
謙虚は、美徳なんかな?



基本的にはそうやね。ただ、いつも美徳ではないねん。
よく「謙虚は美徳」なんて言われますが、現実世界を生きていると、「本当にそうか?」と思う場面に出くわすものです。実際、私がよく聞く事例としては、「謙虚でいたらなんか奴隷や召使のように下に見られるようになった」なんてものがあります。こんな事例を見ると、謙虚は美徳はきれいごとのような気もしてくるものです。
そんな感じですから、謙虚は美徳が果たして妥当なのかについて、気になってしまいますよね?結論から言うと、「謙虚は美徳」は基本的に妥当ですが、必ず妥当なわけではありません。その理由は、以下の通りです。
謙虚は美徳とは必ずしも言えない理由





現実的には、謙虚は強さがないと成立しないねん!
謙虚さは、使う相手やそもそも相手から尊敬を得ていない場合、媚や自信のなさと受け取られて自分の立場を不利にする要素ともなりえます。さらにいうと、声が弱弱しく自信がなさそうに聞こえるのも謙虚が弱さととられる大きな要因でもあります。そのため、謙虚さを強みにしたいなら、発声等を見直す必要もあるでしょう。
ただ、自分だけでは、発声方法や活舌などを効率的に見直すことは中々難しいですよね?そこでおすすめなのが、ブラッシュボイスのボイストレーニングです。ブラッシュボイスは全コースオンライン対応で、完全マンツーマンなのに他社より安価でコスパがいいのが特徴です。
指導するのは全員プロのボイストレーナーで、無料体験レッスンでは、プロの技術を気軽に体感できます。聞き取りやすいいい声になって、第一印象を爆上げしたい、、、そんな方は、まずは無料体験レッスンを申し込んでみてくださいね!
\オンライン対応可で他社よりコスパよし!/
/ボイストレーナーは全員プロで安心!\
謙虚は美徳とは必ずしも言えない3つの理由





謙虚は美徳なん?



んー、必ずしも、そうとは言えないんよね。
謙虚は美徳は基本的には、正しいです。しかし、現実的に考えた場合、謙虚は美徳とは必ずしも言えません。その理由については、以下の通りです。
謙虚は美徳とは必ずしも言えない3つの理由
- 理由①:過度な謙虚さは自己評価を下げるリスクがある
- 理由②:良識のない人間には媚びへつらい等ととられる
- 理由③:コミュニケーションで誤解が生じるリスクがある



それぞれ、詳しく見ていこう?
理由①:過度な謙虚さは自己評価を下げるリスクがある


謙虚は美徳とは必ずしも言えない理由として、「過度な謙虚さは自己評価を下げるリスクがある」というものがあげられます。
過剰に謙虚に振る舞っていると、人によっては自分の価値を低く見積もるようになって、自己肯定感がどんどん下がっていってしまうものです。



まあ、謙虚さは過剰すぎると、自己否定になるって感じか。
以下の研究によれば、低い自己評価は抑うつ症状や対人関係の不安定さと関連があると報告されているので、自己評価が低くなるのは大変危険といえますね。
参考:Relation of threatened egotism to violence and aggression: the dark side of high self-esteem
また、謙虚さが行き過ぎれば、自己成長が阻害されることもありえます。事実、以下のセルフ・ハンディキャッピングに関する研究では、失敗を恐れて自分の能力を意図的に低く見せる行動が、挑戦や成長の機会を制限することが示されていますね。
参考:Drug choice as a self-handicapping strategy in response to noncontingent success.
謙虚さを発揮する際は、くれぐれも謙虚さの発揮が過度にならないようにするよう、気を付けたいものです。
過度な謙虚さは自己評価を下げるリスクがあるので謙虚は美徳とは必ずしも言えない
理由②:良識のない人間には媚びへつらいととられる


謙虚は美徳とは必ずしも言えない理由として、「良識のない人間には媚びへつらいととられる」というものもあげられます。
謙虚さとは、自分の実力や実績等を実態よりも小さく見せる行為であり、理性的な方からは「強く見せる必要がないからへりくだっているのだな」と好意的な印象を持たれます。



