
正論って暴力なん?



正論は暴力は誇張しすぎやけど、正しい側面もあるね。
最近、ネットを中心に「正論は暴力である」という言説がよく聞かれます。確かに、正論を無配慮にぶつけられて傷ついたり腹が立ったりといった経験をしている方は多いと思いますし、私も心当たりがありますので、思わず首を縦に振りたくなるものです。とはいえ、ちょっとこの判断は感情論過ぎる気もしますね。
ですから、正論は暴力というのは妥当なのかについて、気になりますよね?結論、正論は暴力とイコールではありませんが、伝え方次第ですぐ暴力に転化する性質のものです。正論が潜在的に持つリスクとしては、主に以下のようなものがあげられます。
正論の持つ潜在的リスク





正論を伝えるには、配慮が必須なんよね。
正論の伝え方は、言葉の選び方だけでなく、話し方や発声のトーンで大きく印象が変わります。そのため、正論を効果的に伝えたいなら、発声方法等の根本からの見直しも大事です。ただ、自分だけでは、発声方法や活舌などを効率的に見直すことは中々難しいですよね?
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正論は暴力なのか?





結局、正論は暴力なん?



正論それ自体は、暴力ではないんよね。
まずは、結論から言うと、正論それ自体は暴力ではありません。しかし、正論には潜在的に以下のようなリスクが含まれているので、扱いを間違えると容易に暴力に転化してしまいます。
正論に潜在的に含まれているリスク
- リスク①:感情的ダメージの誘発
- リスク②:対人関係の破壊
- リスク③:権力の強化と構造的な抑圧
- リスク④:アイデンティティや自己価値の否定



それぞれ、詳しく見ていこう!
リスク①:感情的ダメージの誘発


正論に潜在的に含まれているリスクの1つ目は、感情的ダメージの誘発です。
正論が相手の感情や価値観を無視して押しつけられると、相手は否定されたり攻撃されたと感じ羞恥心や無力感、自己否定感などの感情的ダメージを受けてしまいます。



ふむ、確かに。
事実、認知的不協和理論によれば、自分の信念や行動と矛盾する正論に直面すると、強い不快感が生じるとされており、特に自己効力感が低い人は、正論を攻撃と受け取りやすいといわれていますね。
参考
正論には潜在的なリスクとして感情的ダメージの誘発がある
リスク②:対人関係の破壊


正論に潜在的に含まれているリスクの2つ目は、対人関係の破壊です。
正論が一方的に押し付けられると、信頼関係や対話の協力性が損なわれて、対人関係が悪化する事があります。特に、断定的なトーンや共感の欠如が、相手に敵対心や疎外感を抱かせる要因となってしまうケースが非常に多いと感じますね。



だね、押し付けられるとなんかムカつくよな。
事実、Tannen(1998)の研究では、攻撃的な論理的主張が対話を破壊し、関係性の断絶を引き起こすことが示されており、加えて、Goleman(1995)の感情的知性研究では、共感の欠如が対人関係の崩壊を招くとされています。
正論のせいで人間関係が破壊されては、何とも本末転倒感があるので、気を付けたいものです。
正論には潜在的なリスクとして対人関係の破壊がある
リスク③:権力の強化と構造的な抑圧


正論に潜在的に含まれているリスクの2つ目は、権力の強化と構造的な抑圧です。
権力の非対称性がある状況(例:上司と部下、教師と生徒)で正論が用いられると、弱い立場の人は反論や自分の意見を表明する機会を奪われてしまいます。このような場合、正論は構造的抑圧として機能する事になりますね。



確かに、中々上司には言い返せんね。
事実、Bourdieu(1991)の言語と権力の研究では、正論が権力者によって弱者を支配するツールとして使われる場合、構造的暴力となることが指摘されており、加えて、Young(1990)でも、正論が社会的弱者の背景を無視すると抑圧を強化すると述べられていますね。
正論には潜在的なリスクとして権力の強化と構造的な抑圧がある
リスク④:アイデンティティや自己価値の否定


正論に潜在的に含まれているリスクの1つ目は、アイデンティティや自己価値の否定です。
正論が相手の個人的な経験、価値観、アイデンティティを無視してなされた場合、相手の自己価値を否定するものとして機能してしまいます。特に、マイノリティや感情的にもろい人に対してはこの影響が非常に顕著です。



