結論から言うと、優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる理由は、以下の通りです。
優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる理由





内面評価はあいまいで抽象的なのが、一番の理由やろね。
内面評価はあいまいで抽象的ですから、何とでもいえますし、「優しい」は一般的にはポジティブな意味を持つため汎用性が高いです。そのため、個性の分からない人や外見が悪い人への対外的評価としては、非常に重宝するといえます。言われた場合は、一度性格と外見を見直した方がいいでしょう(特に男性は)。
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優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる3つの理由





なぜ優しそうは、「ほめる所がない」という意味だと言われるん?



それは、以下の3つの理由やろね。
まずは、優しそうは「ほめる所がない」と言われる理由について、見ていきたいと思います。優しそうは「ほめる所がない」と言われる理由については、以下の通り。
優しそうは「ほめる所がない」と言われる理由
- 理由①:外見評価を避けているように見える
- 理由②:内面評価はあいまいで抽象的
- 理由③:優しさは「当たり前」と認識されやすい



それぞれ、詳しく見ていこう!
理由①:外見評価を避けているように見える


優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる理由の1つ目は、「外見評価を避けているように見える」です。
「優しそう」とは内面に対する当たり障りない評価であり、外見評価を避ける際には非常に重宝するものといえます。なにせ、優しいは一応はほめ言葉の一種ですからね。



まあ、優しそうって、明確な悪口ではないからねえ。
特に、恋愛の文脈で一般的に言われるように、「優しそう」は、「相手の顔がブサイクで感想を言うわけにはいかない」という時に外見評価を回避するために、よく使われるも典型的な文言です。
「補足」優しそうの代替表現について
「優しそう」という表現は、「大人しそう」や「真面目そう」、「良い人そう」と同様に一般的に「ブサイク回避」や「無個性な人への無難な評価」として使われるのが通例である。
そのため、「優しそう」を回避するのであれば、「大人しそう」や「真面目そう」等も回避した方が良い。
そして、一番良い方法は間違いなく「具体的な行動・特徴+それで自分がどう感じたか」を伝える事であろう。たとえば、以下の様なものがそれに該当するだろう。
- 「笑顔で挨拶してくれて、朝から本当に元気をもらえた」
- 「今日の服の色すごく似合ってて、見た瞬間にテンション上がった」
- 「説明がわかりやすくて、初めてでもすぐ理解できた。本当に助かる」
たとえ、外見自体にふれなくても、このように具体性があれば、「外見がブサイクだから評価を避けたな、、」という推測をさせずに済む可能性が高いと思われる。
なお、他に「肌が綺麗」など外見の好きな部分をピンポイントで指摘する方法も「優しそう」等よりは大分マシではあるが、「じゃあ、顔全体はどうなのか?」という推測を生むので、あまり得策ではないかもしれない。
仮に、向うが外見評価を欲しがっていると確信できる場合は、もう嘘でもいいので「かっこいい」、「かわいい」と言ってしまった方がいい。
ただその際に、「嘘をついているようで気まずい、、」と感じる人もいるだろうが、
「かっこいい」、「かわいい」という評価はかなり評価者の嗜好に結構依存しているので、心の中で言葉を口にする際、「人によってはかっこいい、可愛いと思う人もいるさ。世の中にはすごい数の人間がいるし。まあ、自分のタイプではないけどね。」とつぶやく良いと思われる。
理由②:内面評価はあいまいで抽象的


優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる理由の2つ目は、「内面評価はあいまいで抽象的」です。人の内面というのものは、外見と違ってぱっと見では本当によくわからないもの。
優しさは客観的に数値などで表せるようなものではないため、割と「いったものがち」というかいくらでもそれっぽく言いつくろえるんですよね。たとえ、「優しそう」といっても、その感想を裏付ける客観的事実を提示する必要なんてないし、仮に根拠を提示してもその根拠の妥当性なんて厳密には精査できません。



