
罪を憎んで人を憎まずは、おかしい気がするんよな。



それは無理もないんやで。
『罪を憎んで人を憎まず』とは「犯した罪は憎むべきだが、その罪を犯した人 まで憎む必要はない」という趣旨のことわざですが、このことわざに対して反感を感じる人は話を聞いていると、かなり沢山いるように感じます。正直、私も以前から「なんか腑に落ちないな、、」とモヤモヤを感じていたものです。
ですから、不安は自分で作り出しているのか、気になりますよね?結論から言うと、『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由としては、以下の様なものがあります。
『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由





やはり、行動に責任が伴うというが、一番デカいよね。
『罪を憎んで人を憎まず』ということわざに対して違和感を感じる人は多いと思いますが、その中でも「そもそも行動には責任がともなう」という点が問題になりやすいです。どう考えても、罪を犯したのは行動をしたその本人ですからね。本人と罪を切り分けられるわけがありません。
ただ『罪を憎んで人を憎まず』ということわざは、「怒りに任せず理性的に対処しろ」という警句と解釈できます。実際、怒りに任せていい事はないので、そもそも日ごろからメンタルケアは徹底した方が賢明です。とはいえ、自力でこうしたメンタルケア対策をきちんと行うのは、なかなか大変ですよね?
ですが、メンタルケアアプリのAwarefyを使えば、手軽に日々効果的なメンタルケア(マインドフルネス系も充実)ができるので、とても便利です。また、Awarefyは1,200円から利用でき、経済的負担が大変少ないのも魅力です。日々のメンタルケアをコスパよく行いたい方は、ぜひAwarefyをダウンロードしてみてくださいね!
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『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる3つの理由





『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じるのは、なぜなん?



おもに以下の理由からだと、思うねん。
まずは、『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由について、詳しく見ていきたいと思います。『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由は、以下の通りです。
『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる3つの理由
- 理由①:行動には必ず責任がともなう
- 理由②:感情的にならない事が困難
- 理由③:正義感と強い矛盾感を感じる



それぞれ、詳しくみていこう!
理由①:行動には必ず責任がともなう


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由の1つ目は、「行動には必ず責任がともなう」というものです。
『罪を憎んで人を憎まず』ということわざは、罪(行動)と人(行為者)を分離することを推奨していますが、そもそも心理学では行動は個人の意図や性格を反映し、責任は行為者に帰属するといえるので、とても納得のできる話ではありません。



まったくだ。行動と行為主体を分離とか意味わからん!
また、刑法における道義的責任論でも、行為者が自由意思で行った行為については,刑法上,道義的な非難が加えられるとされていますね。行為によってもたらされた結果によっては、行為者の責任が問われるものです。
罪は行為の結果に対する評価ですから、それを行為主体と分離して考えるなんてどう頑張っても納得はいきませんよね。
理由②:感情的にならない事が困難


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由の2つ目は、「感情的にならない事が困難」というものです。
「罪を憎んで人を憎まず」ということわざは、自分が被害にあっていない場合であれば、「うわ、んなわけあるかい!綺麗事だわ」程度の感想でしょうが、被害を受けた当事者であったなら被害の程度にもよりますが、「絶対殺す!許さねえ!」みたいになるので、感情的に納得いくわけがありません。



まあ、せやな、、でも殺すまではなかなかいかんて。
実際、強い負の感情(例: 怒りや憎悪)は自動的に発生するものであり、その意識的な抑制には高い心理的コストがかかるものです。
参考:The emerging field of emotion regulation: An integrative review.
さらに言うと、重大な罪(例: 裏切りや犯罪)に対しては、被害者がPTSDや強いストレス反応を経験することもしばしば。そんな状況下にある人が、「『罪を憎んで人を憎まず』なんてしたり顔で言われようものなら、発狂すらしそうなものです。
理由③:正義感と強い矛盾感を感じる


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる理由の3つ目は、「正義感と強い矛盾感を感じる」というものです。
『罪を憎んで人を憎まず』ということわざに対して、正義感がある人は「なぜ罪を犯した者に責任を追及しないのだ!」と非常に激しい怒りを持つことでしょう。



いや、それよそれ!すごく違和感感じるって!
実際、このことわざで形容されるような「罪と本人を分離して考える」というスタンスが望ましいとすれば、被害を受けた方は泣き寝入りを強要されるような感じになります。こんなことあっていいわけがない、、となりますよね。
応報的正義を重視する人にとって、「罪と本人を分離して考える」ということわざで推奨される罪人を憎まない態度は、不正義を容認するように思えるので反発心をもつのは当然です。
『罪を憎んで人を憎まず』が意外とおかしいわけではない2つの理由





『罪を憎んで人を憎まず』は、本当おかしいよな。



ただ、全面的におかしいともいえんのよね、意外と。
前述のように、『罪を憎んで人を憎まず』ということわざは、感情的にはかなり納得のいかないものです。ただ、このことわざを全面的に「おかしい!」と切って捨てるのは、少し違うとも思ったりします。
『罪を憎んで人を憎まず』が意外とおかしいわけではないといえる理由は、以下の通りです。
『罪を憎んで人を憎まず』が意外とおかしいわけではない理由
- 理由①:憎しみの連鎖を防げる
- 理由②:冷静に問題の核心がつける