これも納得ではあるね。
事実、Rogers(1961)の人間中心アプローチにおいては、共感なく主張された正論が、相手の自己概念を傷つけるとされており、また、マイノリティ研究(例:Young, 1990)では、正論が個人の経験的真実を無効化する場合、心理的暴力となる事が示唆されています。
正論には潜在的なリスクとしてアイデンティティや自己価値の否定がある
相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の3つの心理的特徴





無配慮に正論をぶつける人の心理が、気になるんよね。



正論を無配慮にぶつける人には、以下の特徴があるねん。
正論には先ほどふれたようなリスクがあるため、運用するならそれなりに配慮をする必要があります。ただ、世の中には、そんな事はお構いなしに暴力まがいの正論をぶつけてくる人がいるのも事実です。正直、どんな神経しているんだ?と思ってしまいますよね。
そこで、ここでは相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の心理的特徴について、ふれていきたいと思います。相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の心理的特徴は、以下の通りです。
相手に無配慮に正論をぶつける人の3つの心理的特徴
- 心理的特徴①:過信バイアスに陥っている
- 心理的特徴②:共感性が低い
- 心理的特徴③:攻撃性と支配欲が強い



それぞれ、詳しく見ていこう!
心理的特徴①:過信バイアスに陥っている


相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の心理的特徴の1つ目は、過信バイアスに陥っているというものです。
無配慮に正論を主張する人は、自分の知識や判断が正しいと強く信じる傾向にありますが、これは過信バイアスに関連しており、自己効力感が高い人に多く見られます。



なるほど、自分の考えに自信満々だから押し付けてくるのな。
こうした人は自分の論理や事実が「絶対的」だと考えているので、相手の感情や背景を考慮する必要性を軽視するというわけです。SNSなどでこの手の嫌な人たちは、結構いますよね。
ちなみに、Kruger & Dunning(1999)の研究(ダニング=クルーガー効果)では、知識や能力に自信がある人は、自分の視点の限界を認識しにくいことがいわれていたりしますね。自分の考えを絶対視している人は、自分の論理の欠点に無自覚なのかもしれません。
心理的特徴②:共感性が低い


相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の心理的特徴の2つ目は、共感性が低いというものです。
先ほどふれたように、正論には潜在的なリスクが存在しているので、およその人はそのことに気が付いています。しかし、感情的共感が低い人は「正しいものは正しいんだから」といった感じで相手の感情に配慮する意味を感じないので、無配慮に正論をぶつけてくることがままあるものです。



本当、鈍感なやつは嫌だねえ。
事実、Baron-Cohen(2011)の研究によれば、共感性が低い人は他者の感情的反応を読み取る能力が弱く、論理的・客観的な議論を優先する傾向があるとされています。ちなみに、これは特に、ASD(自閉症スペクトラム)傾向やナルシシズム傾向が高い人に顕著だなんてことも言われているようですね。
心理的特徴③:攻撃性と支配欲が強い


相手に無配慮に暴力まがいの正論をぶつける人の心理的特徴の3つ目は、攻撃性と支配欲が強いというものです。
正論を無配慮に主張する人の中には、議論を通じて優位性を確立しようとする攻撃性や支配欲を持つ人がいます。つまり、こうした人たちは他者を見下したり、自分の正しさを証明することに快感を覚えているというわけです。



本当、いらんわ、こういうやつら。
事実、Pratto et al.(1994)の社会的支配志向性に関する研究では、高い社会的支配志向性を持つ人は、対人関係で競争的・支配的な態度を示し、相手の感情よりも自分の主張の「正しさ」を優先することが示されていたりしますね。
このような人は、正論を武器として相手を「論破」することに重点を置き、対話の調和を無視する傾向があるのだそうです。まあ、これも困った人たちといえますね。
正論が暴力として機能する4つの具体例





正論が暴力として機能する具体例が、知りたいね。



んじゃ、具体例をみていこうかね。
つぎは、正論が暴力として機能するケースを具体的に見ていきたいと思います。正論が暴力として機能するケースの具体例は以下の通り。
正論が暴力として機能する具体例
- 具体例①:上司からの部下への一方的批判
- 具体例②:共感を欠いた断定的主張
- 具体例③:教師によるデリカシーを欠いた指導
- 具体例④:家族間での価値観の押し付け



