「なんか、うちの近所に節約魔として名をはせているおばさんがいる。正直、あの人は「節約家」自称しているけど、単なるケチとか守銭奴っていったほうがいい気がする。なんつーか、メッチャがめついし心の余裕が全く感じられないんだよなあ、、、。ああはなりたくない。」
ふぬ、まあ節約とケチってのは違う気がするなあ。
オニギリス!
心理カウンセラーで節約研究家(宅建、簿記2級取得済み)のおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「ケチと節約の違いは何だろか?ケチになってはおしまいだ」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
節約とケチの違いって何か気になる人
はい、チョイと質問であります。
「節約とケチって何がちうんでしょうか?」
、、、、分かりますか?
、、、うん、そうですよね。
なんか、同じような気もするし違うような気もするし、分かりにくいですねえ。
で、これはもはやノーエビデンスの持論になってしまうかもしれないのですが、節約家であるのは大いに賢いことだと思いますが、「ケチになったら人間しまいだな」て思ってしまったりします。
ま、今回は少し両者の違いについて考えてみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
ケチって何じゃ?
まずは例にならって、語彙の確認から行きましょう。
はい、weblio辞書によるとケチとは以下のような意味である模様。
[名・形動]
1 (「吝嗇」とも書く)むやみに金品を惜しむこと。また、そういう人や、そのさま。吝嗇(りんしょく)。「何事につけてもけちな男だ」
2 粗末なこと。価値がないこと。また、そのさま。貧弱。「けちな賞品をもらった」
3 気持ちや考えが卑しいこと。心が狭いこと。また、そのさま。「けちな振る舞いをするな」「けちな料簡」「けちな根性」
[派生] けちさ[名]
引用
weblio辞書
ふむ、「むやみに金品を惜しむこと」や「気持ちや考えが卑しい事」、、、なるほど、って感じですなあ、、、。
節約というと、以前の記事でも取り上げた通り「無駄を省いて切り詰める事」です。
「無駄」というものは何らかの基準を定めて初めて生じるものではありますが、節約という言葉自体にはネガィブな意味合いは見受けられません。
むしろ、ポジティブな印象ですねえ。
で、思うに、節約の度が過ぎたものが「ケチ」な感じがしますね、なんせケチの定義に「むやみに」てありますから。
「気持ちが卑しいか否か」は所詮それを評価する人の判断にすぎないので、何とも言えないところがありますが、ケチが「むやみに金品を惜しむ」という事であるという前提に立つならおよそ妥当な感じがします。
「金品をため込むことが第一!」であれば、人間関係に対してお金を投資することなんて全くないでしょうから、「なんかアイツ金金言っててどうも付き合い辛いな」と思われるでしょう。
あげく、お金を持っていても食事に誘われて「奢ってくれるならいく」といったりするような、「人にたかる」ような事ばかりしだすでしょうなあ。
こうなっては、「いつも損得勘定ばっかしてんな。なんかコイツとは心を通わせあうことができそうにない」と思われてしま異疎遠になるのも仕方ないと思います。
見栄を張って誰彼構わず奢るのは確かに救いようのない愚行という他ないですが、金品をむやみに惜しむケチも実に人生の幸福に資しない愚かなものに感じますねえ、、、。
知らんけど。
節約はいいがケチになっては本末転倒
節約は「無駄を排除する」ことが目的の根底にありますが、ケチは「金品をため込むこと」それ自体が目的なため本質的には全く似て非なるものです。
節約においては、「お金」は人生の幸福を増進するための「手段」にすぎないものですが、ケチな人は「手段自体が目的化している」といえるでしょう
節約における、「無駄を省く」というのは「自分の人生の幸福に資さないようなお金の使い方は徹底してやめる」という事。
対するケチという概念は、「手段自体が目的化している」状態といえます。
実に本末転倒な感じがしますねえ。
綺麗ごとなんて言うつもりは全くありませんが、「お金を持っているだけで幸せになる」事は無理でしょう。
少なくとも、「一般的な人間には無理」と言っていいはずです。
もし、お金を惜しむために人間関係なんてすべて放棄してしまうとしたら、自ら不幸になろうとしているようにしか思えません。
もちろん、人にお金を使うにしても、人を選んで使わないとそれは投資ではなく「ただの浪費や投機」という事になりますけどね。
なので、人間関係と同じで「誰でも大事にしようとする」のではなく、「いらない人間関係はちゅうちょなく切り捨てて解消する」という視点も不可欠です。
中には、「関わりあうだけで有害な人間」というのがいるので。
まあ、悪縁とでもいうんでしょうか、、、。
ただね、「ケチになっても幸せにはなれない」と断言していいでしょう。
お金に使われるのではなく、お金を使おう!
正直言って、節約はともかくケチになっているのは、「お金を賢く使う」というよりも「お金の魔力にとりつかれている」とか「お金に使われている」なんて表現してもいい状態であると思います。
お金は当ブログの最初の記事で触れたように、「自分の大事にしたい価値に沿った生き方」を実現するための手段や道具しか過ぎません。
多くの場合、その価値に沿った生き方をするのに人間関係というものがかかわってくるでしょう。
誰彼構わず見栄を張るためにおごったりしてはいけないですし、そもそも関わる価値もない人に対して一円たりとも使う必要はありません。
しかし、「この人は大事にすべき」と思った時には、あまり経済的な視点での「損か得か」というものにこだわらず、お金を使うことに寛容になっていいと思います。
その出費は「損」ではなく、立派な投資といえましょう。
長期的な視点で見れば、お金では買うことのできない貴重なモノを得られると思います。
おわりに
この記事は「ケチと節約の違いは何だろか?ケチになってはおしまいだ」と題しておおくりしました。
節約は「無駄を省くこと」がその意味するとことであり、「無駄の判別基準」は「自分の人生を幸福にするか否か」でしょう。
なので、節約では「お金を自分の幸福に資すものにだけ投下する」事が大事になります。
そして、「お金」はあくまでも人生の幸福を増進するための「手段」にすぎないものです。
しかし、ケチな人は「手段自体が目的化している」といえます。
そう、ケチが「『むやみに』金品を惜しむ」という定義されている通りです。
まあ、わたしのこの考えに「異議あり!」て人がいても全然不思議はないでしょう。
まあ、そりゃあそうよね、たっている前提が違えば出てくる結論なんて違って当然ですもんね。
ま、一応わたしなりにケチと節約を考えた結果がこれってことでよろしゅう。
まあ、お金は墓場まで持っていけませんから、「無駄なく有意義に」つかっていきましょう。
道具に使われちゃあ世話ないよねって話でさあ。
ではね!
参考記事等
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節約の本質とは「お金について勉強し続ける姿勢」なんだと思う。
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