それぞれ、詳しくみていこう!
理由①:憎しみの連鎖を防げる


『罪を憎んで人を憎まず』が意外とおかしいわけではない理由の1つ目は、「憎しみの連鎖を防げる」ということです。
このことわざは綺麗ごと過ぎて無理があるようにも感じられますが、憎しみが個人から個人へと広がるのを防ぐための警句としては一定の効果をもっているといえるでしょう。



まあ、、そうね、、そうかもしれんね。
人類は歴史上、散々やられてやり返して、、といった報復を大小さまざまな規模で行ってきて現在に至ります。その過程でしばしば、血を血で洗うような凄惨な報復の応酬が常態化していた時代もありますよね。特に、中国はすごいですよね、、、近代まで処刑方法として凌遅刑が採用されていたくらいですからね、、、。
凌遅刑とは人間の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えながら死に至らしめる処刑方法
中国には古代から鼻そぎや足きりといった残虐な身体刑があり、凌遅刑の原型は反逆・大逆罪など極めて重大な罪人への見せしめとして北宋(10〜12世紀)頃に登場したといいます。そこから、凌遅刑は19世紀末〜20世紀初頭、西洋列強から「野蛮刑罰」として強い批判を受け廃止に至るまで、長きにわたって存在し続けました。
こうした残虐刑にはおもに民衆への「重大な罪を犯したらこうなるぞ!」という見せしめの意味があったわけですが、導入・維持された背景には民衆の罪人への強烈な報復・処罰感情があったとみて間違いないかと思います。実際、凌遅刑はごく限られた重大罪人にのみ適用され、しかもほとんどが公開処刑だったそうですし。



もうただの死刑とは残虐度がレべチだなあ、、、。
つまり、人は怒りに任せるとこうした残虐行為すら正当化しかねない化け物を心の中に飼っている存在なわけです。そういう意味では、『罪を憎んで人を憎まず』ということわざが存在している意味に対しても、少し関心を向けてみるべきではないかと思ったりします。
なにせ、このことわざの出典が孔子の著書ですからね、、、そう、このことわざの起源は古代中国なんですよ。孔子は当時の残虐刑正当化に対する流れに一石を投じたいとか、批判の意味を込めてこうした警句をのこしたのかもしれません。
理由②:冷静に問題の核心がつける


『罪を憎んで人を憎まず』が意外とおかしいわけではない理由の2つ目は、「冷静に問題の核心がつける」というものです。
『罪を憎んで人を憎まず』ということわざは、「罪と行為者である人を分離して考えること」を推奨しているわけですが、この考え方を一時的にでも採用することにより感情にのまれず冷静に状況を把握することが可能になります。



ん?そうなん?いまいち納得いかんのだけど、、。
先ほどふれたように、人は憎しみをもった相手に対しては恐ろしいほど非常になってしまうので、その罪以上の報復を正当化しがちです。しかし、ここで一時的にでも「罪と主体を分離する」という思考ができると、過剰な報復の防止や効率的な問題解決の模索が可能になります。
たとえば、職場でミスを犯した同僚を個人攻撃するより、そのミスの原因(例: システムの問題)を分析した方が、再発防止に繋がり有益です。現実社会では、憎むよりも問題解決が大事になるわけですから、憎しみと距離を置くために怒りがわいたときに『罪を憎んで人を憎まず』と自分に言い聞かせるのもありかもしれません。
『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき3つの対策





おかしいと感じる時には、どうしたらいいん?



せやな、以下の3つの方法を試してみるとええで!
生きている中で、ちょっとした他人からちょっとした被害を被って、『罪を憎んで人を憎まずなんておかしい!』と気持ちが強まる時は、きっとあるでしょう。ここでは、そんな時に行っておくといいメンタル面での対策について、紹介したいと思います。
『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき対策は、以下の通りです。
『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき対策
- 対策①:感情を言語化して整理する
- 対策②:マインドフルネスを実践する
- 対策③:罪と罰のバランスを考えてみる



それぞれ、詳しくみていこう!
対策①:感情を言語化して整理する


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき対策として、「感情を言語化して整理すること」があげられます。
『罪を憎んで人を憎まず』ということわざに対して、何ともいやないモヤモヤや怒りにも感情を感じる時は、あたらめて自分の感情を言語化してみると精神が少し精神状態が落ち着くでしょう。



感情を書き出す、、、本当にそんなんで効果あるんか?
感情の言語化にあたっては、感情を書き出すエクスプレッシブライティングがおすすめです。事実、以下の研究では、感情を書き出すことでストレスが軽減し、感情制御が向上することが示されています。
参考:Writing about emotional experiences as a therapeutic process.
エクスプレッシブライティングの具体的な実践方法については、ことわざへの違和感や特定の事件への怒りをノートに書き出し、「なぜ腹が立つのか」「どの部分がおかしいのか」を分析していくことで行いましょう。
たとえば、「加害者を許せないのは、被害者の痛みが無視されていると感じるから」などと書くと、感情の根源を明確化されていきます。これにより、メンタルの安定化が図れ、ことわざへの違和感を客観視できるでしょう。
対策②:マインドフルネスを実践する