それぞれ、詳しく見ていこう!
具体例①:上司からの部下への一方的批判


新入社員のs氏がプレゼンでミス。上司が「データ見れば明らか、君のやり方は非効率」と全員の前で指摘した。S氏は努力を否定され、恥ずかしさと無力感で落ち込んだ。
上記の例は、社会人なら当たり前に経験しているようなことかもしれませんが、できるなら正論をぶつける前に一言寄り添った声掛けがあってもいい気がします。



まあ、その通りだとしても、言い方はあるよね。
ただ、このケースで一番問題なのは、「全員の前で指摘した」という事でしょう。これでは、本人の自尊心がかなり傷つきますね。もはやこれは、現代ではパワハラ認定されるケースといえます。
具体例②:共感を欠いた断定的主張


XでT氏が「個人のリサイクルは無意味、企業が90%の責任」と投稿したが、それによってリサイクルに励むS氏は「努力をバカにされた」と反発した。企業の責任が個人の行動より大きいのは事実としても、断定的な言葉が対立を煽り、s氏を傷ついた。
上記のように、いくら正論であっても自分の努力を否定されるようなことを言われると、頭にくるものです。



んー、本当そうよね。
場合によっては、「いや、それは自業自得だろ」となる事もありますが、やはり基本的には正論を言う時には、配慮はしたいものです。
具体例③:教師によるデリカシーを欠いた指導


中学生のY君が数学のテストでケアレスミスを連発したことで、教師が「基本問題なのに、勉強不足だ」とクラスの全生徒の前で叱責。Y君は、羞恥心で孤立感を深めた。
これも先ほどの上司のケースと同様に、寄り添った対応一言と公然と叱責を行っている点には問題がありますね。



そうだねえ、やっぱ他の人の前で言われるのはきついね。
確かに、教師としては生徒の勉強不足に一言や二言何かいいたくなることもあるかもしれませんが、言い方やどんな状況で言うかには配慮が必要ですよね。
具体例④:家族間での価値観の押し付け


大学生のMさんがフリーランスを目指すと話すと、親が「大企業が正しい選択だ、不安定な道へ進むことは許さない」などと説教。Mさんは夢を否定され、孤立感を深めた。
以前より大手企業への就職が安定を約束するものではなくなってきたとはいえ、フリーターと比較すればやはり依然として安定を目指すなら大企業への就職の方が最適解ですね。
そのため、親としては子供に、大企業への就職を進めるのも無理はないでしょう。



確かにって感じだよね。
ただ、寄り添うそぶりすら見せずに、正論を押し付けるように言われては心中穏やかではいられないでしょうね。
相手を傷つけずに正論を伝える3つの黄金ルール





相手を傷つけずに正論を伝えるには、何に気を付ければいいん?



以下の3つのルールを、守るとええよ。
前述した様に、正論には相手を傷つけてしまう潜在的なリスクがありました。そのため、正論を伝える際には、配慮が必要なのです。しかし、どんな事に気を付けたらいいのか、よくわかりませんよね。
そこで、ここでは相手を傷つけずに正論を伝える3つの黄金ルールを紹介していきたいと思います。相手を傷つけずに正論を伝える3つの黄金ルールは、以下の通りです。
相手を傷つけずに正論を伝える3つの黄金ルール
- ルール①:共感を示し相手の立場を尊重する
- ルール②:柔らかいトーンと非断定的な言葉を選ぶ
- ルール③:対話を双方向にし相手の意見を積極的に聞く



それぞれ、詳しく見ていこう!
ルール①:共感を示し相手の立場を尊重する


相手を傷つけずに正論を伝える黄金ルールの1つ目は、「共感を示し相手の立場を尊重する」です。
正論を伝える前に、まずは相手の感情や背景を理解し、共感的な言葉でその立場を認めていきましょう。たとえば、「あなたのその気持ち、わかる気がする」とか「その努力は本当にすごいと思う」などと前置きしてから、論理的な意見を述べるという感じです。



確かに、これは大事だと思う。
やはり、人は共感されると警戒心が解け、相手の意見を受け入れやすい体制が整うものですからね。事実、先ほど取り上げたBaron-Cohen(2011)の研究によれば、感情的共感を示すことで、相手は批判や正論を攻撃と捉えにくくなることが示唆されています。
なお、共感を表現しつつ人の話を聞くスキルを傾聴といいますが、この傾聴について詳しく知りたい方は以下の記事を見てみてくださいね。
ルール②:柔らかいトーンと非断定的な言葉を選ぶ


