人が死ぬとうれしい?嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方5ステップ!

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おにぎり

人が死ぬとうれしい人の心理って、どんな感じなん?

ぐれん

せやな、以下の7つやと思うな。

中々現実世界では見かけませんが、ネット上には、しばしば「~が死んでよかった」みたいな表現が飛び交っています。常識的に考えると、正気を疑う表現の数々ですから、いったいどんな神経をしているのか気になる人も多いと思います。

そんな感じですから、人が死んでうれしい人の心理について、気になりますよね?結論から言うと、人が死んでうれしい人の心理は、以下の通りです。

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理
ぐれん

脅威の消失による安堵が、一番多い心理やな。

嫌いな人が死んで「清々した」とか「うれしい」と公言する事ははばかられますが、そう思ってしまうこと自体は人としてそこまで以上性のあることではありません。むしろ、十分自然の範囲内といえます。なので、思うこと自体は問題ではありません。問題は、その気持ちとどう向き合うかの一点につきますね。

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目次

人が死ぬと嬉しいと感じる人の6つの心理

おにぎり

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理って、どんなん感じなん?

ぐれん

主に以下の6つやな。

まずは、人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理について、詳しく見ていきたいと思います。人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理は、以下の通りです。

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理

  • 心理①:シャーデンフロイデ
  • 心理①:脅威の消失による安堵
  • 心理③:道徳的憤怒の解消
  • 心理④:感情マヒによる感情誤認
  • 心理⑤:抑圧された怒りからの開放
  • 心理⑥:死は究極の支配
ぐれん

それぞれ、詳しく見ていこう!

心理①:シャーデンフロイデ

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の1つは、「シャーデンフロイデ」です。

シャーデンフロイデとは、他者の不幸を見て快を感じる人間特有の感情であり、世界中で確認されています。

おにぎり

シャーデンフロイデかあ。

なお、シャーデンフロイデの背景にあるものとしては、以下の様なものがあるとされていますね。

  • 優越感の獲得
  • 社会的比較
  • 不公平の是正感

参考:Comprehending envy.

シャーデンフロイデについて、詳しく知りたい方は、以下の記事を見てみて下さいね。

参考:他人の不幸は蜜の味は当たり前?他人の不幸は蜜の味と感じないための3つの備え!

心理②:脅威の消失による安堵

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の2つ目は、「脅威の消失による安堵」です。

嫌な人や攻撃的な人、支配的な人の死は、心理的脅威の永続的な消滅 を意味します。その際、人は脅威がなくなったことで副交感神経優位となり、安心感と快の感情を感じることとなります。この反応は生物学的には、ごく自然なものです。

参考:The polyvagal perspective

おにぎり

たしかに、脅威が消えたら安心するわな。

例えば、「自分の出世争いをしているライバルが競争の途中で死ぬ」とか、「積年の恨みがありかつ一方的に理不尽な要求を常にしてきていた毒親が休止する」等といった事は、この「脅威の消失による安堵」に該当するかと思います。

実際、毒親から酷い虐待を受けて育って、のちに居場所を知られない様絶縁をした方が、のちに毒親の死を知ってすごくうれしいと感じたという事例も割と見かけますね。

心理③:道徳的憤怒の解消

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の3つ目は、「道徳的憤怒の解消」です。

「他者を傷つける人物」や「不正を行った人物」に対しては、人間は道徳的怒りを感じます。そのため、加害的な人物が亡くなると、その瞬間に「正義が回復された」という認知的完了感 が生まれ、それが快の感情につながることがありますね。

参考:Psychological aspects of retributive justice.

おにぎり

確かに、これはあるなあ、悪が滅んでめでたい、みたいな。

たとえば、凶悪犯罪を犯して収監されていた死刑囚の死刑が執行されたというニュースを聞いて、「よし!死んで当然だ!地獄に落ちろ!当然の報いだ!」等と留飲を下すというのがそのいい例ではないかと思います。

ただ逆をいえば、この傾向からは、人は「自分が悪だと思った対象に対しては命を奪う事さえいとわない」という恐ろしい側面を見て取ることもできますよね。なんだか、正義感のダークサイドを見ている感じがしてきますね。