ふむ、確かにねえ、、。
そのため、「優しそう」と言われた側は、「いや、なんとでもいえるようなこと言って、なんか適当感があるな、、、」と感じてしまうのも無理はないと思います。
それに以前の記事でもふれたように、優しさを発揮する側が「優しさ」と思って行った行為が、受け取り手からしたら「全く優しさではない」という事もしばしばです。「優しそう」と言われても、個人の感想でしかないので、裏の取り様がないんですよね。
理由③:優しさは「当たり前」と認識されやすい


優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現と言われる理由の3つ目は、「優しさは「当たり前」と認識されやすい」です。
文化的・社会的に「最低限の礼儀・優しさ」は期待値になっているため、優しさは「基礎点」や「あってあたりまえのもの」との扱いになりやすく、他の目立つ強みがないと「褒める材料がない」と受け取られがちだったりします。



んー、確かに。優しさって社会常識に近い側面あるよなあ。
しかし、ここであえて一言言っておきたいですが、本当の意味で慈悲深く優しい人なんてほぼいません!実は、世間で言われるほどやさしい人なんてほとんどいないんですよね。大体みんな、社交スキルの一環としての親切さを身につけているだけの話であって、心の芯から優しい人なんてまずいません。
そのため、「本当に思いやり深い優しい人」の存在は非常に稀有であり、価値があります。ですので、「優しい人」は非常に価値のある人です、本当は。大概、「優しそう」と言われている人は、後述するように単に気弱で覇気のないだけの人(さらに言うと実は自己中)であることが、ほとんどだったりします。
優しそうが「ほめる所がない」とは違う4つの場合





「ほめる所がない」以外の意図で、優しそうが使われる場合ある?



せやな、以下の4つの場合とかは代表的やと思うで。
つぎは、優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合について、見たい来たいと思います。優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合は、以下の通り。
優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合
- ケース①:気弱で主体性がなさそうに見えている
- ケース②:純粋に本心から優しそうと思われている
- ケース③:純粋に見た目がタイプ外すぎる
- ケース④:優しさを純粋に強みと思っている



それぞれ、詳しく見ていこう!
ケース①:気弱で主体性がなさそうに見えている


優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合として、まず「気弱で主体性がなさそうに見えている場合」があげられるでしょう。
「優しそう」は、外見や内面について取り立ててポジティブな評価が下せない相手に対して多用されがちですが、気弱で主体性のない人に対するである種のディスりや皮肉として使われることも結構あります。



あー、いるいる!クソな陽キャとかにいるわ!
大体こうした場合は、「君って、優しそうだよねWW」みたいに声にあざ笑っている感じがそこはかとなく出るので、敏感な人がきいていると「あ、バカにしてる」と気づいたりするはずです。
こうした場合は、「優しそう」を「ほめる所がないから穏便に終わらせよう、、」という意図ではなく、「馬鹿にしてやろう」という明確に攻撃する意図で使っているので、目的が全然違うんですよね。ただ、中には鈍感すぎて、言葉通りに受け取って「ありがとう」とかいう変わり者もいたりするようですが、、、。
ケース②:純粋に本心から優しそうと思われている


優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合として、「純粋に本心から優しそうと思われている場合」もあげられるでしょう。
一般に、「優しそう」は「特段ほめるべき個性がない人」に対して使われる言葉ですが、中には発言者が本心から「この人は優しそうだ」と感じてほめるニュアンスで言っている事もあります。



そうなん?ほめるニュアンスで使うこともあるんか??
例えば、私の事例で恐縮ですが、私は大体これまで女性に「チャラそう」とか不名誉な事に「女殴ってそう」みたいな事ばかり言われてきましたが、ごく少数、具体的なエピソードとセットで「なんだか優しそうな感じがする」といった事を言われたことがあります(厳密には社交辞令かもしれないが)。
経験上、こうした事例は初対面であっても、こちらのちょっとした動作や言葉使い話し方などから、本人が無意識に「過去に優しくされた人」の記憶を想起したという場合だったよう記憶していますね。なので、本心から人がほめるニュアンスで「優しそう」をつかう場合もゼロではないのだとおもいます。
ケース③:純粋に見た目がタイプ外すぎる


