「よく「物を大切にしろ」って話を聞くけども、どういった状況ならモノを大切にしていることになるのかがわからないな、、、。ボロボロになってゴミみたいになっても使えっていうのはさすがに頭おかしい気がするし、、、どうなんだろう?」
オニギリス!
心理カウンセラーで節約研究家(宅建、簿記2級取得済み)のおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「ものを大切にするという事の本当の意味は、自分と他者を大切にする事」という話です。
ものを大切にするという事は一体何なのか気になる人等
節約関連の話題になると、およそ話題に出るのが「物を大切に使おう」というものです。
「物を大切にする」のはまあいいことですよね。
そこに異論がある人はまずいないでしょう。
わたしもありません。
ものは大切に使ったほうがいいです。
しかし、「物を大切にしている」とは一体どういう状態なのでしょうか?
そして、「どうすれば物を大切にできる」のでしょう?
今回はそんなことについて考えてまいりたいと思う次第。
少々お付き合いのほどを。
では、ゆるりとおおくりします。
大切にする?どういう意味だ?
さて、「大切にする」とはそもそもどういった意味でしょうか。
どうも、辞書を調べてみると、大切とは
[形動][文][ナリ]
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1 もっとも必要であり、重んじられるさま。重要であるさま。「大切な条件」「大切な書類」
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2 丁寧に扱って、大事にするさま。「本を大切にする」「命を大切にする」
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3 急を要するさま。
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「―なる事有りて、夜を昼にて上れば」〈今昔・一六・二〇〉
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引用
goo辞書
うん、、、、「丁寧に扱って大事にする」って意味でいいのかな??
なーんか、よく分かるようなわからないような、、、。
ダメだね、「思いやり」もそうだけど、どうもこの手の語彙は意味が抽象的すぎて具体的に何を指しているのかわかりにくいですねえ。
辞書の記述から、理解を深めようとしても無理みたいです。
で、大切とは「丁寧に扱って大事にする」という事ですが、何故そんな風にあつかうかといえば「そこに何らかの価値を感じるから」ですよね。
価値を感じられないものを大切にしたいなんて思えないでしょう。
以前の記事でも言った通り、人は商品を通して「何かの体験をしようとしている」のであり、その体験というものには「自分の価値」というものが反映されいているといえます。
つまり、「ものを大切にする」とは「自分にとっての価値に資する体験を、そのモノが提供してくれると感じて丁寧に扱う」といった意味になるんじゃないかなって思いますねえ。
では、「ボロボロになって本来の機能を満足に果たせなくなった物をいつまでも使っている」なんていうのは果たしてものを大切にしている内にはいるのでしょうか?
これは正直言って、何とも言えません。
というのも、人によって「何を価値」としているかが多様なため、その価値によりもたらされるであろう経験が必ずしも商品自体の本来持つ機能が提供する体験と一致しないからです。
例えば、フォークは通常「食事をする」という体験に資する機能がありますし、製作者サイドもその機能を想定しています。
しかし、もしこのフォークが「生前自分の大好きだったおばあちゃんが愛用していたフォーク」であるなんて話になれば、本来想定されていた機能とはまた別の機能がフォークに与えられることになるよねってことです。
なので、よくちまたでは「物を大切にするという事はボロボロになって汚らしくなっても使い続ける事ではない」みたいに言う風潮がありますが、必ずしもそれは正しくないんじゃないかなって気がします。
ま、わたしはボロボロになったらアカンと思う派ですけども。
それに「ものを自分のアイデンティティーが表現されたもの、自分の存在の延長線上にあるもの」としてとらえるなら、ものを粗末に扱うのは「自分をそまつに扱うことである」なんて見方もできますしね。
心理、医療系の概念に、セルフネグレクト(自己放任)なんてものがありますけど、それと似たようなものといえましょう。
「ものを雑に扱う」のは自分を大切にしないのと近い事なのかもしれませんな。
「物を大切にする≒人を大切にする」は妥当なのか?
さて、では、ちょっと話が変わりますが、ちまたでよく言われる「物を大切にする人は人を大切にする」という俗説は正しいんでしょうか?