心理④:感情マヒによる感情誤認

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の4つは、「感情マヒによる感情誤認」です。

トラウマや慢性ストレス、うつ等によって、感情が平坦化している人は、本来の悲しみが感じられず、
「悲しくない=嬉しい?」などと感情を誤認する
ことがあります。

参考:The neurobiology of anhedonia and other reward-related deficits

おにぎり

感情の誤認?マジか、そんなことあるんや、、。

これは快というよりも、 情動反応の欠如 に近い状態といっていいでしょう。

またこの場合は誤認ですから、トラウマなどにここをむしばまれている最中は、「~が死んでうれしい!」みたいな事態になっていますが、精神状態が通常に戻っていったときに、ふと振り返って強烈な自己嫌悪に陥ることもあるでしょう。

心理⑤:抑圧された怒りからの開放

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の1つは、「抑圧された怒りからの開放」です。

人間は怒りを長期間抑圧すると、抑圧それ自体がストレス負荷 になります。そのため、相手の死をきっかけに、その抑圧が不要になれば、心の軽さや快感情が生まれることは容易に想像できるでしょう。

参考:Emotional suppression: physiology, self-report, and expressive behavior

おにぎり

ある種のカタルシスやね、これは。

たとえば、先ほどの毒親の死の事例もそうですが、あとは過去にいじめてきたいじめっ子が死んだとの知らせを聞いて溜飲が下がる思いをするというのもその一例といえるでしょう。

正直、道徳的にはあまり褒められたものではありませんが、しょうがないですよね、これは。

心理⑥:死は究極の支配

人が死ぬと嬉しいと感じる人の心理の5つは、「死は究極の支配」です。支配-被支配の関係において、相手の死は 完全勝利の象徴 と認知されることがあります。

人は生きている限りは、その年齢にかかわらず未来とリベンジのチャンスというものが常にありますが、死んでしまえばそうした可能性はすべて消え去りますよね。つまり、死とは「可能性の消失」、そして相手を死に追い込むことは「本人の未来の可能性のすべてを奪う事」であり、「完全なる支配」といえます。

おにぎり

⁉なんだその考え、、、シリアルキラーのにおいがするぞ、、、。

こうした人からしたら、間接的にでも誰かの死を誘引できたなら、「その当人の人生を支配できた」という事でうれしくてたまらないという話になるでしょう。なお、このような心理はダークテトラッド(特にサイコパシー+サディズム)の特に極端な場合に顕著だといわれているそうです。

参考:Behavioral confirmation of everyday sadism

もうお気づきの方もいるかと思いますが、こうした心理傾向は、シリアルキラーなどのような非常に好戦的な人物に顕著なものといえます。なので、ほぼこうした性格をしている人はいないはずです。

なお、通常、サイコパスかつサディストな人物は、人が死ぬことそれ自体をうれしいとは感じません。彼らが興味があるのは、あくまでも「死に至る過程において本人が苦しみもがくさま」であり、死自体はないのです。むしろ、死は無反応の最たるものですから、興味の対象外といえます。

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違い

おにぎり

うれしい人とそうでない人は、何が違うん?

ぐれん

以下の4つが違うんよね。

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人がいるかと思えば、嫌いな人の死にも同情したりする人もいます。かなり両極端な反応ですが、両者はいったい何が違うのか気になりますよね。

そこで、ここでは嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いについて、考えていきたいと思います。嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いは、以下の通り。

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違い

  • 違い①:怒りや恨みの処理の方向性
  • 違い②:自分の世界観が勝敗等で構成されてるか
  • 違い③:自己の心理的安全性の高低
  • 違い④:感情の距離感を調整できるか
  • 違い⑤:道徳観が義憤ベースか普遍主義ベースか
ぐれん

それぞれ、詳しく見ていこう!

違い①:怒りや恨みの処理の方向性

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いの1つ目は、「怒りや恨みの処理の方向性」です。

怒りを外向きに向けるタイプは、 死を「問題の完了」と認知し嬉しさにつながりやすいですが、怒りを内向きに処理するタイプは、 死を悲しみ・空虚・無感情と感じやすかったりします。

参考:Studies on anger and aggression: Implications for theories of emotion.