優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合として、「純粋に見た目がタイプ外すぎる」もあげられるでしょう。
厳密には、「ほめる所がない」場合と同じなのかもしれませんが、あえて取り上げますが、いくら一定水準以上のイケメンであっても「自分のタイプとは全く違う」という場合、外見評価を避けるために「優しそう」という表現を使う場合があります。



まあ、どんな感じがタイプかは、人によるもんなあー。
なので、一般には「優しそうといわれた=ブサイクだと認識されている」という解釈が行われがちですが、必ずしもブサイクではないという事に留意が必要です。
例えば、中顔面の短い小顔がタイプだという人が面長気味の人はいくら整っていてもタイプではないので、惹かれませんから対外的には「優しそう」等といってお茶を濁すかもしれません。もちろん、逆もまたしかりです。ただ、こうした場合、「まあイケメンor美人だと思うけどタイプでない」と直接言う場合が多い気はしますが、
ケース④:優しさを純粋に強みと思っている


優しそうが「ほめる所がない」とは違う場合として、「優しさを純粋に強みと思っている場合」もあげられるでしょう。
前述の通り、現代の日本では社会人であれば、優しさは程度の差こそあれある程度社交スキルとして身に着けている当たり前のものといった認識があります。そのため、「優しそう」という表現に空虚さが漂ってしまっているといえるでしょう。



まあ、それはあると思うよね。
ただ、これも前述しましたが、本当に思いやりのある人というのはそんなにいるものではありません。そうした事情を肌に見しみて、感じている人は本来の意味で「優しそう」という評価をしていることがあります。
この場合は、一般的な「ほめるべき特徴がないからお茶を濁すために仕方なく、、、」といった表現ではないので、純粋に喜んでいいでしょう。ただ、こうした場合は、「優しそう」単体で使われることはなく、具体的なエピソードや本人の感情の動きなどもセットで伝えてくることが多いと思います。
優しそうといわれた時に取るべき3つの対策





優しそうといわれたら、どうしたらいいん?



せやな、以下の3つをやってみるといいと思うで。
「優しそう」という表現は、かならずしも「ほめる所がない」から使われるとは言えません。しかし、使われる場合の9割近くは、「取り立ててほめる所がない場合」か「明確に悪意を持って使われる場合」でしょう。
そのため、「優しそう」と言われたら、少し自分の内外を見直す必要がありますので、ここでは、「優しそう」といわれた時にどうしたらいいかについて、考えていきたいと思います。優しそうといわれた時に取るべき対策は、以下の通りです。
優しそうといわれた時に取るべき対策
- 対策①:外見改善を試みる
- 対策②:外向性を高める
- 対策③:自己主張をするようにする



それぞれ、詳しく見ていこう!
対策①:外見改善を試みる


優しそうといわれた時に取るべき対策の1つ目は、「外見改善を試みる」です。
やはり「優しそう」といわれたら、まずは外見を見直すのが重要になります。先ほど見たように、「優しそう」とは「気弱で主体性がなく押しに弱そう」という印象をですので、当然見た目もその通りとなるころが多いはずです。ようは、舐められやすい外見をしている可能性が、高いんですね。



ああ、なるほど。いえてるわ。
そのため、外見を改善して「舐めてかかっても何も問題なさそうな印象」から、少し「攻撃性が高く下手に刺激すると危なそう」といった印象にしていくのがおすすめです。とりあえず、まずは、以下の様な事から始めるといいと思います。
- メガネをかけるのをやめてコンタクトにする
- 地味な服装をやめて少し派手目の服を着る(芋感がないように)
- できる人は髪を染めてみる
- メイクをダ―リッチ系のような強めなものに変える
- 背筋を伸ばし胸を張って動作するようにする
- 髪型をオシャレでトレンドを汲んだなものに変える
優しそうといわれた時は外見改善を試みよう
対策②:外向性を高める


優しそうといわれた時に取るべき対策の2つ目は、「外向性を高める」です。
優しそうという評価は、悪い意味で控えめである事からなされていることもあるため、「優しそう」と言われた場合は、外向性を高めていくのが最善かと思います。行動面で言うと、笑顔を増やすと対人での魅力度が顕著の向上するので笑顔を増やすのが最善です。