しかし、その一方で、良識や常識のない無法者じみた人、つまり動物的な感性優位の人からすると、謙虚さは「自分の力がふ十分だから他人に対して強く出れない弱さの証明」です。しかも、彼らの厄介な所は、「弱いものは強いものに無条件で従うべき」といった思想をもっていることですね。
彼らからしたら謙虚な人は、自分に反撃してこれないので、格好の搾取対象となります。そのため、こうした人たちに謙虚さよりも威嚇や威圧の方が効果的なんですよね。後述するように、謙虚さは相手によってはあだになるので、その運用には注意が必要です。
良識のない人間には媚びへつらいととられるので謙虚は美徳とは必ずしも言えない
理由③:コミュニケーションで誤解が生じるリスクがある


謙虚は美徳とは必ずしも言えない理由として、「コミュニケーションで誤解が生じるリスクがある」というものもあげられます。
コミュニケーションにおいて、謙虚さは自分の能力や成果を実態よりも小さく表現する事を意味します。そのため、自己主張が求められる西洋文化や競争的な環境では、謙虚さが自信のなさや、能力不足と受け取られるリスクがありますね。



ふむ、なるほど、それはいえているかもなあ。
事実、以下の研究によれば、日本のような集団主義文化では謙虚さが好意的に評価される一方、個人主義文化では自己主張が重視される傾向があることが示唆されているそうです。
参考:Culture’s Consequences: Comparing Values, Behaviors, Institutions, and Organizations Across Nations
そのため、例えば、国際的なビジネスシーンで過度に謙虚な態度を取ると、リーダーシップや信頼性が低いと誤解される可能性があるといういことになりますね。
また、日本であっても、競争の苛烈な職場などでは謙虚さも大事ですが、それ以上に自己主張等推しの強さの方が大事になってきた利する事もあるでしょう。
コミュニケーションで誤解が生じるリスクがあるので謙虚は美徳とは必ずしも言えない
謙虚は美徳とされている2つの理由





なんで、謙虚は美徳とされているんだろうね?



ふむ、主に以下の2つの理由があると思うで!
つぎは、なぜ謙虚は美徳とされているのかについて、見ていきたいと思います。謙虚は美徳とされているのに非は、主に以下の2つの理由があるからです。
謙虚は美徳とされている2つの理由
- 理由①:信頼を築くのに役立つ
- 理由②:学びと成長が促進される



それぞれ、詳しく見ていこう>
理由①:信頼を築くのに役立つ


謙虚は美徳とされている理由の1つ目は、信頼を築くのに役立つからです。
謙虚さは、他者との信頼関係を強化上で重要な効果を持っています。事実、以下の研究によれば、謙虚さは自己中心性の低さと他者への敬意と関連し、対人関係の質を向上させるとされていますね。
参考:Humility: Theoretical perspectives, empirical findings and directions for future research.



たしかに、謙虚な人の印象は良いよね。
謙虚さにはこのようなポジティブな側面があり、それを体感で多くの人が理解してきたがために歴史的に謙虚が美徳とされてきた可能性はありますね。特に、日本は集団での調和を重視しますから。
日本の場合は、個人の処世術として謙虚さが尊ばれてきたのと同時に、社会全体の調和を維持・促進するといった意味でも謙虚さを美徳とした方が都合がよかったというのもあるでしょう。
理由②:学びと成長が促進される


謙虚は美徳とされている理由の2つ目は、学びと成長が促進されるからです。
謙虚さは、自己改善や学習意欲を高める特性としても知られています。事実、以下の研究では、謙虚な人は自分の限界を認め、フィードバックを受け入れる傾向が強く、これがスキル向上や問題解決能力の向上につながるとされていますね。



たしかに、謙虚な人って成長速度が早い気がするよね。
実際、謙虚さのある方は、自分の視点を絶対視せず常に柔軟な姿勢で物事に取り組むので、間違ってもすぐ軌道修正するので成果を出すまでが非常に速い傾向にあります。
何がしかの分野で頭角を現したのであれば、謙虚さは必須といえるでしょう。
謙虚は美徳は単なるきれいごとなのか?





謙虚は美徳は、単なるきれいごとなんかね?