おにぎり

なんか、外向性と内向性の話みたいやな。

怒りの処理スタイルは個人差が大きいため、反応の違いも必然的に大きくなりますね。

違い②:自分の世界観が勝敗等で構成されてるか

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いの2つ目は、「自分の世界観が勝敗等で構成されてるか」です。

「世界=競争、他者=敵、関係=勝ち負け」といった思考で世界をとらえている人は、競争相手の死を「勝利の確定」として捉えやすい傾向にあります。そのため、競争相手が何らかの理由で死んだ場合は、「うれしい!」というポジティブな感情が前面に出てきやすいです。

おにぎり

せやなあ、確かに競争だったら、、そうなるかあ。

逆に 協調型の価値観をもつ人は、競合相手の死に対して「人生の無常」のような感情を覚える傾向にあります。

参考:A dual-process cognitive-motivational theory of ideology and prejudice

違い③:自己の心理的安全性の高低

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いの3つ目は、「自己の心理的安全性の高低」です。

心理的安全性が高い人は、相手の影響力が相対的に小さくなるため、死を嬉しいと感じにくいですが、逆に、心理的安全性が低い人は「相手の死=脅威除去の報酬」となるため嬉しさを感じやすいと考えられます。

参考:Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams

おにぎり

なるほど、、わかるかもしれん。

たとえば、毒親の死における場合を考えてみると、絶縁はしたもののある程度トラウマ療法などを専門的に受けて心が安定した人の場合、毒親の死に対して安堵感もあるでしょうがそれとともにある種の同情のようなものを覚えることもある気がします。

しかし、心の傷がいえきっていなかったり毒親からの侵害に警戒しながら日々を送っている方の場合だと、脅威が去ったことによる安堵感が非常に強いので、「うれしい!」という陽性感情がより表面化しやすいと思いますね。

違い④:感情の距離感を調整できるか

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いの4つ目は、「感情の距離感を調整できるか」です。

メタ認知が高く感情から距離をとれる人は、人の死に対して強い快や怒りを感じにくい傾向にあります。その一方で、感情距離調整が苦手な人は人の死に対して過度に感情移入したり、喜んだりとかなり派手な反応をしがちといえましょう。

おにぎり

ふむ、情動調節のスキルに違いがあるんやな。

感情距離調整が苦手な人は、得意な人と比べて、反応が極端になりやすいのです。

違い⑤:道徳観が義憤ベースか普遍主義ベースか

嫌いな人が死んでうれしいと感じる人とそうでない人の違いの5つ目は、「道徳観が義憤ベースか普遍主義ベースか」です。

義憤(怒りベースの正義)が強いタイプは「不正を働いた人は裁かれるべき」という価値観が強いため、不正を働いた人の死を「正義の実現」と解釈することで、「うれしい」という陽性感情を得る傾向にあります。

おにぎり

悪が裁かれることによる快感って、やつやね。

一方で、普遍主義(命は等価など)ベースの道徳観をもつタイプは、たとえ「嫌いな人の死」であっても、「人の死をうれしいと思うのはよくない事だ」と感じるため喜ばない傾向にありますね。

参考:The emotional dog and its rational tail: A social intuitionist approach to moral judgment.

SNSをみていると、義憤タイプの方がたくさんいるように感じますが、実際には、普遍タイプもかなりたくさん存在しています。ただ普遍タイプの人は、義憤タイプと違ってお気持ち表明自体しない傾向にあるため、表面的にはかなり少なく見えてしまうんですよね。

SNSばかり見ていると勘違いしてしまいますが、世の中には極端ばかりではないんですね。

嫌いな人が死んでうれしいと感じるのはいけない事か?

おにぎり

嫌いな人が死んでうれしいと思うのは、あかん?

ぐれん

いい事ではないが、悪い事とともいえんね。

倫理的に考えると、やはり嫌いな人であったとしてもその死をうれしいと思うことは、あまり褒められたものではありません。しかし、結論から言うと、「感じること自体は全くいけないことではない」といえます。

その理由については、以下の3つです。

嫌いな人が死んでうれしいと感じること自体は悪くない理由

  • 感情は常に非自発的反応である(勝手に浮かんでくるので制御不能)
  • 感情と行動は別物(倫理性は行動にのみ宿る)
  • 脅威や義憤感情は個人の安全確保反応であり自然


感情というものは、私たちの意思とは無関係に自動的に発生するものですから、意図的に制御することなど不可能です。そのため、「嫌いな人が死んでうれしい」と感じること自体を積み荷などとえようはずもありません。