外向性を高めるといっても、どうすれば、、、。
なお、外向性を高めるための方法については、以下の通りです。
外向性を高める実践手順(短期~長期)
「笑顔・相づち・目線」を3点セットで意識し、30秒間の笑顔練習→会話で自然に使うようにする。※笑顔・相づちは即時に親近感を高める。
声のトーンを1段階だけ明るく&ハッキリさせる(鏡の前で30秒発声練習)
参考
週1回の短い社交練習を設定する(カフェで店員に軽く雑談する、職場で1つだけ自分の意見を述べるなど)。外向的行動は練習で習得・定着する。
参考:Are sociable people more beautiful? A zero-acquaintance analysis of agreeableness, extraversion, and attractiveness
優しそうといわれた時は外向性を高めよう
対策③:自己主張をするようにする


優しそうといわれた時に取るべき対策の3つ目は、「自己主張をするようにする」です。
気が弱く主体性のない人は、目立つことを恐れたり他人に対して何か言われても言い返せないから、押しに弱く結果として自己主張できず控えめになっていることが結構多いです。そのため、自己主張をするようにするのが、「優しそう」というレッテルから脱却するのが必要ですね。



んー、自己主張かあ、、苦手なんよなあ、、。
自己主張ができるようになりたい場合、具体的には以下のような手順で改善するといいと思います。
自己主張を高める実践手順(短期~長期)
「Iメッセージ」のテンプレを持つ(例:「私としては〜だと感じます」)→ 会話で1回使うという流れを確立する。
また、小さな場面で「ノーを一度使う」(例:飲み会で1品断る)ようにする。
参考
Assertiveness Training: A Forgotten Evidence-Based Treatment
4〜8回のロールプレイ/フィードバック型練習(友人やカウンセラーと)を組む。研究では技能練習(行動リハーサル)が効果を高めるとされています。
参考
アサーションについて、さらに詳しく知りたい方は、以下の記事を見てみて下さいね。
参考:アサーショントレーニング
優しそうといわれた時は自己主張をするようにしよう
優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現だと思う時にありがちな疑問








疑問①:優しそう=ブサイク?


絶対ではないが、そう受け取られる状況はある。
詳しく:発話者が外見を直接褒めない戦略(外見の話題を避ける)を取ると、受け手が「外見に対する評価を避けられた」と解釈することがある(褒めの回避は誤解を生む)。ただし相手の文化・性別・関係性により解釈は変わる。褒め言葉の効果や受容に関する実験は、「どの褒め方をするか」が受け手感情に重要に作用することを示しています(安全な褒め方は「話しかけやすさ」「安心感」などの行動的表現)。ResearchGate+1
疑問②:優しそうと言ってキレられたんだけど、、


「言い方がまずくてごめん。○○さんの○○なところ(具体例)に好感を持ったんだ」 と具体例を挙げて返す。研究では、具体的なフィードバック/具体例の付与が肯定的受容を高める(抽象→具体化の効果)。また、褒められた側が不快に感じる場合は「受け取り方の違い」もありうるので、平謝り→具体例提示が安全です。SPARQ+1
優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現の可能性が高い!言われたら外見と性格を見直した方がいいかも?


優しそうは「ほめる所がない」の婉曲表現の可能性が高いので、言われた場合は、一度自分の性格と外見を見直した方がいいと思います。特に男性の場合は、「優しそう」は「大人しそう」、「真面目そう」と並んで「魅力のない人に対して言われる言葉の代表格」ですから、言われたらかなりの致命傷です。
ただ実は、「優しい」という内面的性質は非常に貴重でして、本当に思いやりがある人はとても珍しかったりします。社交スキルの表面的優しさなんかと、本当の優しさは別物です。そのため、本当は「優しい」はかなりのほめ言葉なんですけどね。、、中々難しいものです。



優しい人なんて、本当はそんなにおらんのよ。
ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、心の軸を取り戻すための限定記事や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。
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