単なるきれいごとに思える時が、あるのも事実やね。
謙虚は基本的には、美徳です。ただ前述の様に謙虚さには、ネガティブな側面もあるので、謙虚は美徳という言葉は、時に理想論や空虚なスローガンに感じられることがあるのも事実です。
ただ、謙虚さには人間関係を円滑にしたり自己成長を促進するといった効果があり、決して単なるきれいごとではありません。さらにいうと、以下の研究では、謙虚さは自己超越的な価値観(神や自然への畏怖等)と結びつき、ストレス耐性や幸福感の向上に寄与するとも言われています。
参考:A quiet ego quiets death anxiety: Humility as an existential anxiety buffer.
つまり、謙虚さは単なる美辞麗句ではなく、適切に活用すればメンタルヘルスや対人関係を強化するツールでもあるわけです。しかし、先ほど少しふれたように、謙虚さを自身のなさや能力の低さなどといった弱さの証明と解釈するような、人が世の中にそれなりにいるのもまた事実ではあります。
正直、本能優位の人たちに対しては、肩書や威嚇などといったものを明確に示さない限り、謙虚さは侮られ軽んじられる要因になる事はあっても、尊敬される要素にはなりえません。この点が、「謙虚は美徳だなんてきれいごとだ」といわれてしまう大きな要因といえます。



確かに、謙虚に接したら、こちらを舐めてくる人とかおるね。
実際、こうした本能優位の人たちと接する際に、謙虚に振る舞ったがためにひどい目にあっているという方を見かけることはしばしばあるものです。いつなんどきも謙虚さが、ポジティブな意味を持つという性善説的な考え方は楽観的に過ぎて現実には通用しないというのが実情でしょう。
謙虚さを美徳とするためには、「相手に対してどの程度謙虚であっても大丈夫なのか」をその都度見極めていく臨機応変さが必要なのです。誰にでも謙虚であればいいわけではないというのが、大事な視点ですね。
謙虚を美徳にするための3つの秘訣





謙虚を美徳にするためには、何に気を付けたらいいん?



ふむ、以下の3つに気を付けよう!
謙虚さは、上述のように、基本的に有益です。しかし、誰に対してどのくらい謙虚さを出すべきか等は常に考えていかないと、単なるきれいごとになりかねません。
そこで、ここでは謙虚さを美徳にするための秘訣について、見ていきたいと思います。謙虚さを美徳にするための秘訣は、以下の通りです。
謙虚を美徳にするための3つの秘訣
- 秘訣①:自分軸を確立する
- 秘訣②:常識の通じないやつを見極める
- 秘訣③:尊敬される人物になる



それぞれ、詳しく見ていこう・
秘訣①:自分軸を確立する


謙虚を美徳にするための秘訣の1つ目は、「自分軸を確立すること」です。
先ほどふれたように、過剰な謙虚さは自己肯定感を低下させるリスクがあります。謙虚はいいですが、自虐的になっては元も子もないですね。そのため、謙虚さと自己肯定感の高さを両立させるための工夫が欠かせません。



ふむ、、、でもそうすれば両立できるん?
謙虚さと自己肯定感を両立したい場合は、断然、自分が人生において大事にしたいものを明確にして自分軸を確立するのがおすすめです。自分軸を確立することができれば、謙虚に振る舞っても、自分の大事にしたいものにのっとって生きている実感が持てるため、自己肯定感の収支は全体で見ればプラスになります。
自分軸の確立にあたっては、少々面倒ではありますが、以下の記事が参考になるでしょう。謙虚さと自己肯定感の高さ両立させたい方は、ぜひ参考にしてみてくださいね。
謙虚を美徳にするためには自分軸を確立することが大事
秘訣②:常識の通じないやつを見極める


謙虚を美徳にするための秘訣の2つ目は、「常識の通じないやつを見極めること」です。
前述のように、常識の通じない本能優位で動物的感性で生きているような人に対して、謙虚さはあだとなります。彼らの目に謙虚さは、自身のなさや弱さとしてしか映らないので、謙虚に接する事であなたは彼らからいいカモなどと思われて搾取の対象と認識されかねません。



本当、最悪だわ、、。
そのため、謙虚さを発揮する度合いも大事ではありますが、そもそも「謙虚さを弱さを認識するような人とはかかわらないようにする」のが重要になります。なお、謙虚さを弱さと認識するような人には、往々にして以下の様な特徴がみられるので、以下の様な特徴を複数持つ人には注意しましょう。
謙虚さを弱さを受け取る人に多い特徴
- 高いナルシシズム傾向
- 高いマキャベリズム傾向
- 低い共感性(サイコパシーなど)
- 支配欲が強い(権力志向)
参考
Introducing the Short Dark Triad (SD3): A brief measure of dark personality traits.
The Functional Architecture of Human Empathy
The experience of power: Examining the effects of power on approach and inhibition tendencies.
上記の特徴を持つ人たちは、普段の行動と言動が一致しなかったり、そもそも他者への感謝や尊重といった概念が抜け落ちた言動・行動をしていることが往々にしてあります。
普段から、人の行動をしっかりと観察して、信頼に足る自分物であるかをしっかり見極めるよう習慣をつけるのが大事ですね。
謙虚を美徳にするためには常識の通じないやつを見極めることが大事
秘訣③:尊敬される人物になる