そして、脅威や義憤といった感情は個人の安全確保反応であり、本能的に自然なものでもありますから、これも罪には問えませんよね。

おにぎり

いわゆる本能って事やもんな。

結局、一番重要なのは、「感情を具体的にどんな行動として外界に表現するか」という事です。倫理にもとるか否かの評定は、実際の行動によってのみなされます。

そのため、「あいつが死んだ!やった!うれしい」と内心感じているだけなら全く問題ありませんが、それを「今日は~の死を祝しお祝いだ!」とか「ざまあ、無様に死んでおもろ」等とsnsaや人前で公然と発言するのはアウトという事になりますね。内心のいかんは問われませんが、行動は問われます。

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方5ステップ

おにぎり

嫌いな人が死んでうれしい気持ちと、どう向き合ったらいいん?

ぐれん

んじゃ、具体的に向き合い方について、みていこう!

つぎは、嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方について、見ていきたいと思います。嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方は、以下の通りです。

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方5ステップ

STEP
感情をジャッジせず言語化する
STEP
嬉しさの本体を特定する
STEP
感情ではなく価値観に立ち返る
STEP
安全な形で外に出す
STEP
必要であれば内側の傷をケアする
ぐれん

それぞれ、詳しく見ていこう!

ステップ①:嬉しさの本体を特定する

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方のファーストステップは、「嬉しさの本体を特定する」です。

前述のように、「うれしい」という感情の背後には様々な要因の存在が想定されます。そこで、じっくりと自分の気持ちを精査して「この気持ちの奥にあるものは何か?」と考えてみましょう。

おにぎり

ふむふむ。

例えば、「あ、そうか、これはほっとしたから出た感情だ」という気付きが得られれば、次のステップでふれるように、自分のその死んだ人に対して脅威を感じていたという事がわかります。

まずは、「うれしい」という感情の背後にある本質を探ってみましょう。正体がわかると、罪悪感や不安のような陰性感情が落ち着いてきます。

ステップ②:感情ではなく価値観に立ち返る

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方のセカンドステップは、「感情ではなく価値観に立ち返る」です。

「死がうれしい」という認知が前ステップによりさらに深化して、「安堵している」等と再解釈できたので、あらためてここでは「何から解放されたのか」を具体的に書き出していきましょう。

おにぎり

何から解放されたかやね、なるほど。

その際は、自分に対して「怒り?脅威?不正に対する怒り?トラウマ的記憶?」等と順番に問いかけていって、正体を特定していくといいです。

感情の本質にあるものを理解すると、罪悪感は大きく減少します。

ステップ③:感情ではなく価値観に立ち返る

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方のサードステップは、「感情ではなく価値観に立ち返る」です。

生きていると色んな強烈な感情に行動を左右されてしまうものですが、そんな事ばかりしていては、実に行き当たりばったりで充実感のない人生になってしまいます。そこで、人生の方向性を指し示すものである価値、つまり「何を大事にしたいか」を明確にするのがおすすめです。

おにぎり

自分が何を大事にしたいか、、、、ねえ。

自分が大事にしたいものをはっきりさせて、それに則って生きるようにすれば、強固な行動指針ができるため、一時の感情に流されて後になって罪悪感を抱くような事態は激減します。感情に流されそうになったら、自分の大事にしたいものに立ち返りましょう。

自分の大事にしたいものを明確にしたい方は、以下の記事を見てみて下さいね。

参考:自分軸の作り方とは?自分軸を作る事によって得られる5つのメリット!

ステップ④:安全な形で外に出す

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方のフォースステップは、「安全な形で外に出す」です。

正直いって、この作業は先ほどの「感情ではなく価値観に立ち返る」と逆でもよかったかな、、と思いますが、まあとりあえず進めていきます(笑)。ここまでのプロセスで、自分の感情の本体がはっきりしてきていますが、ここで感情を書き出すなど安全な形で外に出す様のするとさらにメンタルが安定するでしょう。

おにぎり

書き出すっていうけど、やっぱアナログでやるん?