はい、わたしはこれに関しては「およそその傾向はある」と思っています。
「自分が価値を感じたものを丁寧に扱う人」は、「自分が接する人達との人間関係を丁寧に扱う」という傾向はあるような気がしますね。
ただ、これには少し注意すべき点があって、それは「価値を感じない人に対しては扱いがぞんざいになることは人であればままある」という事です。
多くの人には社会性がありますので、表向きには「丁重で人当たりのよさそうな態度」をとるものですが、内心は「何とも思っていない」なんてことがままあります。
でも、それでいいのです。
気に入らないからと言って、ことさら害を加えるのは論外ですけども、「誰にでも等しい愛情をもって接するなんて生物として不可能」なのでね。
ま、強弱は出ます。
理想論はあくまで理想論です。
モノも人も大事にすべき対象とそうでない対象を区別しメリハリをつけることが大事といえます。
こういった姿勢でこそ節約ができると思いますね。
それに中には「大切にする必要のない人間」というのもいるものです。
むしろ、「誰にでも親切に親身になって、、、」とか言っていると、完全に自己犠牲を強いられる「狩られる側」にしかなりません。
自己犠牲を強いてくる人間には、「いえ、それは無理です、やりません」等と対応する必要がありますしね。
このように「自己犠牲を強いられても断らないお人好し」というのが、上述したような「ボロボロになってもものを使い続けている自分を大事にしない人」に相当すると思われますね。
自分を大事にしてこそ他人も大事にできるので、自分を犠牲にするのはやめにしたいところです。
おっと、脱線しそうだ(笑)。
なお、よくいわれる、「物を大切にする人は優しい人だ」という話は「ちょっと何言っているかわからない」という印象です。
これは「オニギリス」の方でも取り上げた話題なのですが、人が「優しい」という時は結局「自分にとって都合がいい」という以上のことは言っていないといえます。
「優しさ」とは人の評価にすぎないんですよ。
優しいと評価されたいのであれば、「自分なりの優しさは一切不要」なんです。
相手のニーズにこたえる事が全てといっても過言じゃないですね。
なので、「物を大切にする人は優しい人」という言葉は厳密にいうと「何も意味のあることは言っていない」と言っていいでしょう。
すこし、うがった解釈をすれば、「物を大切にする人は優しい人」という言葉はその発信者が「物を大切にする人はわたしにとって都合がいいのよ」と言っているに過ぎないのです。
はい、なので、この言葉は気にする必要ないですね。
で、まとめると、「物を大切にする人は人を大切にする人である」は大体正しいと思います。
大切にできないものを買う必要はない、それこそ無駄である
結局、モノを大切にするとは「自分が価値を感じるものを丁寧に扱う」という事です。
であるならば、逆を言えば、「自分が価値を感じないものは丁寧に扱う必要がない」ともいえそうな気がします。
ただ、そう考えると、そもそも節約という観点から考えたら、モノはお金を出して買うものなので「自分が価値を感じないものを買うこと自体が無駄」といえるでしょう。
そう、「価値を感じないものなんて買う必要がない」のです。
モノに人格はないですが、「価値は別に感じないけど安いから」みたいに思って買われたんでは、まあ品も「不本意だ」と思うかもしれませんな。
知らんけど。
なんか、これって自分も相手も大事にしない考え方って気がします。
そう、「始めから大切に使う気が起こらないようなもん買うなよ」てことです。
物を買うときは「安いから」とか「高いから」ではなく、「この商品によって得られる体験に自分は価値を感じる」みたいにちゃんと価値を意識して買うようにしたいもの。
そうした方が結果的に衝動買いなんかも防げるので、お得ですね。
この考えを徹底すると、衝動買いを上手に防止できたりします。
衝動買いを防止する秘策については以下からどうぞ。
おわりに
この記事は「ものを大切にするという事の本当の意味は、自分と他者を大切にする事」と題しておおくりしました。
はい、色々と七面倒くさく食っちゃべってきましたが、結局ものを大大切にするというのは、
「自分にとっての価値に資する体験を、そのモノが提供してくれると感じて丁寧に扱う」
といった意味であると思います。
そして、モノを自分のアイデンティティの延長線上にあるものとしてとらえた場合、モノを大切にするとは「自分を大切にすること」とも言えましょう。
また、同時に「モノを大切にする人は他人を大切にする傾向もままある」と私は感じるため、「モノを大切にする人は人を大切にする」もある程度妥当であると思います。
よって、モノを大切にするのは「自分と他者を大切にすること」につながると思うんですよねえ。
、、、まあ、多少強引で雑な感じはするけど、堪忍して下せえ。
ま、どうせ買うなら、自分の大切にできるものしか買わないのが結果的に節約になると思いますよ。
ではね!
参考記事等
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