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき対策として、「マインドフルネスを実践すること」があげられます。
マインドフルネスは、現在の感情や思考をジャッジせず観察する技法であり、感情の制御を能力を向上させる効果が見込めるものです。マインドフルネスを習慣化できれば、少々の怒りや憎しみなどであれば、感じても気にせずに日常生活を普通に送ることができるようになります。



気にせずに済むってのは、魅力的やね。
実際、マインドフルネスストレス低減法の研究では、マインドフルネスが感情制御を改善し、ストレス反応を軽減することが示されていますね。
参考:Discourse analysis and psychological adaptation to high altitude hypoxia
なお、マインドフルネスの実践手順に関しては、以下の通りです。
マインドフルネス瞑想の実践手順
静かな場所で、椅子や床に楽に座る(横になっても可)。スマートフォンや時計を近くに置き、5分タイマーをセット。
背筋を軽く伸ばし、肩をリラックス。目は軽く閉じるか、床の一点を見つめる。
息を鼻から吸い口から吐き、呼吸に意識を集中。吸う時に「お腹が膨らむ」、吐く時に「空気が抜ける」と感じる。思考が逸れたら、優しく呼吸に戻す(これが重要!)。
呼吸を続けながら、体の感覚(足、腹、胸など)を順に観察。緊張やざわつきがあれば、ただ「気づく」だけにとどめる。
タイマーが鳴ったら、ゆっくり目を開け、体の感覚や気持ちの変化を軽く振り返る。
対策③:罪と罰のバランスを考えてみる


『罪を憎んで人を憎まず』がおかしいと感じる時にすべき対策として、「罪と罰のバランスを考えてみること」があげられます。
先ほどふれたように、人間は憎しみや怒りにとらわれる時、対象に対してどんな残虐な行為も正当化してしまう傾向があるものです。そのため、極端な話、「窃盗は死刑に値する」といったような前近代的で応報刑論や責任主義の立場に反する蛮族の思想に傾倒する事もしばしばでしょう。



まあ、、、気持ちはわかるんよね、、気持ちは、、。
ただ、客観的に見た時に、例えば「パンを盗んだから処刑する」といった話は、明らかに刑罰が重すぎて不当ですよね。パンはまた作ればいいですが、失われた命を復元することは無理ですからね。
そのため、怒りに駆られている時は一度深呼吸するなりして、『罪を憎んで人を憎まず』と内心で唱えて、自分の考えが客観的にみて妥当なものなのかを一度見直すと冷静に相手の罪の重さを見極められるかもしれません。
『罪を憎んで人を憎まず』はおかしいと感じる時にありがちな疑問





まだ、気になることがあるんよね。



んじゃ、最後に疑問に対して、答えていこう!
最後に、『罪を憎んで人を憎まず』はおかしいと感じる時にありがちな疑問について、答えていきたいと思います。
疑問①:このことわざはどの文化に由来する?


「罪を憎んで人を憎まず」は、孔子の著書『孔叢子(くぞうし)』に起源をもつ言葉です。出典となっている一文は以下の通り。
孔子曰(い)わく、「可なるかな。古(いにしえ)の訟を聴く者は、其(そ)の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず。」
引用:漢字文化資料館
疑問②:被害者がこのことわざを受け入れる必要はある?


正直いって、被害者が「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を受け入れる必要は全くないと思います。というか、あるはずがないでしょう。もっとも、被害の度合いなどから考えて、本人が自発的に受け入れてもいいと思えば話が別でしょうが。現実的には、中々受け入れがたい言葉かと思います。
『罪を憎んで人を憎まず』は感情的にはおかしいと感じても普通!ただ過剰な報復を防ぐ効果がある!


『罪を憎んで人を憎まず』という言葉に対して、そもそも行動には責任がともなうものですから、納得がいかないという感情を持っても当たり前ですし、きれいごとにしか聞こえませんよね。正直、この言葉を被害を受けた人に言うとしたら、火に油を注ぐような愚行といわざるをえません。
ただ、この言葉は「怒りに任せて他人を断罪する事の悲劇やトラブルを防止する」ことを目的とした警句としては、一定の評価ができるものではあります。実際、怒りにのまれて下す判断は、ロクな結果を生みません。ですから、日ごろからメンタルケアを徹底し、いざという時にも冷静に判断できる姿勢は作っておきたいものです。



怒りに任せ行動して、痛い目にあう事は多いかんね。
ただ、自分だけで日々メンタルケアを効率的かつ適切に行うのは、中々難しいですよね?メンタルケアを手軽かつ効果的に行いたい人には、認知行動療法ベースのメンタルケアアプリAwarefyがおすすめです。Awarefyなら手軽に効果的なメンタルケアができます。
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