相手を傷つけずに正論を伝える黄金ルールの1つ目は、「柔らかいトーンと非断定的な言葉を選ぶ」です。
正論を伝える際に、断定的・攻撃的な表現(例:「それは間違っている」「絶対にこうすべき」)などは避けて、柔らかく提案的な言葉(例:「もしかしたら」「一つの視点として」)を使うと相手に受け入れてもらいやすくなります。また、声のトーンを穏やかに保ち、冷静に対応する事も重要です。



確かに、断定表現と正論がセットだときつい印象になるね。
事実、Burgoon et al.(1995)の非言語コミュニケーション研究によれば、穏やかなトーンが相手の敵対的反応を減らし、協力的な対話を促進することが示唆されています。さらにいうと、暗黙の了解や共通の理解を重視する日本のような文化では、直接的な表現が攻撃と受け取られやすいといわれていたりしますね。
参考:Culture’s Consequences: Comparing Values, Behaviors, Institutions, and Organizations Across Nations
正論は使用する文脈によってはかなり攻撃的になりますから、少しでもその攻撃性を弱め受け取ってもらいやすくするためにも、柔らかい表現を心がけたいものです。
ルール③:対話を双方向にし相手の意見を積極的に聞く


相手を傷つけずに正論を伝える黄金ルールの3つ目は、「対話を双方向にし相手の意見を積極的に聞く」です。
正論を一方的に押し付けるのではなく、相手の意見や反論を積極的に聞き、対話を双方向にしましょう。たとえば、「あなたの考えはどう?」、「この点についてはどう思う?」などと質問を織り交ぜ、相手の視点を尊重する姿勢をしまします。



わかるっちゃわかるけど、質問の仕方次第で威圧にもなりそう。
事実、認知的不協和理論によれば、相手の意見を聞くことで、価値観の衝突による不快感を軽減できる可能性があるとされます。ただし、この質問が上司など権力を持つ側からなされた場合、威圧と感じ取られる場合もあるので表現をマイルドする事はもちろん、普段からの相手との接し方から見直す必要があるでしょう。
もし普段から親身に寄り添って話を聞いてくれるという信頼関係が出来上がっていれば、正論を伝える際に質問をしても「拒絶はされない」と思ってもらえるので、威圧とは取られないはずです。
正論と暴力に関するFAQ





まだ、正論と暴力について、気になる事があるんよ。



ふむ、最後に、疑問に答えていこうかね。
最後に、正論と暴力に関する疑問について見ていきたいと思います。
FAQ①:正論を言われたとき傷つかない方法はある?


正論を言われた時に傷つかないために有効な対策としては、感情と事実を分離する事があげられます。相手の言葉をあくまでも「情報」として受け止め、感情的な部分を切り離して考えると、傷つきにくくなるでしょう。
他にも対策を講じたい場合は、以下の現実を受け入れる力についての記事も参考にするといいかと思います。
参考:
FAQ②:正論を言うのが怖い場合どうすればいい?


正論を言うのが怖い場合は、先ほどふれた黄金ルールにのっとって、まずは低リスクな場面(親しい友人や軽い話題)で正論を言う練習するといいでしょう。成功体験を積むと自信がつきますね。
正論は伝え方次第ですぐ暴力に転化する!伝え方を考えて問題も人間関係も円満解決!


正論は暴力であるという言説は、少々勘定に任せすぎた意見といえます。しかし、正論には加害性があるので、伝え方によっては簡単に暴力に転化してしまうでしょう。そのため、正論を伝える際は、最低限の配慮というものが必要です。
また、正論を的確に相手に伝えるためには、発声や声のトーンといったノンバーバルな要素も非常に重要といえます。声のトーンがとげとげしかったり発声の仕方によっては、相手に威圧感や皮肉めいた雰囲気を与えてしまうので、伝え方を考える際は一度自分の発生等を客観的に見直してみるのが良いでしょう。



本当、声だけでも説得力って変わるかんね、大事よ。
とはいえ、自分だけで自身の発声等を客観的に見直すなんて、かなりハードですよね?何より、自分の声を自分で聞きかすこと自体ですら著しい苦痛かもしれません。そんなときは、思い切ってプロの力を借りるのがベストです。
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