謙虚を美徳にするための秘訣の1つ目は、「尊敬される人物になること」です。
先ほどから述べているように、謙虚さはいつでも美徳として機能するわけではありません。謙虚さを弱さと認識するような人達に対して、謙虚な対応はまったくの逆効果になります。そのため、前述のように、本能優位の無法者を遠ざけるのが鉄則ですが、いくら警戒してもそうした人とのかかわりをゼロにはできません。



いくら気を付けても、確かにゼロにはならんよね。
そこで、次善の策としては、尊敬されるような人物になるのを目指すことを提案したいと思います。もし周囲から尊敬され一目置かれるような状況を作れれば、無法者もあなたを軽んじる事はできなくなるので、謙虚に振る舞っても何も問題なくなります。
ただ、ここでいう尊敬の概念には、一般的な解釈と違って「やり返されたらただでは済まないな」というある種の恐怖心をもたせることが多分に含まれる点に注意が必要です。寛容さと同時に厳しさやただならぬ無慈悲な雰囲気を両立させましょう。尊敬される基盤を作り方は、以下の記事が参考になると思います。
参考
尊敬される人になりたい
カリスマ性 身に着ける
傾聴
謙虚を美徳にするためには尊敬される人物になることが大事
謙虚は美徳であるか気になる時によくある質問





謙虚は美徳に関連して、まだ気になる事があるんよ、、。



んじゃ、最後に疑問にこたえていこう!
最後に、謙虚は美徳であるか気になる時によくある質問について、回答していきたいと思います。
質問①:謙虚さと自信のバランスはどう取ればいい?


謙虚であっても卑屈にならなければ、自身を失うことはありません。実践的な方法としては、まず自分軸を確立したうえで、自虐にならないように謙虚さを発揮するといいでしょう。
例えば、「~ってかっこいいor美人だよね」等といわれた場合であれば、「そんなことないよ」などというのではなく、「ありがとう。まあいろいろ並みには気を付けているからそれなりにね」などと感謝と努力の過程などを伝えると嫌味にはならないでしょう。
質問②:謙虚さが弱さに見えるのを防ぐには?


謙虚さが弱さに見えないようにするために最も重要なことは、できるだけ日ごろからきちんと自己主張もし周囲から一目置かれるような状況を作っておくことです。
謙虚は美徳は必ずしも正しくない!しかし謙虚は正しく使えば美徳だし対人関係を良好にする神ツール!


「謙虚は美徳」という言葉は、基本的には正しいです。しかし、相手が良識のない無法者であったり、相手から尊敬を得られていない場合などにおいては、謙虚な姿勢が逆にあだとなる場合もあります。謙虚さは、一定以上の強さを持つ者のみが、示して意味のあるものと心得ておいた方が良いでしょう。
さらに言うなら、対人での印象形成において声の果たす役割は非常に大きく、弱弱しくか細い声などで接していては、謙虚な姿勢が自身のなさからくる媚へつらいととられる可能性がかなりますでしょう。そのため、根本的に発声などから見直して、明瞭な発声を心がけるようにした方が得策です。



声ですごく対人の印象は変わるから、要注意や!
とはいえ、自分だけで自身の発声等を客観的に見直すなんて、かなりハードですよね?何より、自分の声を客観的に評価するために、自分で自分の声を聞きかえすことすら著しい苦痛かもしれません。そんなときは、思い切ってプロの力を借りるのがベストです。
ブラッシュボイスを利用すれば、他社より低価格で場所を選ばず専門的なボイストレーニングを受けられるので、コスパの点でも利便性の意味でも優秀です。さあ、ブラッシュボイスの専門的なボイストレーニングを受け、いい声になって自分の印象を爆上げしていきましょう!
\オンライン対応可で他社よりコスパよし!/
/ボイストレーナーは全員プロで安心!\