なお、書き出す際は、日記アプリなどに打ち込んでもいいですが、ノートに実際に書き出すのが触感や視覚、聴覚など複数の感覚を使うので、一番効果的です。

また、理解のある友人知人やカウンセラーなどに自分の気持ちをありのままに話すのもありでしょう。

ステップ⑤:必要であれば内側の傷をケアする

嫌いな人が死んでうれしい気持ちとの向き合い方のラストステップは、「必要であれば内側の傷をケアする」です。

人の死をうれしいと思う時、心の奥底に癒えない傷を抱えている事も多いものです。例えば、先ほどから例に題している毒親からの虐待はそのいい例です。

おにぎり

ふむ、心の奥底の癒えない傷かあ、、。

こうした一般的には倫理にもとるとされる感情と向き合う時、自分の中にある意外な一面に気付く事は少なくありません。もし、こうした気持ちと向き合って、過去のトラウマなどによる影響を感じた場合は、改めてトラウマ治療の専門機関をととずれてケアをするのが推すすめです。

というか、トラウマに関しては、自力では基本どうにもなりませんからね。

人が死ぬのがうれしい事に関するFAQ

おにぎり

まだ、気になる事があるんよね。

ぐれん

んじゃ、最後に疑問にこたえていこう!

最後に、人が死ぬのがうれしい事に関する疑問について、答えていきたいと思います。

FAQ①:人の死を聞いて何も感じないのは異常?

「人の死を聞いて何も感じない」と聞くと、サイコパスじみていますが、必ずしも異常ではありません。この問題を考える際は、まず「誰の死かに無関心化」という視点が問題になります。仮に、「たまたまニュースで~という人が事故で亡くなった」みたいな話を聞いて、「ふーん」と思うのは別におかしくありません。

というのも、人はそもそも愛情を注ぐ対象を親密さ等から選別している(そうでないと認知資源が足りなくなる)からです。そのため、「赤の他人の死などどうでもいい」という思考は別にそこまで変ではありません(とはいえ個人差が大きい)。ただ、親身にしていた人の死に対して、無関心なのは問題かもしれませんね。

もっとも、急性ストレス、抑うつ、解離、情動疲労などでも無感情になることがあるので、中々断定はできませんが。

FAQ②:死んでうれしいと感じた後に強い罪悪感が出るのはなぜ?

嫌いな人の死に対して、「ざまあみろ」といったような感情を持つことはそこまで変な事ではありません。しかし、ただ多くの場合、「死を喜ぶのは良くない」という文化的道徳を内面化しているので、感情を知覚した後に罪悪感が生まれると考えられます。

FAQ③:死を喜ぶ気持ちは治る?

人の死を喜ぶ癖がありそれをなおしたいと思うのであれば、まずは原因を究明する必要があります。ただ、多くの場合そうした心理の背後には怒り・恐怖・不正感といった感情があることがあるので、ここら辺の感情のケアから始めるといいでしょう。

FAQ④:死を喜ぶ自分が冷酷なのか心配、、

たしかに、一般的な道徳観・倫理観に照らせば、「死を喜ぶ」という行為は冷酷非道といえるでしょう。ただ、人は誰しも言わないだけでよこしまな考えをもっているおり、しかもそれを隠しているのですから、厳密に考えると「あなたがどれほど冷酷か」など知り様もありません。

あなたが冷酷かどうかは、結局、内心で何を思うかでなくか「その考えをどう行動に反映したか」で決まります。そして、対外的にもこれで十分です。それになりより、「自分は冷酷かも」と気になっている時点で、マシな気もしますから、行動に問題がなければ特に心配する必要などないでしょう。

嫌いな人が死んでうれしいのは仕方ない!問題はその気持とどう向かうか!

嫌いな人が死んだのに対して、「うれしい」と感じてしまうこと自体はもう仕方がありません。それは割合人としては自然な感情ですし、そもそも感情は抑制しようとしてどうにかなるものではないので、思うこと自体をとがめる事等できないですね。

ただ、その感情に対する反応や向き合い方については、自分の意思で選択することができます。例えば、心中で「~が死んでうれしい!ざまあみろ!」と思っても、それをSNSに書き込むとかユーチューブで発信するのは明らかにナンセンスです。感情の是非は問えませんが、行動についてはきちんと考えたいですね。

ぐれん

感情はしょうがないけど、行動はどうにかしよう!

ちなみに、公式ラインでは「もっと自分を理解したい」、「人との関わりをうまく築きたい」、そんなあなたのために不定期で心理学的ヒントを発信しています。ただ今LINE登録者限定で、心の軸を取り戻すための限定記事や表ではあまり言えない実践知ベースの限定記事のパスワードをプレゼント中です。

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